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映画『パティ・ケイク$』とヒップホップシーンのマイノリティ

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ヒップホップカルチャーのミソジニー

 今年の2月、ある一人のラッパーについてこんなニュースがあった。

「フリースタイルダンジョン」でシーンのミソジニーを喝破したラッパー・椿の“人生を使ったカウンター” – wezzy|ウェジー

 テレビ朝日のMCGバトル番組『フリースタイルダンジョン』に出場した椿という女性ラッパー(こう書きたくたいが書かないとなぜこれがニュースなのか伝わりにくいので、申しわけない)の椿がラップシーンにおけるミソジニーをMCバトルにて糾弾したというニュースだ。

 よく知られているように、ヒップホップカルチャーを育んだのは、黒人男性のコミュニティだ。アメリカ社会でマイノリティである黒人による世間への反逆精神が根底にあるが、ヒップホップコミュニティの中においては、黒人男性こそがマジョリティである。

 映画『ムーンライト』が描くように、黒人男性社会は、極めて「男らしくあること」が重要視され、ホモ・ソーシャルな的な結びつきが強い。そういうコミュニティでは、しばしばホモフォビアやミソジニーがつきまとう。ヒップホップカルチャーは少なからずそういう黒人男性社会の性質に影響を受けている。

 前述のインタビュー記事で椿はこう語っている。

――第一回CINDERELLA MC BATTLEの最後のフリースタイルで、「女がHIPHOP語んじゃねえって言われて殴られて正座させられて水をかけられた」という衝撃的なエピソードが出てきました。この話について詳しくうかがってもいいですか。

椿:それも多分15歳の時……ちょうど初めてライブをしたぐらいの時期ですね。嫌な記憶です。これは一つのエピソードではなくて、バラバラの記憶の集合体なのですが、先輩に借りたHIPHOPのCDを返しますと電話したら、先輩の方から受け取りに来てくれたんです。それを聞きつけた怖い先輩が「先輩から借りといて自分で返しに来んとかどういう事だ」と怒って……深夜のダムに呼び出されたんですよ。行ったら男の先輩が20人くらいいて、「正座しろ」みたいな……。

この人は私の揚げ足を取りたいがために粗探しをしてこの話を持ち出してきたと分かっていたので、何しても無駄だと思いました。たまたま私が借りていたのがHIPHOPのCDだったので、「大体お前、HIPHOPとか聞いてラッパーかぶれみたいなことをやってるかもしれんけど、HIPHOPは男の土俵やけんな」「お前とか無理やろ」って詰められたんです。

 そんなミソジニーまみれの世界でも、それでも彼女がこの世界で戦い続けるのは、ヒップホップにあるルーツをこそ信じるからだ。

ほとんどの先輩は女がラップすること自体よく思っていませんでした。「HIPHOPは男の土俵やから無理やろう」って言われて。ただ一人、本当に理解してくれてる5個上の先輩に「女に生まれなければ良かったです」って毎日言ってたら、「HIPHOPってどういうところから生まれたか知っとる?」という話をしてくれたんですね。私が今差別を感じている意識も、HIPHOPだったら生かせるんだってことを教えてくれたのはその方なんです。

 
 本作の主人公は、白人の太った女で、その相棒はインド系の青年だ。このキャラクター造形は、マイノリティの黒人がむしろマジョリティであるヒップホップシーンであることの裏返しだろう。そして、シーンが成熟した今、反抗の文化であるヒップホップの精神を最も力強く歌えるのはだれなのか、ということを考えさせられる。

(C)2017 Twentieth Century Fox

パティが戦うのはミソジニーだけじゃない

 23歳のパティはニュージャージーで酒浸りの元ロックシンガーの母親と、車椅子の祖母の3人で暮らしている。掃き溜めのような街から抜け出すことを夢見つつも、踏み出せずに悶々とする毎日。彼女を支えているのは大好きなラップだけ。映画はそんな彼女が夢の舞台に挑戦するまでを描く。

 本作の主人公、パティもまたヒップホップのルーツに魅せられた人間だ。この映画は差別批判を全面に押し出してはいない。パティは貧困や母親との確執など、あらゆる面から押さえつけられている。ジェンダー問題を扱っていないわけではもちろんないのだが、それを声高に言うわけでもない。この映画はむしろその態度が、とても潔い。

 椿もただ一人のラッパーとしてステージに立ちたいのだ。でもどこに行っても「フィメール」ラッパーと言われるらしい。別にミソジニーと戦いたくてラップをやっているわけではないだろう、ただ「ラッパー」でありたいのだ。

 本作は、ダンボなパティが一人のラッパーとして成長する物語と言えるだろう。女だから、デブだから、そんなくびきをぶち折り進んでいく物語だ。

(C)2017 Twentieth Century Fox

 パティが戦わないといけないのはミソジニーだけではない。それは彼女を破らねばならないもの一つに過ぎない。母親の呪縛、掃き溜めのような街から出られない呪縛、それから貧困などあらゆるものを彼女は打破せねばならない。

 パティのリリックは、単なる女から男へのカウンターではない。彼女が歌うのはもっと純粋な自由の希求だったり、反逆心だ。だから胸打たれる。

誰もが自分に正直に生きたいと思っている。でも、いろんなものに押さえつけられてそれができない。『パティ・ケイク$』はそんな弱気の背中を押してくれるだろう。
 
 劇中のPVが公開されているので、是非観てほしい。

 
黒人以外のラッパーを扱った作品では、4人のアジア系アメリカ人ラッパーを追ったドキュメンタリー『バッドラップ』などがあるので、この映画が気になった人はそちらもおすすめする。Netflixで視聴可能だ。この2本は、ヒップホップの精神は黒人だから、男だから受け継がれるものではないということがよくわかる。

 

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