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『鬼滅の刃 無限列車編』の悪役、猗窩座について書きました

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 アニメ!アニメ!の敵キャラ列伝の連載で、『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編」の「真の悪役」と言える猗窩座について書きました。

 「鬼滅の刃」強さは“人を守るため”の煉獄とは真逆…極端過ぎる“弱肉強食”の価値観を持つ悪役・猗窩座 | アニメ!アニメ!

『鬼滅の刃』の悪役について取り上げるのは、無惨に続いて2人目です。ちょうど映画が大ヒット中で、キービジュアルにも登場したタイミングなので、ここで取り上げてもいいかなということで。

 本作に登場する鬼の中でも異色というか、真っ向勝負タイプのステゴロキャラである猗窩座ですが、彼の過去の話なんかも知ると、映画の印象も変わってくるかなと思います。映画のあの結末がよりやるせないものに見えてきますね。

 原稿を書くにあたり意識したのは、力とはどう使うべきなのかということ。煉獄と猗窩座は、力の使い方に関して、正反対の価値観を持ちますが、本当は猗窩座も煉獄のようになれたチャンスがあったんだということを知ると、映画は一層感動的で複雑なものになるかなと思います。わかりやすい対立を描いているように見えて、その実裏には複雑なものがあったのだという感じで。

 ちなみに、猗窩座の声優が石田彰さんだったのは、個人的に驚きです。ステゴロキャラに石田さんは珍しい組み合わせかなと思います。上弦の弐が石田さんでくるかもと予想していたんですよね。でも、猗窩座の石田さんはとてもよかったと思います。

 以下、原稿作成時のメモです。

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Intro
鬼滅の刃劇場版の敵役、あかざ、唐突に登場して煉獄さんと戦うこの男

映画の真の主人公が煉獄なら、真の悪役は猗窩座か。

鬼になれと誘ってくる。強いものには敬意を払い、弱いものをさげすむ。弱者切り捨ての価値観が煉獄たちと正反対

ステゴロで肉体一つで挑んでくる。小細工よりも真っ向勝負を好むタイプの悪役。

 
Body1 弱者を切り捨てる思想
冷酷に弱いものを軽蔑し、強いものだけをリスペクトする思想。
17巻の丹次郎とのやりとりや、8巻煉獄とのやりとりを引用する

弱者を切り捨てる価値観・・・弱者を切り捨てるのは自然の摂理だと言う。

弱肉強食の考えが、煉獄たちと対照的で、映画ではわかりやすい対立が描かれる。

 
Body2でも本当は、煉獄たちと同じ考えの人間だった
人間時代の、病気がちの父のために薬を持ち帰るために戦い、拷問にも我慢するような人間だった。

そして、愛する人を得て守るための力を得た、はずだった。
猗窩座は、強い者は弱いものを守るために力を使うということを知っていた。それは煉獄や丹次郎と同じ考えだった。


でも卑怯な手段で愛する人を失ってしまった。。。「卑怯者」という言葉に特別に反応するのはこれが理由か。

本当に紙一重の差で、丹次郎や煉獄とあかざは道が別れてしまったのではないか。

鬼になっても、女を殺さないし、食わないポリシーを持っていた。

本当は近い価値観を持っていた煉獄と猗窩座がどうして殺しあうことになってしまったのか、その運命が切ない。

—–
 
 メモ、終わり

 資料となるのは、劇場版と単行本8巻、そして17巻、18巻ですね。

 煉獄と猗窩座の対立は、力をどう使うべきかという対立で、これは『鬼滅の刃』全体で大変重要なテーマになっています。命をかけても立身出世とは無縁の鬼殺隊(何せ非合法組織ですし)で、命がけで戦うのはそもそもなぜか、ということを煉獄は体現していましたし、猗窩座は力は己を高めるためにあるんだと言います。利他的な価値観と利己的な価値観の対立です。

 しかし、利他的な価値観を持っていた時代が猗窩座にもあり、それは本当に紙一重の差で入れ替わってしまうものなんですよね。本当に皮肉なもので、大正時代は現代よりもそういう理不尽な運命がたくさんあったろうだろうと思います。

 猗窩座について考えると、『無限列車編』の映画は一層感動が深くなると思います。

 
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