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世界の美しさは人を救わない。映画レビュー『希望の国』

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キャッチコピーは「それでも世界は美しい」

このキャッチコピーは映画の内容を正しく伝えているような、ゆがめているような非常に微妙なところをついています。

たしかに原発事故が起きて、人々が苦しみ、おかしくなり、責任のなすり付け合いをしている最中にも木は花をつけ、雪は白く美しい。

その意味でたしかにこの作品は「それでも世界は美しい」と云っているようにも見えます。しかし、このフレーズには前向きなニュアンスがあり、その美しさが何らかの救いになりそうな予感を抱かせませすが、この映画においては、その世界の美しさはなんの救いにもなっていないのです。

言い換えるなら、「世界の美しさは人を救わない」という感じでしょうか。

物語の舞台は架空の日本の地方都市、長島県。時代設定は福島の原発事故が起こった何年後かということになっている。物語の中心は、長島県に暮らす老夫婦(夏八木勲と大谷直子とその息子夫婦(村上淳と神楽坂恵)、そして隣に住む息子とその彼女(清水優と梶原ひかり)

老夫婦の家は原発20キロの境目に位置しており、原発事故後も庭の途中で圏内と圏外を区切られてしまう。園監督は、福島での取材で実際に庭の敷地内で20キロ圏内と圏外に分けられてしまった家を見たらしい。そこでは庭の花壇が分断され、圏外の花は燦々と咲き誇っていたのに、20キロ圏内の花は枯れていたらしい。というのもそこのご家族が圏外の花に水をやっていたかららしいが。圏内の花が綺麗に咲いていると立ち入ったことがバレて怒られるかららしい。
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この20キロ圏の境目は、一家の土地を分断するだけでなく、老夫婦と息子夫婦をも物理的に引き離すことになる。
老夫婦は家に残るが、息子夫婦は老夫婦の促しもあって、「もっと安全」な少し遠い土地に引っ越すことになる。

隣に住む若いカップルはデートに出かける最中に原発事故が発生。彼女の家は20キロ圏内で両親ともの行方がわからない。彼氏の両親とともに避難所に身をよせるが、後に2人で脱走し、20キロ圏内へ両親を探しに向かう。

この三組のカップルとそれを取り巻く人々はそれぞれに葛藤しながら様々な決断を迫られることになるのだが、園監督はだれの決断を支持することも断罪することもしていない。

市の職員の再三の説得に応じずにかたくなに家を離れない老夫婦も、市の職員の立場も一様に評価しているように見える。

少し離れた街に引っ越し、妊娠する若い妻は、放射能への過剰な恐怖から防護服に身を包むようになる。夫はそれを異常と思い、いろいろ説得を試みるものの、生まれてくる我が子を守るという「大義名分」の前にはどんな言葉も効果なく説得はあきらめる。それどころかそんな妻の噂が町中に広まり、差別が起き始め、夫もまた妻の考えに傾倒していく。

この奥さんの描かれ方は相当に誇張が入っているのでは、と思う。部屋をすべて密閉し、黄色い防護服を着て外出する人はさすがにいないのではないかと思うが、Twitterなどでも散見される放射能を過剰に恐れる人々の恐怖感を、フィクションの中で集約して描くとこうなるのかもしれない。園監督は、彼女については過剰な恐怖を滑稽さと子供を思う母親の強さを等価値なものとして描いている。

老夫婦が事故後も家に残り続ける理由は、庭に植えられた先祖代々伝わる木だ。夏八木勲演じる男のおじいさんもそのまたおじいさんも、この庭に生きた証として木を植えてきた。そしてその2本の木は20キロ圏内に位置していて、もう触れることもできなくなった。原発事故は20キロ圏内と圏外を物理的に分断しただけでなく、その土地の歴史をも分断したことが示唆される。

大谷直子演じる老夫婦の妻は、認知症を煩い、原発事故のことを認識できていない。ことあるごとに「家に返ろうよ」と云うのは、その時間的な連続性が分断され同じ家に住んでいても同じでなくなってしまったことを的確に表現している。
時折、記憶が少女の時代にまでのぼり、突然浴衣を着て、20キロ圏内に立ち入り一人盆踊りを踊る彼女の姿は風景ともどもものすごく美しい。

それと時を同じくして隣家の若いカップルも20キロ圏内で彼女の両親を探いている。瓦礫と廃墟が雪に覆われ、なんだか幻想的な印象を与えて、取材に基づいたリアルな原発事故後の惨状と人間模様から一歩離れ、映画がファンタジーの世界に迷いこんだかのような印象を与える。実際に2人は存在しないはずの少女の幻想をみたりして、その幻想に導かれるように「一歩、一歩」と歩いていく。どこに向かっているのかもわからないまま。

ご存知の通り、放射性物質は目には見えないものなので、風景を汚すことがない。人間の手が入らなくなった20キロ圏内は皮肉にもけっこう美しいものとして描かれている。しかし、その美しさがそこに生きていた人々を救うことはない。癒しすら提供しない。

老夫婦は最終的には庭の木を燃やし、自らその土地の歴史を終わらせる。

その息子夫婦は防護服のいらない(?)さらに遠い土地に引っ越す。初めて奥さんが防護服を脱いだ時、非常に晴れやかな表情を見せる。その後無事に子供を出産し、やっと差別も過剰な放射能への恐怖もない平穏な暮らしを手に入れた2人。

どこかの海岸で楽しそうに遊ぶ家族。
しかし、突然バッグの中のガイガーカウンターが振り切れる。それに気づいたのが夫だけ。そのことを妻に知らせなかった。ガイガーカウンターを信用するなら、その海岸には強い放射能があることになる。でもそのことをごまかし、「平穏」な生活を選択する夫。これからも彼はその平穏な家庭を守るためにごまかし続けるのだろう。

それでも問答無用に海岸の砂浜と海が美しい。ガイガーカウンターの真実(?)を隠し、いい笑顔を浮かべる夫の表情に何とも云えない気分になる。園監督のこの家族の描き方は本当に上手いと思う。
奇妙なサーカスでも紀子の食卓でも愛のむき出しでも「平穏な日本の家族」の嘘臭さを描いてきた園監督ならではの描写だと思う。

これからもごまかし続け、一歩、一歩と着実に歩めば日本は再び良くなるんだろうか。それは誰にもわからない。そのわからなくて迷子になった日本の今の感覚をこの映画はとてもリアルに捉えていると思います。

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