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菅原文太さんの引退(の理由)に思うこと

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俳優の菅原文太さんが引退をほのめかしたという。以下の理由らしい。
菅原文太が引退宣言 震災で決断「映画撮っている場合ではない」

真摯な姿勢だと思う。たかが映画が壊滅状態の東北を救う、なんて思い上がった態度は微塵もない。たかだか金食い虫の娯楽なのだから。その制作費を寄付した方が救われる人が多いかもしれません。フィルムを燃やして暖を取った方がいいかもしれません。仮説住宅は相当寒いようですし。

同時に歯がゆい。ドキュメンタリーのようなものはいいけど、と仰っているらしいのだが、報道やドキュメンタリーは良くてなぜにフィクションはダメか。物語ってそんなに無力か。

現実にフィクションの想像力を超えたことが起きてしまっていたという思いは僕にもある。
目の前の仕事に追われてる自分に、こんな仕事している場合なのかとふと思う時もあるので文太さんのお気持ちもよくわかる。

僕は震災を後世に語り継ぐためにこそ、物語の力が必要だと考えてます。大晦日に書いたエントリーを抜粋します。

3/11は人類史上、最も多く記録された自然災害だろう。今でもYouTubeやFlickrでが瓦礫の山と化した町や恐ろしい津波の動画や写真を見る事ができる。
今回の災害は映像の力を改めて再確認させた。
これらの動画や写真はこれからもずっとそこにアーカイブされ、繰り返し僕らにあの時の恐怖を思い出させるのだろう。

否、案外僕らはカンタンに忘れるかもしれない。何しろ現代は流れる情報が多すぎる、これからもっと加速度的に増えていく。それでなくても日本人は忘れっぽい。喉元すぎれば熱さを忘れてしまうのは日本人の得意技の一つ。津波の恐怖も原発事故の恐怖も情報という津波に流されてしまうんじゃないか。

三陸地方に建てられた石碑は、津波の恐怖を警告し、それより下に家を建てるべきじゃないという教訓を後世に伝えるために建てられた。でも僕らはいともカンタンにその事を忘れた。当時、その石碑を建てた人たちは、日本が近代化という波に飲まれてしまうことを予見できずに教訓を伝えることに失敗した。

僕らも同じ轍を踏むだろうか。地震の恐怖、津波の恐怖、原発。。。世界には人知を超えた何かがあり、全てを想定しきることは不可能だということを身を持って知った僕らは、そのことをやはり風化させてしまうだろうか。

そうさせないためには何が必要だろうか。
311まるごとアーカイブス @311archives という運動がある。10月に岩手県遠野市でシンポジウムがあったのだが、僕もそれに1オーディエンスとして参加してきた。そのシンポで会場からこんな発言があった。アーカイブスとして残していくだけでなく、この体験や記憶をいかに文化として引き継ぐのかが大事なんじゃないのか、と。

そういえば僕は、僕が生まれていない時に起きた悲劇を知っている。原爆の悲劇を知っている、ホロコーストの悲劇も知っている、中世ヨーロッパの魔女狩りの悲劇もネイティブアメリカンの悲劇もなぜか知っている。そんな直接体験したわけでもない、この目で見てきたわけでもないことをなぜ僕は共有していて、そこから何かを学んだりしているのか。

それは被爆国たる日本やユダヤ人、自分たちの歴史の過ちを自己反省する欧州人やアメリカ人が、文学・伝承・芝居、または映画を通じて文化として後世に残そうと努力した証しなんだろうと思う。
そうやって洗練された物語は、どんなリアルな記録映像よりも雄弁に何かを語り、それを観る人たちに何かを教えるだろう。

本当に意味で「残す」というのはそういうことなんだと思う。動画や写真をYouTubeやFlickrに残すだけで、残したって云えるんだろうか。

報道(マスメディアもネットメディアも)は、少なくなってきてしまっているとはいえ、多くの情報を伝えている。とりわけソーシャルメディア時代になってその量とスピードは爆発的に増えた。無益な情報もいっぱい流れるけど、基本的には被災地の役にたっているものだと思う。

でも、今の世の中に流れる情報は多すぎる。しかもみんな情報を出す早さを競うようになってきているから、即物的な情報が多い。だから心に残らない。

しかし、優れた物語なら人の心に刻み付けることができる。そして真に優れた作品は歴史にも刻まれるでしょう。近松門左衛門の人形浄瑠璃は当時の人々が何を考えていたのかを知る貴重な歴史的資料でもあります。平家物語から現代人だって多くのことを学べるはずです。

2011年、日本の歴史でも重要な分岐点ともなりそうなこの年に僕らが何を考え、あの悲劇がどんな意味があって、どんなふうに苦しんだのかを物語ることは、非常に重要な作業じゃないでしょうか。

そうしないと僕らはまたすぐに忘れます。現代人は情報の摂取に忙しすぎるから。そうでなくても喉元過ぎれば熱さを忘れる人種ですから、日本人は。

文太さんは、映画なんか撮ってる場合じゃないと仰るのですが、僕は映画人は今こそ映画を撮らないといけないと思います。特に文太さんは仙台出身でしょう、故郷の人々と思いを共有することができる立場でもあるでしょう。

今日(2/24)のデイキャッチで園子温監督は、数年前は日本で映画を撮る価値がないので海外に出ようと思っていたが、今は日本でこそ映画を作る価値があるとおっしゃっています。
宮台真司さんも50年後、100年後、2011を生きた日本人は一体なにを考えていたのか、一体何をやっていたのか理解されずバカにされることになってしまうと仰っています。

物語には、映画には力があります。何より稀代の俳優である菅原文太さんが今まで積み上げてきた実績がそれを証明しています。

僕がこんなところで吠えても何にもならんかもしれんけど、映画の世界で生きた東北人として、今が一番「撮るべき時期」なんじゃないかと生意気にも反論したいです。
こんなロートル誰も待ってない」ですって?
何をおっしゃる、多くの人が待ってますよ。

最後に今を歴史に刻み付けようとする園子温監督の最初の試み「ヒミズ」を絶賛しておきます。
人を救う絶望、救わない綺麗事。映画レビュー「ヒミズ」

ヒミズ公式サイト

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