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フィリップ・スタルクが語る創造性とは別の創造性

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フィリップ・スタルクが語る「創造性、お金、セックス」

デザイナーのフィリップ・スタルクが上記の記事で創造性について興味深い発言をしています。まだ読んでない人はすごく面白いので是非ご一読を。

人と話ばかりしていると、とても居心地が良くなりはするが、同時に独創性も失われていく。創造的になる唯一の方法は独りで居ることだ。「インスピレーションの源は何だ」とよく質問されるが、そんなものはない。


なるほど共感する部分がたくさんあります。セックスが創造性にとって重要とか(笑)、孤独でいることが創造的になる唯一の方法であるとか。インスピレーションが湧く瞬間は一人で何かと向き合っている時というのは往々にして僕もあります。
なので僕はたまに、コミュニケーション偏重主義的とも云えるソーシャルメディア全盛のこの時分を鬱陶しく思うこともあります。しょっちゅうTwitterもGoogle+も投稿してるのでそうは見えないかもしれませんが。
僕の場合、ブログの投稿が土日に集中していてそれに反比例してSNSへの投稿数は平日と比較して激減します。情報のインプットと何かをクリエイトするアウトプットのバランスを取るのが非常に難しいなあ、と常日頃感じてます。

スタルクさんの主張はほとんど共感できて、特に文句を云う気も起きないんですが、実は本当に孤独にならないと創造性は発揮できないものなのかなあ、とも感じる部分もあります。

むりくり問題設定してみると、ネットの過剰なコミュニケーションが創造性を産み出すことはあり得ないのか、という問いです。

※僕は映像作りを学んだ人間なんで、創造性についても映像作りの観点からしか語れないのであしからず

UGCと2次利用の組み合わせから考えてみましょう。ニコニコ動画ではオリジナルの投稿作品から派生して他のユーザーが派生的に作品作りをしていくことがありますが、あれはネット上のコミュニケーションから生まれている面もあるでしょう。特にニコ動の場合は、創造物を何と捉えるかにもよりますが、画面上のコメントも含めて「作品」とすると、絶えずコミュニケーションによって作品の様相が変わっていることになります。一つのコメントが他のコメントを刺激してまた新しいコメントを引き出して作品の「味」を絶えず変化させている。これは孤独な状態では生まれ得ない。

ニコ動とスタルク比べんなって云われてしまうかもしれませんが、ぼくらはまだネットが産み出した新しい創造の仕方をまだまだ理解しきれていないというのもまた事実だと思うので。要するに今はお遊びのチャチャ入れ程度にしか機能していないかもしれないけど、より発展したシステムとプラットフォームがネットのコミュニケーションがハイレベルなアートを生む可能性も充分あると思うんですね。

YouTubeがオンライン動画編集サービス、WeVideoと提携したというニュースが出た時に、動画は「見る」を共有から「作る」を共有するように変わっていく、みたいなことを書きましたが、孤独ではなくシェアすることに新しいi時代の創造性がある、と僕は思っています。それはきっと現在の少し映像作品に付加価値を付け足すなんていうものじゃなく、もっとラディカルな創造の仕方かも。それが何かはよくわからないけど。

もしかしたらコミュニケーションの集積からデータを構築して、そこから何らか「創造」アルゴリズムが計算して創造的な何かを弾き出すみたいな形かもしれません。ビッグデータの時代にはそういう芸術もあり得るんでしょうかね。

「集合知」ならぬ「集合美」みたいなね。

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