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時代を刻印した傑作。映画レビュー「劇場版魔法少女 まどか☆マギカ」

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昨年のテレビ版も見ていて、かなりの衝撃を受けた作品なのですが、今回劇場版としてさらに高密度に凝縮されたものを見たので、レビューを書いてみようと思います。

優れた作品というのは、意図するしないに関わらず、その時代性を色濃く刻印されてしまうものですが、今作もまさにそういう作品。アニメ作品としてはエヴァンゲリオン以来のエポックメイキングな作品じゃないでしょうか。この作品の構成要素はいずれもどこかで見た事のあるような物が多いにも関わらず、それのコンビネーションはその辺の平凡な作品にはたどり着けない地平に着地しています。現実の世界を見事に逆照射して、「ああ、人の世ってこうだよな」と言葉にならないような納得を与えてくれる希有な作品です。

このまどかマギカには、違う自分になれることへの憧れからくる「変身願望」の具現としての魔法少女もの、平凡な日常と世界の終わりのような壮大な話が隣り合わせに展開するセカイ系的なもの、世界を破滅から救う救済の物語と様々な要素の詰め込まれた作品ですが、それぞれが普通の期待とは違う方向へとねじ曲がっていく点に特徴があります。

まず、第一に変身願望。女の子なら化粧に憧れるように変身願望っていうのは身近なテーマであると思いますが、それを具現化したものとして、魔法少女ものは代表的なジャンルです。そういえば秘密のアッコちゃんの返信道具のコンパクトは化粧道具ですね。そうした女の子の変身願望を夢いっぱいに具体化したものが魔法少女ものだったはずです。

このまどか☆マギカでは、そうした憧れは物語の初期で、まさにその憧れであったマミさんが殺され、いきなり頓挫してしまいます。それだけでなく、魔法少女にしか倒せない魔女は、じつは恨みを溜め込んだかつての魔法少女の成れの果てであり、変身願望の憧れが絶望に変わる。魔法少女ものは大抵変身した女の子が呪文かなにかで元に戻って二重生活を送るのが常なのですが、この作品では正確な意味では元には戻れず、ソウルジェムという魂の塊にされてしまって肉体はむしろ抜け殻(ゾンビ)でしかない。
ここでは憧れや、願いは夢や希望といったものとして報われることがない。頑張れば報われる、悪い事をしたら罰があたる、正義は勝つ、悪は打倒される、というような単純な二元論が通じないという点で極めて「リアル」な作品です。希望を信じて魔法少女を待つものは、魔女に堕ちるか、死ぬかのみ。生き続けるには、かつて自分たちを同じものだったはずの魔女を駆逐し続けるしかない。しかも人を襲わせ十分にグリーフシードを溜め込んだ状態まで生かしておきながら。。。。

平凡な日常を送る少女が世界の存亡を巡る闘いの渦中に巻き込まれる点ではこの作品にはセカイ系の要素も色濃く取り込まれています。しかし、セカイ系としてはかなり奇妙な構成で肝心の主人公まどかはこの物語の中ではなかなか魔法少女にならない。タイムループのせいで事情を知るほむらが、様々な方法でまどかを魔法少女になる運命から遠ざけようとしているのですが、ほむらのそうした一連の努力はまるでセカイ系を否定するかのような振る舞いにも身見えます。

そして世界の救済の物語としての要素。これが一番重要な要素となりますが、世界であって「セカイ」では決してないリアリティがここにはあると思います。

キュゥべえが魔法少女にならないかと契約をもちかける最大の目的は、宇宙を存続させるためのエネルギーの確保。彼女達の願いを叶えたいという人間の感情は一つもなく、あるのは100%のピュアな全体主義ともいうべきもの。全体が壊れれば個々人が生きる術はない。だからといって全体のために個を犠牲にすることを僕らの生きる世界は善行とは見なされない。
しかし、こうした全体主義は当然感情を持った人間なら気持ち悪いものとしてみなします。一個の主体的な存在であるはずの自分がただの全体のためのシステムの一部でしかも犠牲とならねばならないことに承服できる人間なんているとは思えません。しかし、このまどマギの世界の魔法少女と魔女の絶望の連鎖はそれ以外の選択肢がない。

全体が壊れれば、当然自分も自分の好きなものたちも生きられない。未来への希望もない。かといって未来を繋げる為に犠牲を強いることに賛同もできない現代社会(と現代人)のジレンマがまどマギの魔法少女システムには凝縮されています。このジレンマにどうしよう、どうしようと手をこまねきながらずっと「先送り」にしているのが今の日本社会でしょう。いや日本社会だけでなくアメリカでも欧州でも同じ事情はあります。

このまどかマギカでも「先送り」にすることはできました。ほむらがまた時を遡ってもう一度やるという形によって。(タイムループで過去に戻るのに先送りという、面白い構造になっている)しかしそうして先送りにし続けた結果、まどかに通常以上の「因果」が集中し、さらに彼女に重い運命を背負わせることになってしまった。

ほむらの行動はある種の先送りだと書きました。そういう側面があることは否めないのですが、彼女の願いと希望はたった一人の親友のまどかを何が何でも絶望の連鎖から救い出すということだけ。そのためだけにたった一人で闘い続ける彼女を責めれる者はいない。なぜなら、一人で何度もまどかの死を目撃してなお希望を捨てない彼女の「祈り」こそがこの先送りをとめ、システムそのものを作り替える力生み出したのだから。

まどかに宿った「因果」は全体のために個(ここでは魔法少女)を犠牲にする世界のシステムそのものを根こそぎ変えてしまいます。その代償としてまどかは存在自体が消え、「概念」となる。不幸なことに概念となっても作り替えられてしまった世界にはその尊い犠牲を語り継ぐ人もいないし、だれもそのことを信じない。唯一まどかの記憶を残しているのはほむらだけ。

しかし、まどかの弟とそして両親(入れ替わった世界では3人家族になっている)の間ではかすかにまどかの痕跡が残っていることが唯一の救いとして提示され、一人まどかの記憶を持つほむらが、まどかのリボンをつけ、弓を手にし、再び戦いに身を投じて幕を閉じます。

魔法少女システムの中では何を願ったところで一度組み込まれてしまえば絶望以外のゴールはありません。この作品の素晴らしい所は、にもかかわらずそこで努力することは無駄とは決して云わない点です。だってシステムを作り替える力をまどかが得ることができたのは、ほむらが決してあきらめない姿勢だったのだから。彼女の繰り返した願いと努力が最後には突破口を作り、それに応えてくれる人がいたから救いがあった。この絆の強さが、ただの先送りを無駄な努力に終わらせず、奇跡を起こす原動力になるというこの仕掛けが脅威の感動を生んでいるのです。

問題を先送りにしてばかりのこの世界かもしれないけど、決して後ろを向かずあがき続ければ、その願いは誰かに届き、少しはマシな世界が作れるかもしれない。この作品は、そういうエールを見る人に送っているんだと思います。

※続編「魔法少女まどか☆まぎか[新編]叛逆の物語」のレビューはこちら。
魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語レビュー。なぜ悪魔は世界に必要か。【ネタバレあり】

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