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短期集中連載、3つの「シン」から読み解く『シン・エヴァンゲリオン劇場版』3本目を書きました

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 SPICEの短期集中連載の2本目を書きました。

 【短期集中連載】3つの「シン」から読み解く『シン・エヴァンゲリオン劇場版』 現実に還る時、前に「進」めるエネルギーを与える作品に生まれ変わった「エヴァ」 | SPICE – エンタメ特化型情報メディア スパイス

 「親」「sin(罪)」ときて、最後は「進」です。25年前に始まって、前に進まなかった成長の針が今やっと動き出したというような感慨を覚える作品だったので、最後はやっぱり「進」がいいなと。

 「親」で父殺しという成長のための通過儀礼に触れて、「sin(罪)」で生きる事自体の罪について書き、それを踏まえて人生を前にすすめることという繋がり方をさせようと思ってました。3つ全体をまあまあ上手く構成できたんじゃなかいと思います。

 最後は走り去ってゆくシンジくんで終わるのも良かったですね。『:Q」ではうなだれてトボトボ歩いて終わったのが、こんんなに元気になって・・・みたいな感動があります。すごくありきたりな終わり方とも言えるのですが、エヴァがありきたりな終わり方をしたことに驚きがありました。
 

 以下、原稿作成時のメモと構成案です。
 
 

———
 
 

「進」エヴァンゲリオン
 

Thesis
前に進むための物語であることは明白
 
 

Point3つ
歩みを止めてしまったシンジが、うなだれるように歩く。歩けなくなったところにケンスケが迎えにくる。第3村はシンジが歩みを自ら進めるようになるまでの物語
作品全体が卒業という雰囲気に包まれている。それはここから前に進めということ
行き詰った人類を強制的に進化させるのが人類補完計画だった。
 進めなくなった人類という認識から始まっている物語だった
 
 

明日生きることだけを考えよう。。。密かな名台詞だと思う
最後は走り出すシンジとマリ
父を殺した罪を背負って走り出す

前に進むために「sin」と向き合い、「親」殺しという通過儀礼をきちんと完遂する。本作はそういう物語だった。そうしてようやくつかんだ明日生きるということ。
 
 

Intro
『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は歩みで始まり、走りで終わる。

最後の連載は、前に進む、「進」エヴァンゲリオンについて語る。

 
 
Body1
とぼとぼとを歩くシンジ、Qのラスト。
歩みを止めてしまうシンジのもとに迎えに来るケンスケ。第3村での一連の再会がシンジを再び歩ませることになる。
ここで前に進む覚悟をシンジは得ることができた。

物理的に成長している二人の旧友・・・旧劇ではいなくなってしまった。自分はうだうだやっている間にクラスメイトは成長し、大人になっていたという感覚を味わったことがある人もいるだろう。

エヴァパイロットたちと対照的。14歳で止まった彼らは、何の象徴か。むろん止まった時の象徴、成長できずに止まった人々の意味
 
 

Body2第3村の復興のイメージ
シンゴジラの話をするか。。。アート・オブ・シンゴジラのインタビューから抜いてくる

「明日生きることだけを考えよう」は密かな名台詞だ。

 
 

Body3
25年もシリーズをひっぱりある種の宙づり状態のままだった作品に落とし前、罪のみぞぎをすることで前に進ませようという意志を持った作品だった。

卒業という用語が使われることの多い作品となった。

ここは、 もっと自分の思い出を語る感じでいいのではないか。

ようやくけりをつけた庵野監督のこれからの歩みが楽しみでもある

首輪を外す。。。ワンコくんからの卒業
終わりは始まりの合図でもある。シンジとマリが駆け出すように、これから新しい人生を築いていけばいい。25年の立ち止まりがようやく終わり、前に進むための物語だった。

「親」離れして「罪(sin)」と向き合って、前に「進」む。三つの「シン」がかように交錯していた。
走り出したシンジとマリの姿は、希望のコンティニューにふさわしい。

 
 
————-
 
 メモ、終わり。

 ようやくエヴァが終わって庵野秀明監督もやっとスッキリしたんじゃないかと思います。これから庵野監督が何を作ってくれるのか楽しみです。

 とりあえず2本の特撮映画が『シン・ウルトラマン』と『シン・仮面ライダー』が決まっていますから。いよいよ本格的に特撮作家になるのか、まだアニメをやるのかわかりませんが、一皮むけた姿を観たいなと思ってます。

 
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