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映画レビュー「100年の鼓動 ―ハワイに渡った福島太鼓―」

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南相馬の映画館、朝日座でのイベント、東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema with Us」in 福島で観た映画のレビュー第三弾です。

この作品「100年の鼓動 ―ハワイに渡った福島太鼓―」は、日本ではなくハワイの日系人コミュニティを追ったドキュメンタリーです。なぜこの作品が、南相馬の映画館で上映されるのか不思議に思う向きもあるかと思いますが、ハワイの日系人の過酷な歴史の中で民族のアイデンティティを守り抜いた姿勢がこれからの福島にとって学ぶところがあるということでしょうか。
あるとすれば、それはどういったところなのでしょうか。

アメリカの日系移民の歴史は割と長くて、ジョン万次郎なんかは幕末の頃にアメリカにいたりしたわけですが、明治以降はさらに盛んになります。第二次大戦の頃にはハワイの人口の3分の1を日系人が占めていたくらい多かったわけです。カリフォルニア州にも約12万人の日系人が当時住んでいました。日系人の従事する仕事の多くは、サトウキビの収穫などの単純労働で賃金も労働条件もヒドいものが多いのが現実でした。

経済的な困窮以外にも、日本からアメリカに渡った一世には、別の悩みもありました。それはアメリカの地で生まれた自分たちの子供たちが日本の伝統を忘れてしまうこと。二世の中には日本語をしゃべれない人もいるくらいで、一世の親たちは、そうした子供たちに日本語と日本の文化を教えるべく日本語学校を作ったり、盆踊りや正月などの伝統行事を大事にしていたんです。中には教育はアメリカではなく日本で受けさせたい、と考える一世たちもいて、二世の子供たちの中には日本の両親の故郷に逆留学する者もいました。そうした二世を帰米二世と言いますね。経済的に苦しいにも関わらず、子供を留学させるほどに当時の日系人たちは日本人としてのアイデンティティを守っていくことに必死だったのはなぜなんでしょうか。

やはりそれはアメリカでの過酷な生活と競争社会によるものなのでしょう。世界中から人の集まる移民の国であるアメリカでは、他の移民との過酷か競争もあるので、そうした中で生き抜くためには、民族による団結が重要になのでしょう。そして団結する核として文化は大変重要な役割を果たしていたのです。
アメリカの日系人を襲った危機として最も大きかったのは、太平洋戦争です。有名な第100大隊や442連隊のついてもこの映画では触れられています。そして開戦後、私財を没収され日系人は強制収容所送りにされてしまっったり、日系コミュニティのリーダー格は、スパイの嫌疑をかけられ逮捕されてしまったりといった、苦難を乗り越え文化を継承してきた歴史をこの作品は示します。

こうした危機を経験した民族やコミュニティは、以前にも増して自分たちのアイデンティティの源は何なのかに対して敏感になります。その敏感さは文化への憧憬につながり、その文化が自分たちの属するコミュニティにとって重要な役割を果たしていることを自覚していくのです。

震災と原発という危機を通して東北にはそのような循環が始まるといいなと思います。

2012年の2月にいわき市で行われた上映会とトークショーの模様です。

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