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『寄生獣リバーシ』について書きました

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 リアルサウンドブックに、太田モアレさんの『寄生獣リバーシ』のレビューを書きました。

 『寄生獣』はなぜ現代によみがえったのか? 時代を越えた“問い”を考察|Real Sound|リアルサウンド ブック

 岩明均さんの名作『寄生獣』のスピンオフです。本作の主人公は、寄生獣に味方する政治家、広川の息子です。息子は人間ですが、寄生獣に友人を殺されていて、左手に寄生獣を宿した海老沢という男と対峙するという物語です。

 物語の時間軸としては本編と同一で、本編の裏で進行していたもう一つの物語という感じですね。

「寄生獣」という作品は、地球環境を食いつぶす人間ころ寄生生物ナノでは、という視点を持った作品でしたが、気候変動問題に揺れる今だからこそ、当時よりもその命題が重たいものに感じられます。今回のスピンオフはその点よりも、人間らしさとはなにか、にポイントを絞っていますが、久しぶりに合わせて本編も読むとより深みを感じられていいのでは、と思います。

 
 以下、原稿作成時のメモと構成案です。
 
 
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【ひとめ惚れ大賞】 『寄生獣』は読めば読むほど新しい発見があります『寄生獣 リバーシ』太田モアレインタビュー | ダ・ヴィンチニュース

スレドニ・ヴァシュター (syosetu.com)
少年は後見人となった夫人を疎ましく思い、イタチを神様と崇める。そして夫人のしを願う。そうしたら夫人がイタチに殺されてしまう。

 
 

ガンジーの獄中日記を引用
マハトマ・ガンジーは「わたしたちが身を置く場には、幾百万という微生物が棲息していて、わたしたちがそこにいるというだけで被害をこうむります。それでは、わたしたちはどのように身を処せばよいのでしょうか」とすら語る(『獄中からの手紙』森本達雄訳、岩波文庫、21ページ)。
しかし、ガンジーはだからといって自殺してもしょうがない、そうやって誰もが罪を犯して生きるしかないのだと言う。

 

Thesis
人間の存在とは何か。。。。寄生獣とは別の視点で描く

 

Point3つ
広川という特異な存在の息子が主人公
スレドニ・ヴァシュタールなのはサキの短編小説「スレドニ・ヴァシュター」から来ている
しかし、人間は人間の範囲で物事を考え生きるしかないのではないか

 

広川は間違っていたのか、と改めて問い直す

現代社会に寄生獣のメッセージは深く刺さるのではという視点。。。増え続ける人口、地球への負荷も増え続ける。ヒューマニズムとは人のためにあるが、人のためは地球のためと言えるか。

 
 

Intro 寄生獣が投げかけたこと
みんなの命を守らなきゃ・・・・

人類の闘争は全てこれだと言えるかもしれない、
ただみんなの範囲が違うだけだ。みんなの枠に中にどこまで入れるのかの線の引き方の違い
寄生獣はそう問いかける作品だったのではないか。なぜ人は他の生物を殺しているのに、人は殺してはいけないというのか、地球を汚しているのは人間ではなかなったかと問いかける。

ミギーたちにとって人間は捕食対象にすぎない

人間と超えた存在の理屈を目の当たりにして、

そこに人間でありながら、怪物たちに肩入れする存在がいた。

広川は、原作でも謎の多い人物だった。寄生獣リバーシはその息子が主人公の作品だ

 
 
Body2リバーシで描く裏の戦い
裏の戦いを描く。

左手に寄生された男海老沢が登場。彼は快楽殺人者で、薬で寄生獣を骨抜きにしている。

主人公には、スケールのデカい視点が備わっている面がある。タバコを環境に悪いという。この一般的な人間のスケールで語らない点が寄生獣らしい。

しかし、彼の行動動機は仇討ちだ。極めて人間らしいと言える。彼の友人を殺されたから彼は行動する

人間であってパラサイトの味方をしている父親、広川

正しいかを決められるのは自分だけ

広川は環境問題を選挙ポスターにも掲げている。彼の立場は環境問題が深刻化する今、鮮明なものとなっている
 
 

Body3環境問題、みんなの線の引き方を改めて考えてみる
みんなの命とはなんなのか。どこまでを線引きできるのか。

人種、地域、クラスメイト、国、人間全部、ほ乳類全部か、地球の生物全部か

例えば、ヒューマニズムは人間全てを仲間とみなすだろう。基本的に

ビーガンなら、ほ乳類はみな仲間ととらえるだろう。でも、ビーガンは植物に同じ感情はいだかない。まして最近やウイルス、微生物に対しては基本的に仲間の枠にいれない。

ガンジーの格言

人間は結局のところ、人間でしかない。広い視点を持ち、それでいてあえて人間の視点で生きることが大切かもしれない。どこまでいっても、人は人の基準から線を引く。
私たちに微生物の気持ちはわからないし、馬の気持ちも植物の気持も完璧にはわからない。人間の視点で、人間の基準を当てはめているだけかもしれない。
寄生獣はそれを描いた。今改めてスピンオフとともに見直されるべき作品だ。

 
 
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 メモ、終わり。

 構成考えていた時にはガンジーの話を入れようとしていたようです。『寄生獣』の有名なセリフ「みんなの生命を守らなきゃ」の「みんな」とはどこまでの範囲を言うのか、という点でガンジーの格言を用いたらいいのでは、と考えたみたいですが、ちょっと難しくなりすぎるのでやめました。

 ガンジーは「みんな」の範囲を微生物レベルで考えたということだと思います。SDGs的な持続可能な社会というものも、結局それはだれのための持続可能か、というと「みんな」のためですが、その「みんな」の範囲が常に問題なのですよね。「みんな」の範囲を考える上で、『寄生獣』という作品はすごく良いと思っています。
 
 
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