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映画レビュー「少年と自転車」

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Via 公式サイト/

「少年」と「自転車」というキーワードで思い浮かべる映画といえば、やっぱりイタリアン・ネオリアリスモの「自転車泥棒」なんですが、ダルデンヌ兄弟のようなスタイルの映画作家は、当然あの映画を参照しているだろうな、と思います。

もっとも自転車泥棒は、少年よりも、自転車を盗まれた父親の焦りと自分も自転車を盗んでしまう弱さや葛藤に焦点をあてていて、少年はピュアな視点担当のような感じですが、同じ自転車が盗まれるというアイデアを使いながら、ダルデンヌ兄弟は少年の純粋さと残酷さ、危うさなんかも同時に描いています。

この自転車という小道具は青春映画には割とかかせないアイテムの一つで、単にバイクや車は免許の関係で乗れないから、というのもありますが、青春の全力で疾走する感覚というのを表現しやすいんですね。自転車って漕ぎ続けないと倒れちゃうものですから、立ち止まらず前に進み続ける青春の象徴のようによく使われます。

 
日本映画だとキッズ’リターンの自転車の乗り方はよかったですね。変な二人乗りをして、ゆらゆらと進んでまっすぐには決して進まないあの自転車は映画全体を非常に上手く表現していたと思います。
 
そんな自転車を大きく取り上げた本作は、ど真ん中の青春映画です。父から買ってもらった自転車を大事にする少年シリル。あの自転車に固執するのは父親への愛情への飢えの表れでしょう。そんな自転車を金に困って売ってしまう父親は、息子に対して愛情がすでに無いのです。
 
その一方で後に里親となる女性サマンサとシリルを引き合わせてくれるのも自転車です。少年にとって自転車は絆の象徴みたいになっているので、盗まれたら激高するんですね。
 
ラストのシリルとサマンサ二人で川辺を自転車で走るシーンの暖かさは今までのダルデンヌ作品にはあまり見られなかった演出です。二人で自転車に乗る、というのは何であんなに強い愛情を感じさせるんでしょう。車で二人でドライブ、よりもはるかに強い愛情を感じさせます。
 
 
この映画はほとんどシリル少年の一人称のような作りなので、大人たちの思いは背景に遠ざかっています。親から捨てられる、赤い服を着た血気盛んな少年シリルを週末だけの里親として引き取る女性、サマンサもなぜそこまでシリルに対して愛情を持つようになるかはほとんど描かれていません。当のシリルも物語の最後の方まで、そのことに気が向いていないのです。でも、この映画は徹頭徹尾「少年映画」なので、これでいいんでしょうね。愛に飢え、やり場のない怒りを処理することで精一杯のシリルと、その目線と同期する観客。そこに思いを巡らなくてもしょうがない、というかそういう作りにしています。
 
いつも通り、手持ちでの徹底的なクローズアップの連続のカメラは観る人を少年と同じ目線に立たせます。全編通してカメラはほとんど少年と同じ目線に置かれていて、見下ろす俯瞰のショットはかなり少なかったように思います。
そのクローズアップで見続けても少しも飽きさせないほどシリル役のトマ・ドレの演技は素晴らしいです。
 
 
シリルを捨てる父親役はジェレミー・レニエ。彼はダルデンヌ兄弟の劇映画第一作「イゴールの約束」の主人公の少年を演じた俳優ですが、これでダルデンヌ作品は三度目の出演。「イゴールの約束」では、死を看取った男との約束を果たすため、父を裏切らなければいけない少年を演じ、「ある子供」では、子供を授かりさながらも、父親になったことを否定するかのように子供を売りさばく若者を演じた男が、さらに成長しても子供を見捨ててしまう男を演じています。この変遷も何となく意味深ですね。
 
相変わらず完成度の高い人間ドラマでした。派手な仕掛けは何一つない、単純な物語に大きなスリルと感動があります。

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