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短期集中連載、3つの「シン」から読み解く『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を書きました

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 SPICEに『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の短期集中連載(全3回)をやりました。

 こちらはその第一回です。

 【短期集中連載】3つの「シン」から読み解く『シン・エヴァンゲリオン劇場版』 親と子の物語はいかに決着したのか | SPICE – エンタメ特化型情報メディア スパイス

 連載なので、何かコンセプトを考えないとなと思い、3本、同じ作品について書くので視点を変えられるコンセプトがいいだろうと考え、「シン」をいろんな「シン」に解釈して、その視点から読むというものにしてみました。

『シン・ゴジラ』の時に庵野秀明監督が、神でも真でも新でも観た人が好きに解釈して構わないとおっしゃっていたので、今回の「シン」もそうだろうと思ったので。

 選んだ「シン」は「親・sin(罪)、進」の3つです。これなら内容被らないんじゃないかと考えました。「進」は最後にして前向きな印象で終わろうと考えました。

 1本目は「親」です。

 以下は、原稿作成時のメモと構成案です。
 

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1本目「親」エヴァンゲリオン

こちらは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が親というものをどう描いたかを書く

親との戦いを完遂したシン・エヴァンゲリオン劇場版
そもそも、エディプスコンプレックスを描いた作品であることは明白だった。

シンジとゲンドウ、ユイとのエピソードで印象深いものを

父殺しの物語として、旧劇よりもはっきりとゲンドウが対立相手として提示された。

親になることの素晴らしさを前半(第3村)で描いていた。。。トウジと委員長のエピソード
前半の描写こそ最大の旧劇との違いであり、庵野監督の成長を示すエピソードであり、旧来のエヴァファンが違和感を持つ瞬間でもあるかもしれない。

庵野監督は、教祖になるのが嫌だった。。。教祖とは親のようなものか。

ゲンドウの精神世界が大量に描写されたのは始めてだった。。。これを真正面から描いた
ゲンドウは何を抱えていたのかをもう一回見て確認する

シンジはいかに父親を乗り越えたか。。

父と子の対決を最終章にきちんと持ってきたのが、本作が完結できた大きな要因だ。謎がどうとかよりも精神的な結末を迎えるために絶対に必要なことだった。

1話では、父との拒絶から始まる。。。ここに決着がついたからこそこれは完結できた。
 
 

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シン・エヴァンゲリオン劇場版の親のポイント
碇ゲンドウ・・・父殺しの物語は完遂された
葛城ミサト・・・・母親代わりに最後の最後になれた

トウジとヒカリ。。。普通の家庭の普通の家族のささやかな生活を体現

母(代わり)が送り出し、父親を殺しにいく話として構成された

 
 
Intro
庵野監督は、『シン・ゴジラ』の時、「シン」の意味を問われて好きに解釈してもらって構わないと語った。

今回の「シン」も自由に解釈できる余地を残しているだろう。そこでこの短期集中連載では、筆者が考える3つの「シン」を取り上げ、それぞれの観点から本作について語ってみることにする。

選んだ3つは「親」「sin」「進」だ。一回目の今回は「親」エヴァンゲリオンについて語ってみることにする。

 
 

Body1 エヴァシリーズにおける親の立ち位置

エヴァンゲリオンは親と子の物語だった。物語の上でもそうだが、イメージの上でも親と子の肉体的・精神的なつながりを想起させるものが数多くあった。

エヴァのエントリープラグ内に子宮のイメージ、アンビリカルケーブル(へその緒)、母親の魂など。

旧劇で描かれる親子関係は大抵、あまりよくない。主人公の親子しかり、赤城親子しかり、葛城ミサトも父を恐れていたことを示唆していた。エヴァシリーズの中で親子関係は大抵歪んでいた。

本作冒頭の第三村の描写はこれまでのエヴァになかった要素が満載だ。その中で中心的な位置を占めるのが生まれたばかりの赤子を育てるトウジとヒカリの夫婦だ。普通の人々のささやかな暮らしが描かれる村のシーンで、この2人も健康的な家族の象徴のように描かれる、
サードインパクト後の苦難の中で結ばれた2人。ニアサーも悪いことばかりじゃないとケンスケがいう。未曾有のカタストロフが健全な親子のあり方を産んだということは、シンジの中にどんなインパクトを与えただろうか。2人はこれまで描かれなかった健全な親子の姿を示していた。

 
 
Body2葛城ミサト
この世界にも健全な親子関係があると描かれたことは、旧来の登場人物における親と子の関係の描写にも変化があることを気づかせてくれる。

葛城ミサトは物語を通して、主人公の保護者となる。自身も父との葛藤を抱えていたミサトもまた、少年のシンジとの接し方、距離感を測りかねていた。その彼女に加治との子どもがいることが今回判明する。

14歳の息子に名乗らないでいるミサトは、シンジと息子を重ねている。その結果が今回のミサトは最後の最後にシンジの母親として見事な役を果たすことになる。

旧劇の時は母親になり損ねた。大人のキスまでしてしまった。あれでは母親というより、男と女だった。

印象深いのは旧劇と全く同じ、シンジをかばって銃にうたれながら、女になったミサトと対照的に母親としてに顔を今回は見せることだ。
最後まで自分の管理下にあると宣言するミサトは、艦長というよりも保護者としての顔をしていた。

今作では父親と対峙するために息子シンジの背中を押してくれていた。

 
 
Body3 碇ゲンドウ、父殺し

子が父親にできるのは、肩をたたくか殺してあげるだけよ」とミサトはシンジを送り出す。

その先にいるのは、言うまでもなく父親の碇ゲンドウだ。エヴァの第一話は2人の対立から始まる。父にエヴァに乗らないなら帰れと言われて、いらない子なんだと苦しむシンジの心の成長こそが物語を牽引してきた。

今作がすっきりと完結したと思える最大の要因は、この親子の対決に決着がついたからだ。

旧作では最後に対決が描かれなかった。シンジの知らないところでゲンドウはつぶれてしまった。いうなれば、父殺しの物語としてはじまったエヴァは旧劇ではその父を殺しそこなっていた。今回は明確に父と子の対決が最後に用意され、主人公が(精神的な)勝利を収めることで完結を迎えた。

父殺しとは何か
島田さんのNHKを引用する

成長に不可欠なファクターであった。父殺しを経て父とは異なる人間に成長していく。そっくりのエヴァが想像の中で対決し、対話を経て、ゲンドウが実は大人になりきれない人物であったこと、自分と同じく他者を恐れ、いまでも恐れていることがわかったことで、シンジは父殺しを経て成長のきっかけをつかんでいく。

最後のシンジは女性に軽口をたたくことに意味があるのではない。むしろ、ゲンドウとは全く異なる人間になったことを意味している。父殺しは見事にはたされたのだ。

 
 
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 メモ、終わり。

 アニメ!アニメ!の連載でも碇ゲンドウを敵役として取り上げて、旧作との扱いの違いを書きましたが、改めて少年から見た父親として今回どのように描かれているかを書こうと思いました。『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のカギを握ったのはやはりゲンドウの描かれ方だったと思います。

 もうひとり、母親代わりだったミサトさんの描写も旧劇とは大きく異なるものになっていました。今回は最後まで母親代わりを務めてシンジくんを送り出していましたね。

 2人の親の描かれ方を通して、最後は「父殺しの物語」としてどう終結したかを結論に持っていきました。親の物語としても『シン・エヴァンゲリオン劇場版」はとても優れたものになりましたね。ナラティブなレイヤーでは、旧劇との一番大きな違いがこの「親」というポイントだったと思います。

 
 
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