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サイの季節。詩的なデジタル画で語られる愛憎劇

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クルド人の映画監督、バフマン・ゴバディの新作「サイの季節」を見てきた。この監督のタイトルにはなぜか動物名が入ることが多く、とても印象に残るフレーズ。(酔っ払った馬の時間、亀も空を飛ぶ、ペルシャ猫を誰も知らない)タイトルを一読してどんな作品だが掴めないけど、妙に耳触りがいいタイトルが多い。詩的な才能があるのだろうなと思う。で、今回の動物はサイである。そして詩人が主人公である。バフマン・ゴバディ監督は元々、ストーリーから切り離されたイメージ映像に特徴のある監督。理屈で構成された作品というより、散文のようにイメージをつなげて一本の映画にするようなタイプだ。なので詩人という題材は監督にとって相性のいい題材だろうと思う。

イメージ映像によって表現するのはもしかしたら別の理由もあるかもしれない。イラン国籍でクルド人であるバフマン・ゴバディ監督は、前作「ペルシャ猫を誰も知らない」を撮影したことが原因で政治亡命中だが、政府批判などの表現の自由が認められない国では、直接描くと世に出すこともできない題材がある。中国などもそういう国の一つだが、今でこそ国策映画も撮るチャン・イーモウなどの中国第五世代の監督たちは、イメージや色彩による暗喩表現に磨きをかけ、世界的な評価を得た。ゴバディ監督のイメージによる表現も、直接描けないものを描くために発達したものかもしれない。

本作は、イラン革命の際に政治犯罪で30年間投獄された詩人サヘルが、釈放されるところから始まる。長い獄中生活と拷問で感情を失ったかのように終始無表情の彼だが、生き別れの妻との再開という希望を抱いている。しかし、妻ミナには、別の男の影がつきまとう。その男はサヘルを刑務所においやった張本人であり、それはミナへの愛ゆえの行動だった。そんな3人の愛憎劇が過去、現在、イメージ映像を行き来して語られる。
イラン革命時にサヘルとミナを引き離した男は、雇われの運転手であったが、革命を機にかなりの地位を得たようだ。その権力を用いてなんとかミナを自分のものにしようとしていく。こうした事例は実際にあったらしく、本作のパンフレットで東京新聞の田原牧氏が、「革命直後、髭を伸ばして敬虔な信徒のふりをすれば、役所の上級職員にも就けた」という地元の老人(当時)の言葉を紹介している。本作が描くのは、革命による激動の時代が生んだ悲劇でもある。監督は革命を喪失感とともに捉えているように思える。主要登場人物たちは、革命に翻弄されたが、結局のところ何も得たものはない。あるのは失った悲しみだけ。
見渡すかぎり何もない荒涼とした大地に突然現れるサイの群れ。それを主人公が轢き殺してしまうイメージシーンが挿入される。サイはなんのイメージだろうか。主人公のモデルとなったサデッグ・キャマンガールも「サイの最期の詩」という詩を残しているらしいが、監督がなぜサイなのか尋ねたら、「サイは首がないから左右に曲がれず、真っ直ぐにしか走れない。戻る道がない自分と同じなんだ」と語ったという。(パンフレットより)

本作は、そんな暗喩的表現にあふれている。一つ一つのショットが絵画のように美しいので、見ているだけでも眼福。撮影監督のトゥラジ・アスラ二の名前は覚えておこうと思う。

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