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復興のために文化に何ができるか。30キロ圏内の映画館、朝日座を訪ねて考える。

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朝日座の外観。福島大学のボランティアがペンキを塗ってくれたため綺麗になりました。

3/17に南相馬市の原町区にある朝日座という映画館に行ってきました。福島第一原発30キロ圏内にある唯一の映画館です。
すでにレビューなどは書いていますが、東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema with Us」in 福島に参加するためでした。
わざわざ南相馬まで足を運んだ理由は、この歴史ある映画館で映画を観る体験は何者にも代え難いだろうと思ったのと、被災さいた東北3県、とりわけ福島は原発のおかげで厳しい立場に置かれているわけですが、そうした所で文化に何ができるだろう、というのを考えたかったためです。上映された映画も素晴らしいものでした。 中でも「相馬看花」は見る価値の高い作品と思います。一般公開は5月とのことなので是非見てほしいと思います。 

上映された映画のレビューはすでに書きましたので以下のリンクをご覧ください。

さて、この朝日座という映画館は大変歴史のある映画館で、開館は大正12年、関東大震災の2ヶ月前の7月です。日本に現存する映画館として最も古い映画館の一つでしょう。
朝日座を楽しむ会のHPから開館当時の様子を引用します。

地元原町の有志(旦那衆12人)が「旭座組合」を設立し、工事費1万3千円で関東大震災が発生した1923年(大正12年)7月2日に芝居小屋・常設活動・写真小屋として開館しました(旭座組合長:日下庄吉、工事請負人:関場清松)。
その当時は升席で花道があり桟敷もありました。開館時には坂東勝三郎、中村翫十郎の一座により「旭座舞台開き」が行われています。
地方回りの芝居も上演されましたが、映画常設という時代の最先端をいく小屋で多くの無声映画が上映されました。多くの町民が映画・芝居へと足を向け、大衆娯楽の殿堂として賑わいました。 

元々は芝居と映画(というより活動写真ですかね)を両方やる劇場だったんですね。
今でも桟敷や奈落などの芝居小屋時代の名残は残っています。
これは奈落

これは桟敷に通じる通路。

戦後は市民の娯楽として、地域住民が頻繁に通う映画館でしたが、TVの放映開始や、ビデオの普及などで観客数の減少に伴い、惜しまれつつ1991年(平成3年)に閉館となります。70周年記念として「ニュー・シネマ・パラダイス」が上映されたんですね。こういう歴史ある映画館で「ニュー・シネマ・パラダイス」を観るのはさぞいいでしょうね。

しかし、閉館後も建物と上映設備は残され、他市の興行主によって年に数回のアニメ映画が上映されているほか、2008年(平成20年)には、南相馬市マナビィカレッジ事業・生涯学習振興事業「生涯学習まちづくり講座」の受講生有志により、朝日座の保存と利活用を考える市民活動団体「朝日座を楽しむ会」が発足。町の財産である朝日座の保存を通して、地域コミュニティの再生も目指しています。朝日座の歴史より引用。

 

2008年に朝日座を楽しむ会が発足。細々ながらも定期的に上映会などを開いたのですが、昨年の大震災に見舞われまてしまいます。福島第一原発から直線距離で約25キロほどに位置するこの映画館ですが、屋内退避の区域であるので、活動の中止は避けられませんでした。しかし、震災前から地元の人を中心に活動し、地域コミュニティの活性化に一役買っていたこの劇場と楽しむ会は、震災後もその根を絶やすこと無く昨年の6月に活動を再会しています。
原発事故当時、東北だけでなく、日本全国で様々な文化活動が「不謹慎」だとして中止になりましたが、しかし、避難生活で原発事故の収束も先が見えない中、そこに暮らす人々に必要なものは水と食料だけではなかったはずです。
そういう思いで、まだ図書館も市民会館も閉館している中、朝日座を楽しむ会は映画の上映をすることに決めました。
朝日座を楽しむ会の代表である小畑瓊子さんは、少しでも地域が明るくなれるようなものを提供しようと
「何言われるかわからないけど、とりあえずやってみましょう」 
と決断したとのことです。
その時に上映した作品は、日活映画、吉永小百合主演の「いつでも夢を」。上映日にはたくさんの方が集まり、散り散りに避難していた人たちが、震災後始めてそこで再会し、安否の確認ができたという方もいらっしゃったとのこと。 
ロビーと館内が「ああ、生きてた」とか「元気だった」という言葉の交換する場になったそうです。 
震災でバラバラになってしまった人たちを、映画の上映が再び巡り会わせたんですね。

6月12日の上映会の様子がビデオに納められています。 

その後も朝日座は、11月に俳優の永島敏行さんをお招きして、座談会と「幸せの黄色いハンカチ」を上映。永島敏行さんが出演されていませんけど(笑)
さらにつながり映画祭の特別開催 、12月には映画評論家の山根貞男さんをお迎えして侠骨一代の上映とトークショーを開催しています。
作品のチョイスが渋くていいですね。 

しかしながら、この朝日座、エアコンなどはなく、冬場はこのようなストーブをいくつか置いての上映なのですが、灯油代だけでもかなりのお金がかかるそう。
 

やはり目下の一番の問題はお金だそうで、上映するにもなかなか今は課金ということは難しいいうことで、しかし、ストーブに限らず出費は当然あるわけで。
助成金が震災前からもらって運営をしていたのですが、今年限りでそれも一端切れるので、来年以降の活動は不透明だと言います。当然建物も老朽化が進んでおり、震災前から屋根の一部に破損があるとのこと。

様々な問題はあるのですが、小畑さんはそれでもこの灯を絶やすつもりはないようで。
それはやはり復興にかける思いがあるからだろう。
「前あったもの、を当たり前にやっていく。当たり前の日常を淡々と当たり前のようにしていく。そういう風にすれば、みんな戻ってみようかな、となるのかな」と小畑さんは淡々と語ります。

南相馬の人口は、震災前は7万人以上だったのが、現在では4万人台にまで減少しています。復興に人の力は必要不可欠とすれば、人が集まりたくなる地域作りを目指す必要があります。
6月の上映会の時は、小さい規模でそれを実現したと言えると思います。文化活動のある所に人は集まる。だとすれば、文化はそれ自体が空腹を満たすものでも、雨風を凌いてくれるわけでもないですが、復興に必要とされるものでしょう。 

朝日座では3月25日には、春休み映画祭としてアニメ映画の上映を行いました。 
新学期に合わせて家族と一緒に戻って来る子供たちもいる(反対に引っ越していく家族もある)ので、大人だけでなく、子供たちが楽しめるものを何かやりたかったようです。
小畑さん曰く、現在の南相馬では中学校で生徒が54,5%、小学校では45%ほどに子供の数が減っているとのことで、 子供の年齢が低くなればなるほど、もっと少なくなっていき、町中で子供を見かけることがかなり少なくなったといいます。

子供の問題となると、やはり難しいところがありますので、簡単に戻ってきてほしいなどとは言えない、それでも残っている子供たちや戻って来る 子供たちにも娯楽を提供するのは大事なことなんだと思います。
ちなみに映画館の前で線量を計ったらこういう結果でした。
 

 文化の力は復興に必要です。しかし、文化は線量を下げてくれるものでもありません。
東京に比べて南相馬の線量は事実高い。確実な安全が保証できるものでもないのかもしれません。
しかし、それでも南相馬に今も住んでいる人がいて、これからも自分たちの地域をより良いものにしようと日々努力している人がいる。
そこに住むと決意した人が、人間らしい行き方をしようという決意を僕は支持したいと思います。

小さい映画館の小さな活動ですが、その積み重ねが何かに繋がるかもしれない。
当たり前の日常という、かけがえのないものが南相馬に戻って来ることを信じて。

 

不名誉な地として世界に知られたFUKUSHIMA。しかし、 私達は福島を諦めません。故郷を失ってしまうかもしれない危機の中でも、福島が外と繋がりを持ち、福島で生きていく希望を持って、福島の未来の姿を考えてみたい。そのためにも、祭りが必要です、人々が集い、語らう場が必要です。

PROJECT FUKUSHIMA開催主旨より引用 

朝日座の館内でいくつか写真を撮らせていただきました。写真は以下のリンクで公開しています。
http://hotakasugi.tumblr.com/tagged/asahiza 

参考リンク:
朝日座の夜明け 
朝日座を楽しむ会
朝日座を楽しむ会0710.DOMMUNE FUKUSHIMA!
PROJECT FUKUSHIMA!

取材に協力していただいた「朝日座を楽しむ会」の 小畑瓊子さん、ならびに小畑さんをご紹介くださいました「朝日座の夜明け」の高平大輔さんに厚く御礼申し上げます。
それから線量計を快く貸してくださったメディアアクティビストの津田大介氏(@tsuda)にもこの場を借りて御礼申し上げます。 

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