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技術は人を幸せにするためにある。父の実話を映画化した『ブレス しあわせの呼吸』Pに訊く

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「この世で誰かが不自由ならば、それは科学技術の怠慢…」

 何年か前にバズったツイートに、普段メガネなしでは生活できない筆者もいたく感心した。技術の発展はなんのためにあるのかと問われれば、人の幸せや自由に寄与するためだろう。

 9月7日から公開の映画『ブレス しあわせの呼吸』は、テクノロジーの発展と人の幸福についての実話を描いた作品だ。

 1950年代、ポリオを発症し全身マヒとなったロビン・カベンディッシュ(アンドリュー・ガーフィールド)は寝たきりの生活となり絶望するが、病院の外に出て自由に生活したいと強く望み、大学教授とともに呼吸器付きの車椅子を開発する。寝たきりとなり、余命数ヶ月と一度は宣告されたロビンは自らの発明品のおかげで外出できるようになり、念願だったスペインやドイツへの旅まで実現していく。

 本作は、プロデューサーのジョナサン・カベンディッシュの父の実話を映画化したものだ。ロビン・カベンディッシュは、自らの車椅子の開発に成功した後、多くのポリオ患者のために改良モデルを作り続けた。さらに、障害者が操作できる電子装置の開発などにも携わり、障害者の生活向上に大きく貢献し、1974年には大英帝国勲章を授与されている。

 映画は、障害を科学技術で乗り越えるロビンと彼を支える妻のダイアナ、そして息子のジョナサンとの家族愛を中心に、前向きに生きることの素晴らしさを説く。そして科学技術の発展が人の幸せにいかに大きく貢献し得るかを描いた作品でもある。

 しかし、本作はそればかりに留まらない。ネタバレになるが、映画の最後には大きな論争の的になる要素を用意している。プロデューサーのジョナサン・カベンディッシュに、本作への思いについて話を聞いた。

 
※後半の見出し「父の最期について多くの人に議論してほしい」以降は結末にふれる部分があるので、ネタバレを回避したい人はこの記事の後半部分は映画を観た後に読んでほしい。


 

父は科学技術で障害者の人生を拡張できると考えた

――この映画は技術の進歩と人の幸福の関係を描いていると思います。あなたの父は、テクノロジーの発展に関して、どんな哲学を持っていた人なのですか。

ジョナサン・カベンディッシュ(以下ジョナサン):父は軍隊での6,7年の経験もあってか実利主義的な人でした。軍隊でエンジンの組み立て方を学んでいたので、手先も器用でしたね。父は、技術で障害者の人生を拡張していけると考えたんです。それに、ただ寝たきりの状態で患者を抱え込むより、外に解放したほうが国の負担だって少ないはずとも考えていたようです。患者の生活の質も向上しますし、まさにウィンウィンの関係だと。

 父は、技術の進歩は現状を打破するためのものと考えていて、まさにそれを自分の人生で実践したわけです。

 テディ・ホール(ヒュー・ボネビル)との出会いも重要ですが、もともと友人だった訳ではないんです。彼はオックスフォード大学の機械工学の教授だったので、「この人は使えるかも」と思って近づいたようです。父のアイデアはとてもシンプルなものでしたが、当時はあんなものは存在しなかったので自分で作ることにしたんです。

ジョナサン・カベンディッシュ(左)

――障害という決して軽くはない題材を含んだ作品ですが、ユーモアにも溢れています。この映画にとってユーモアはどういう大事さがあるのか教えてください。

ジョナサン:とてもイギリス人らしいユーモアセンスを父も母も、それから父の友人たちも皆持っていました。

 映画の中に、双子の叔父が予約したホテルのドアのサイズを測り忘れて、車椅子が通れないのでドアを取っ払ってしまうシーンがありますが、あれは事実です。(笑) そういう「本当にやってしまう」プラクティカル・ジョークが好きな人でした。障害を持つ前も後でも、父はそういう人でした。

 
――お父さんから教わったことで一番印象に残っているものはなんでしょうか。

ジョナサン:苦労はあっても、そういう素振りを見せずに人生を楽しみ、謳歌する、そして人間関係を大事にするということですね。

 父も母も表向きはあまり苦しい素振りを本当に見せませんでした。本当は大変だったということは、私は後になって気づきました。

 

父の最期について多くの人に議論してほしい

 
以降、ネタバレがあります。
 

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――この映画は尊厳死の問題に踏み込んでいます。障害を前向きに克服する物語は、多くの共感を呼ぶと思いますが、尊厳死は非常に論争的なテーマです。そこまで映画に含めようと思ったのはなぜでしょうか。

ジョナサン:父の最期のシーンについては、相当意識的に前面に押し出したつもりです。私が見せたかったのは、父はあくまでも自分の意思で人生を選んだのだということです。父の晩年は、しょっちゅう吐血する状態で、本人も母も生活の質が保てそうにないという中での決断でした。

 父は死に方に関して、どのようにするのか一人で考えました。最終的には家族である母と私に許しを得て行ったわけですが、そうやって人生の最期を自分で選んだから友人にも別れを告げることができましたし、穏やかにこの世を去ることができたのだと思います。

実際のカヴェンディッシュ家

 現代は、寿命が長くなり人生の幕引きをどうすべきか、多くの人が議論するようになりました。そういう現代だからこそ、父のような考え方もあるんだということを見せるべきだと思ったんです。

 もちろん、父の考えに反対する人もたくさんいるのは私も理解しています。だからこそ、このことについて議論してほしいのです。この映画がこれまでの尊厳死を巡る議論に、新しい視点を加えることができたのなら幸いです。

 

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