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2度目の鑑賞、2度目のレビュー「ライク・サムワン・イン・ラブ」

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やたらと何かを遮るものが出てくる映画ですね。

電話とかお隣の変なおばさんとか…

普通の映画だったら、ノイジーな要素として切り捨てられそうなものがこの映画には溢れています。まあ、キアロスタミが普通の映画を撮るはずがないのですが。

映像と音はものすごい美しい。特に音。自然音の使い方が絶妙すぎる。映画を作り方の基本として狭いカメラのフレームの外にもっと世界が広がっていることを見ている人に意識させなくてはならないのですが、キアロスタミの巧みな自然音の使い方は、この映画の世界がどこまでも広がっていて、映画館のスクリーンを見ているのかかどうかわからない錯覚に陥る。まるでカフェの窓際の席から外の世界を見ているような感覚がある。

つくづく映画にとって音は大事だな、と思わせる映画です。映像の美しさは構図や照明などによって決まるが、映像の心地よさは音が作る。

物語全体で何を主張したいかわからなくてもこの音に身を委ねているだけでも十分に見る価値があるようにも思えます。

(C) mk2/eurospace

物語は唐突に始まる。
デートクラブでバイトする大学生、明子(高梨臨)が元大学教授の老人、タカシ(奥野匡)のもとへ派遣される。その日は明子の祖母が上京していて会いたかったのだが、強引にオーナーのヒロシ(でんでん)に仕事をセッティングされてしまう。途中、祖母を一目見ようと駅のロータリーにタクシーで寄るのだが、このタクシーのシーンの美しさがハンパない。祖母の留守電メッセージを聞く明子に写り込む夜の東京の雑踏。祖母の優しげな声と猥雑な都会のイメージのこのギャップ。

タカシの家に付き、仕事モードで世間話をしつつ、さりげなく服を脱ぎベッドに入る明子に手を出そうとしないタカシ。この夜のタカシの部屋でかかるBGMが「ライク・サムワン・イン・ラブ」。エラ・フィッツジェラルドのバージョンだと思う。

翌日、タカシは明子を大学に送り届け、そこで明子の彼氏ノリアキと鉢会う。自動車整備工で働くノリアキ(加瀬亮)は、最近の明子の態度に不満らしく、結婚を考えているのに何を考えているかわからない、と不満を漏らす。ノリアキはタカシを明子の祖父を勘違いし、授業の終わった明子も合流し、3人は車で走り出すが、そこでノリアキが車のドライブベルトの異変に気づく。
この辺の見せ方が、このノリアキもただの粗野で頭の悪い男というだけじゃないところを見せるあたりはさすが。専門の職人にしかわからない音の異変、それに気づいて適切な処置をバキバキとこなすノリアキは、ついさっきまでの彼女の気持ちが何にもわからない男とは一味違っている。

整備が済んだ後、家に帰ったタカシに明子から泣きながら電話がかかってくる。
駆けつけてみると顔を殴られた跡がある。ノリアキの仕業だ。タカシは明子を家に連れ帰るが、そこにノリアキが追ってくる。

この映画、ものすごい唐突に終了します。始まるも終わりも唐突で起承転結の「起」と「結」がないような作品です。

監督は「私の映画には始まりがなく、終わりもない」と語っていますが。本当にその通りの映画ですね。キアロスタミと言えば、素人を俳優として起用し、ドキュメンタリータッチでリアリズムを徹底的に追求する作風で以前は知られていました。始まりがなく、終わりもないというのは、人の人生のリアリティを徹底的に追及した結果行き着いた結果が物語の枠を外すことだったのかもしれません。

それにしても加瀬亮のリアリティは素晴らしい。多分道ですれ違っても気づかないレベル。彼には妙な生活感がって、かれが出てくるだけで映画のリアリティレベルは一段あがる気がする。キアロスタミが彼を使いたがるのはわかる気がする。

今回は2度目の鑑賞でレビューを書くのも2度目ですが、2度見るとやはり1度目とは違うものが見えてきますね。

余談ですが、公開初日に見に行ったので、高梨臨さんと奥野匡さんの舞台挨拶もありました。奥野さんは映画の中のタカシそのままですね。台本も渡されず演技するな、と言われたのでそのままの自分でやりました。演技をしないのは得意です。(笑)などと面白いコメントを残していました。

予告編のこの曲「ライク・サムワン・イン・ラブ」は本編と違うバージョン?

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