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京都アニメーションについて、事件ではなく作品とともに記憶してほしい

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 リアルサウンド映画部に、京都アニメーションについて書きました。

 “世界を肯定する力”をくれる京都アニメーション その卓越した技術が伝えてきたもの|Real Sound|リアルサウンド 映画部

 この記事を書く時に考えていたことについてここに記しておきます。

 事件があって以降、ジョン・レノンの殺害事件について調べていました。別に、京都アニメーションとジョン・レノンを比べているのでも、並び称しているわけでもありません。そもそも人の悲しみにも悲劇にも、序列なんてつけようがないと思っています。事件そのものについて調べていたのではなく、あの痛ましい事件を当時のファンの人たちはどのように受け止め、どのように乗り越えようとしたのかを調べようと思ったのです。

 しかし、なかなかそういう情報は出てきませんでした。出てくるのは、犯人のマーク・チャップマンのことばかり。ポール・マッカートニーやオノ・ヨーコが今、あの事件をどう感じているかなどは出てくるのですが、ファンは当時どうしていたのだろうという情報は、なかなか見つけることができませんでした。当時の音楽雑誌などには、そうした記事も多数掲載されていたのかもしれませんが。

 今、あの事件で顧みられるのは、犯人のことばかりなのだろうか。それはなんだかとても悲しいことのように僕には思えました。

 京都アニメーションを巡る報道も、犯人と京都アニメーションのか細い(あまり重要とは思えないような)接点を探そうというものが多くなってきました。デマも増えてきました。僕らの社会は、京都アニメーションについてどう記憶していくのでしょうか。

 たくさんの事件報道がなされ、メディアに対する不満やデマがつぶやかれる日々を見るにつけ、今後、京都アニメーションは、まず第一にこの事件とともに人々の記憶に残ってしまうのだろうかと思いました。僕らが京アニと聞いて、真っ先に思い出すのは、美しい作品ではなくて、この事件になってしまうのだろうか、と。

 それはあまりにも寂しいことではないでしょうか。

 事件後、京都アニメーションの作品をいくつか観直していました。京都アニメーションの作品に描かれた風景の美しさはそれでも不変でした。あの理不尽な惨劇に負けずに、美しさを保ち続けることができるほどに素晴らしい作品を作っていたのだと実感しました。

 あのような事件、忘れることはできるはずもありません。だけど、僕は、京都アニメーションの名前を、事件とともに記憶してほしくない、その作品の素晴らしさとともに記憶してほしい。事件があろうと、なかろうと、京都アニメーションの作った作品の素晴らしさは不変であるはずです。

 この記事を書いたことは、事件が前提ではあるけれど、事件について触れずにおこうと思いました。京都アニメーションとは、多くの人々が知るに値する素晴らしい作品を作る人たちだから。

 
 
 ジョン・レノンについて調べていて、ようやく当時のファンについて書かれた本を見つけました。『永遠のジョン・レノン』という本ですが、ジョン・レノンが殺害されたその日、1000人以上のファンが集まり、夜通し彼の死を悼み、いつまでも帰ろうとしない彼らに、オノ・ヨーコがどうか家に帰って彼の平安を願ってほしいと諭したことなどが書かれていました。

 また、スティングは彼の死を知った時、「彼のような人が死ぬと、風景が変わるんだ。山が消えて、川がなくなる」と当時の心境を語っていたそうです。
 
 京都アニメーションにあのような悲劇が襲って、僕もどう受け止めたらいいのかわかりません。どう悲しんだらいいのかわからない。スティングの言うように、世界の風景が変わってしまったかのように感じられます。

 僕が唯一知っていることは、京都アニメーションの作る作品が素晴らしいということです。ならば、それについてのみ、書こうと思いました。一人でも多くの人が京都アニメーションのことを、この事件ではなく、作品の素晴らしさとともに記憶してくれることを願っています。
 
 
 9月6日から、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形 -』が予定通り上映されることが発表されました。これまでも、京都アニメーションの映画は欠かさず観てきました。いつもどおり、僕は必ず観に行きます。

 

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