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軍服だけで権力を手にした男の驚くべき実話。映画『ちいさな独裁者』監督インタビュー

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 少し皮肉を交えて言うと、2月8日から公開される映画「ちいさな独裁者」ほど、身だしなみの大切さを痛感させる作品はないかもしれない。

 舞台は第二次大戦末期。若い脱走兵ヴィリー・ヘロルトは道端に打ち捨てられた車の中からナチス大尉の軍服を発見する。暖を取ろうとそれを着た矢先、別の脱走兵から本物の大尉と間違われ、彼を部下とする。これに味をしめたヘロルトは、次々と脱走兵を束ねて自分だけの部隊「ヘロルト親衛隊」を結成する。やがて、ヘロルトの部隊は政治犯や脱走兵を収容した施設に到達する。そこでヘロルトは強大な権力を行使し、恐るべき命令をくだす。

 本作の物語は実話に基づいている。主人公のヴィリー・ヘロルトも実在の人物で、映画の中で描かれた恐るべき事件のほとんどは実際に起こった出来事だ。ただの脱走兵でしかない男が、軍服を身にまとうだけで権力を手に入れ、恐るべき暴君に変貌した。そして、彼のことを疑いもせず服従する者が何十人もいた。

日本版のメインビジュアルが見事だ。主演俳優の顔を大胆にカットし「主役は軍服」であることを強調している。

 本作を観ると、人間という存在の不確かさに目眩がする。一体、普段自分が信じているものがなんなのか、すべては儚い幻想ではないのかと戦慄する。

 本作の監督、ロベルト・シュヴェンケに本作について話を聞いた。

 

ヘロルトは特別な人間ではない

ロベルト・シュヴェンケ監督

——ヴィリー・ヘロルトという男は、大尉の軍服を着る前はどんな人物だったのでしょうか。後の残忍な行動につながる兆候などはあったのでしょうか。

ロベルト・シュヴェンケ監督(以下ロベルト):映画を作るにあたり、たくさんリサーチしましたが、戦前のヴィリー・ヘロルトにそうした兆候は見つけられませんでした。彼は戦争前は煙突掃除の見習いをしていました。19歳の時に徴兵されて、激戦区のモンテカッシーノにパラシュート舞台として配属されています。

 彼はサディストでもなければ、イデオロギーに染まりきった人間というわけでもありません。ヒトラー・ユーゲントをクビになっていますし、ナチスに心酔しているわけでもないでしょう。どうやらカウボーイごっこをして遊んでいたらしく、それがナチスの思想にそぐわないということでクビになったらしいです。もしかしたら、彼にとってはすべてがそのようなごっこ遊びだったのかもしれませんね。

 
——映画を観てミルグラム実験を思い出しましたが、意識されましたか。

ロベルト:ミルグラム実験は、電気ショックを用いるなど実験方法に問題があるものですので参照していません。私が参考にしたのは、ナチス党員の日記や手紙です。

 スタンフォード監獄実験やミルグラム実験よりも、ベトナムのソンミ虐殺の方が、この映画の状況に近いと思います。あの虐殺は必要のないものでしたが、あれに関わった誰か1人でも「ノー」と言えば止めることができたはずです。しかし、誰も「ノー」と言わなかった。関与した人間、それぞれに理由はあると思いますが、それは皆の選択の結果としてあのような虐殺が起きてしまいました。人間にはそうした獣のような本能があるのです。だから、誰でもそうした行為に加担してしまう可能性があるのです。

 

これは演技とは何かについての映画でもある

主演のマックス・フーバッヒャー。軍服を着ていない時は純朴な青年に見える。
© 2017 – Filmgalerie 451, Alfama Films, Opus Film

——ヘロルトを演じたマックス・フーバッヒャーには、どのような演技の指示をしたのでしょうか。大尉を装う男を演じているというより、途中から大尉そのものを演じているような印象を受けました。

ロベルト:私にとって演技とはイリュージョンです。役者は2つの役を同時に演じることはできないものですが、変容していくさまを順番に演じていくことは可能です。ヘロルトは軍服を見つけた時から変わっていきますが、それは彼の中に、大尉としての新たな人格が生まれたということです。この映画は、その2つの人格がだんだんと重なり合っていく様子を見つめたものなのです。ですので、撮影はシーン順番どおりに行い、どのように彼自身が変わっていくのかを様子を見ながら進めていきました。また物語のどの時点がヘロルトがどのような状態であったかを明確に決めておき、俳優はそれに沿ってクリアに役作りできるようにしました。

軍服に身を包み不敵な笑みを浮かべるマックス・フーバッヒャー
© 2017 – Filmgalerie 451, Alfama Films, Opus Film

——ナチスの軍服について質問です。改めて見ると大変クールなデザインです。このデザインそのものに人を狂わせる何かがあると監督は考えますか。

ロベルト:はい。ナチスの軍服はノーブルで権威を感じさせます。とても厳格で秩序のあるデザインだと思います。軍服のデザインをするというのはとても恐ろしいことだと思います。デザイナーも軍服のデザインひとつで人を変えてしまうことがあることを自覚してやっているのではないでしょうか。

© 2017 – Filmgalerie 451, Alfama Films, Opus Film

——衣装と人格の関係という点について考えると、映画の撮影では衣装による人格の変化が日常茶飯事と言えないでしょうか。俳優は衣装を身につけると気持ちが入りやすいものだと思います。

ロベルト:おっしゃるとおりです。この映画はある意味では演技とは何かについての映画でもあります。私にとっては馴染み深い世界の話でもあるんです。俳優にもタイプがあるのですが、今回の作品で言えばヘロルト役のマックスは衣装によってその人物に入り込むタイプでしたが、アレクサンダー・フェーリングは着るものは関係ないといった感じでしたね。しかし、一般的には多くの俳優は衣装を役柄の理解の手がかりにするもので、衣装を見て「ああ、この役はこういうタイプなのか」と理解が進むことはよくあります。

© 2017 – Filmgalerie 451, Alfama Films, Opus Film

 
 権力という目に見えない幻想を人間はたやすく信じてしまう。しかし、そんな目に見えないものが存在するという前提で、人間の社会は営まれている。社会は確かにそうした幻想を必要としている。時に権力構造は秩序を作り出し、時には本作の物語のように混沌を生み出す。たったひとつの「服」を引き金にして。

 筆者は、この映画を観て『カエアンの聖衣』というSF小説を思い出した。「服は人なり」という哲学で作れらたカエアン製の衣装は、着る人の外見だけでなく、内面や肉体面をも進化させる、というユニークな設定のSFなのだが、この映画を観ると、その荒唐無稽な哲学も俄然信憑性を帯びてくる。人格というものは、自分で思っているよりもコントロールできないもので、様々な外部環境に左右されるものなのではないだろうか。自分のすべてを自分でコントロールできると考えるのはうぬぼれなのだ。

 
 

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