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ソラノートとカメラの透明性とか公平さとか。

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めがねおうさんとフランチェス子さんとの炎上騒ぎの件をソラノートのあさのニュースが取り上げたことでちょっとした騒ぎになっていますね。
事の経緯は、こちらのリンクを参照していただくとして、僕がどっちが悪いとかそういう話をするつもりじゃないです。もちろん罵倒はよくないですけど。

 

僕が気になったのは、そらのさんの行動について。あとカメラを使った表現についてどれくら自覚的なんだろうということ。
2日のあさのニュース放送中にそらのさんは視聴者のツイートで前の晩のめがねおうさん絡みの炎上事件があったと聞いて、即反応し、ツイッターで検索、さらにめがねおうさんにスカイプで話しかけます。
その後、相手であるフランチェスカさんのTLを無許可で表示。
めがねおうさんと電話が繋がったあとは、めがねおうさんの主張をそのまま放送しました。
なぜGIZMODOの回で突然、この炎上を取り上げたのか、意図も不明ですが、炎上の経緯も把握せずそれを放送のネタにしてしまうのはあまりにも軽率な行動ではないでしょうか。
めがねおうさんには、一口に取材と言っても様々なタイプがある、ということを伝えたいという意図があったでしょうし(今回の炎上を煽るような方法論は支持できませんが)、フランチェスコさんの言うように対象者に敬意を払うのは取材として基本的ことなはずです。お二人ともジャーナリズムというものに対して、方向性は違えど真剣に考えてるのだと思います。

 

ただ、今回それを取り上げたそらのさんには、ジャーナリストとしてどんな矜持があっての行動だったのでしょうか?それが全く見えてこないのです。たんに揉め事に面白がって首を突っ込んだようにしか見えない。ダダ漏れはメディアとは違うというスタンスなのでしょうか?でもニュースを取り扱ってもいますし、社会問題にも言及されることも多い同放送はマスではなくとも、日本のネット界では有力なソーシャルメディアの一つでしょう。
しかも、日常ダダ漏れでもなく、あさのニュースの枠で取り上げてるわけですし。

 

そらのさんとその会社ソラノートには、透明かつオープンな場を提供するという目標で、ダダ漏れを行っているというです。その目標は素晴らしいですが、メディアってどこまで透明かつオープンになれるんでしょうか?あるいは完全に客観的なメディアってあり得るんでしょうか。

 

僕的な結論から言ってしまうと、完全に客観なメディアは存在しません。存在できないと言ったほうが正しいかもしれません。せいぜいできるだけ主観を排除して書いたり放送しようと心がけるしかできないと思います。

 

映像メディアで言えばカメラを向ける対象を決めている人物がいるわけです。その対象を決めるプロセスを含めれば全てのメディア情報は客観ではなく、主観に基づくものです。
この人の意見を客観的に取り上げてみよう、誘導的な質問なども一切せず、肩入れしすぎず意見を聞いてみよう、と思っても、その人を取り上げるという決定自体が主観的です。
ノー編集であるとか、生放送であるとかは、客観性とも透明性とも関係ありません。

 

そもそもカメラは実は口ほどに物言う表現手段でして、カメラアングルや、ポジション、フレームサイズによって全く印象が変わってしまうものです。
僕の目から見ると、そらのさんはそれをコントロールできていない。チャット画面などで話者の顔をクローズアップの煽り(見上げるようなアングルの映像)で写った映像をそのまま流していますが、クローズアップは映像文法的にはその人物の心情や主張に寄り添うという意味になってしまう。自覚的だろうと無自覚であろうと視聴者は強制的にそういう印象を抱いてしまう。カメラって結構わがままです。意図的じゃないと言ってもそういう問題じゃありません。

 

カメラって実は何も意識せずに撮影してると、主観がバリバリ入ってしまうもので、意識しまくってできるだけ客観的に見えるアングルやポジションを取ろうとがんばらないと客観性って生まれないんですね。
ソラノートがオープン・透明を標榜するなら根本的にもっとカメラを使った表現の性質を学んでもらいたいと思います。オープン・透明をカメラを使って作り出すってものすごい大変なことですよ。
極端言うと、カメラって立ち居地がすごくはっきりしますから、そのカメラの向いてる裏側は見えないからもう透明じゃないですからね。
ソラノートだけじゃなく、今はYouTube、ニコニコ、USTと簡単に映像を配信できる時代なのでだれにでも言えることです。

 

マスメディアがあまりにもバイアスのかかった編集で偏向報道をするから、反動としてノー編集やLIVEが注目され、そのスタイルが客観性や透明性を担保すると思われてる風潮がありますが、ノー編集やLIVEだからバイアスかかってないというのは幻想です。映像において、透明性や公平さを確保するときのポイントはそれだけじゃないと思うんですよね。撮影者のポジショニングも重要だと思うんですよ。
ソラノートさんはいち早くUSTに目をつけてネットと映像を結びつけて収益モデルを作ったりしてるので、けっこう尊敬してます。これからもがんばってほしいのでこういう文章を書いてみました。一応エールのつもりで書いてみました。(読まれないかもしれないけどさ!)

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