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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』について書きました

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クランクイン!に、金曜ロードショーで放送された『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 – 永遠と自動手記人形』について書きました。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝』 物語に流れる“少女マンガの血”が意味するもの /2021年11月5日 – コラム – クランクイン!

シリーズ全体というより、特に外伝に見られる要素に注目した内容です。具体的には、記事タイトルにもありますが、本作の少女マンガ的な要素に注目した内容になっています。ヴァイオレットが男装するとか、同姓同士の絆を描いたりとか、学生寮が舞台となっていることとか、いろいろな要素が少女マンガ的なエピソードでしたね。

以前、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』をメロドラマとして見る、という内容の記事を書きましたが、今回の記事はその続編のつもりです。メロドラマというジャンルが、弱者の声を代弁するものであったとすれば、日本において、それをやり続けてきたのが少女マンガだと思うからです。そういう少女マンガからの影響については、前回の記事では触れられなかったので、心残りでした。なので、今回書けてよかったです。

以下、原稿作成時のメモと構成案です。

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外伝には、耽美的な少女漫画要素が、他のエピソードに比べて色濃い
全寮制の女子学校、騎士姫、女性同士のダンス、半男装のヴァイオレット、
僕という一人称とそうせねばならない環境に生きていた人、

藤田春香はそういうの好きなのか

ヴァイオレット・エヴァ―ガーデンと少女漫画
女性の声を代表してきたのが少女漫画だった。

メロドラマと書いた以前に。
「メロドラマには負のメロドラマと正のメロドラマがあります。負のメロドラマとは弱者の吐く(本来なら他人の耳に届くはずのない)弱音です(「弱音」とは、ここで「よわね」であると同時に「じゃくおん」であることに気をつけてください、つまり弱者の吐く弱音には社会的ミュート[弱音器]がつけられていて、弱い音しか出せないのです)。正のメロドラマとは弱者の見る幸福な夢です。前者において弱者は外圧に翻弄されるまま死んでしまいます。後者においては弱者は嘘のようなハッピー・エンディングをむかえます」(※4)

日本において、その役割を強く担ったのが少女漫画だった。

シンクロニシティ。。。風が吹いている

前半、旧時代の抑圧
後半、新時代への希望
結婚しても仕事を続けるルクリア
自らやりたい仕事を選ぶテイラー

Point
少女漫画が描いてきた抑圧される少女たちの歴史
どのように自由への希求を表象してきたか
それが、この作品にどう見られるか
全寮制の女子学校、騎士役のヴァイオレット、半男装のダンスシーン
僕という一人称をなぜ使うのか。。。そうでないと生きられない世界に生きていた、、、女性として生きる不自由さゆえに男の振りをして生きていた。

Intro
外伝は、三人の女性の物語。
三人が分かちがたい、みつあみのような強固な絆を築く物語。

女性が自由を希求する願いをくみ取る少女漫画の伝統がこの外伝には息づいている

Body1
少女漫画は何を描いてきたか
萩尾さんの本を参考に。」萩尾さんはこう読み解いている。少女漫画の歴史を

日本の少女漫画は、歴史的に男の恰好をしたい、または男になりたい女の子たちを描いてきた。さらには、男性同士の関係性を描くものへと発展していく。

本作には、そのようなモチーフが頻出する
屋根裏、全寮制、男装、お風呂に入る

少女漫画の自由を求める表象とは
男装の麗人、オスカルに観た夢
少女革命ウテナ

Body3 この作品にその影響がどう見られるか
全寮制の学校にとらわれる少女、
そこに外からやって来るヴァイオレット

「どこにも行けませんよ」という言葉にはっとするエイミー

僕という一人称を使わざるを得なかった環境・・・女性であることが不利な世界

そんな少女が、わたくしという一人称を使うことを教養され、淑女にさせられる学校にいる

それをたった3か月、騎士姫が助けに来て、自由の夢を見せてくれる。男装のヴァイオレット
手をとって、ベッドの暗がりから光の当たる場所で引っぱる

少女漫画にとっての全寮制の学校とは…耽美で秘められた、閉じた世界の象徴

自由じゃないからこそ、そういう舞台が選ばれる。そして、そういう閉じた世界にも葛藤があり、ドラマがあるということ。自由を望む少女の物語が。

前半の終わり、牢獄の鉄格子のような学校の外門で、ヴァイオレットを見送るエイミー

後半は一転して、新時代への希望を描いている
テイラーは、自分の意思で郵便社へやって来る。
奇妙にリフレインする。
男の子のおさがりの服のテイラー・・・エイミーが男装していたこと
ヴァイオレットとお風呂(シャワー)に入る。
髪を結う
一緒のベッドで寝る
星座の話をする(テイラーは屋根にのぼって見あげる)

ルクリアは結婚しても仕事を続ける。本筋には関係のないエピソードがわざわざ加わっている。

自由になれないエイミーの代わりにテイラーが自由に生きる。

日の光の使い方・・・・夜と昼、光と暗闇のモチーフ
星座を観られないエイミーの代わりにテイラーと一緒に観ているヴァイオレット

しかし、争いは「女の顔をしていない」所詮は戦争だ。殺し合いに自由はない

2つの名前を持つ少女、イザベラ・ヨークは彼女の所有物ではない。家の、旦那の所有物だ。
だが、エイミーという、もう知る人は少ないその名前だけは彼女のものだ。その名前を呼んでくれる人がいる、それだけでこの世界が美しくなるということ。

女の子にも自由があることを描き続けた日本の少女漫画。ここにその伝統が流れ込んで、まさしく新時代へ、自由に生きる希望を託している。そんな物語なのではないか。

メロドラマは弱者の声を代弁する。それを一心に日本でやってきたのが少女漫画であり、そして、この作品はその魂を知らずのうちに受け継いでいる。

しかし、すべての女性が自由を謳歌できるようになったわけではない。エイミーは、イザベラ・ヨークという貴族の名で嫁ぎにだされ、ほとんど家から出ない生活をしている。そのエイミーに唯一の自由の光をもたらすのは、テイラーの手紙だ。

その希望は、前半の展開をリフレインするように語られる。前半でエイミーがヴァイオレットと体験したことを、今度はテイラーがヴァイオレットと体験するのだ。

テイラーは、孤児院の男の子のおさがりの服を着ているのは、男装時代のエイミーと重なる。テイラーはヴァイオレットに文字を教わり、仕事の仕方を教わる。エイミーとヴァイオレットが一緒のベッドで眠るようにテイラーもヴァイオレットも一緒に眠り、起きるとヴァイオレットがベッドに腰かけて見守っている。また髪を結ったり、一緒にお風呂(あるいはシャワー)に入ったり、星座を見たりする(エイミーには星座の話をし、テイラーとは屋根に登って実際に夜空を見る)。

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少女漫画に屋根裏部屋がよく登場する理由
『花物語』から間もない1919年、吉屋は自身の作品のうちで最も研究されてきた作品のひとつ、『屋根裏の二処女』(https://amzn.to/2Ki7R9u)を執筆した。
この作品は、多くの批評家から吉屋の半自伝的小説として読まれてきた。というのも、この作品は二人の女学生、章子と環を中心に展開しており、この二人は寮の中で自分たちをのけ者のように感じているからである。
彼女たちはほとんどの時間を三角の屋根裏部屋で過ごし、次第にロマンチックな憧れが加速していく。浴室ではお互いに詮索し合い、相手の「モクレン」の香りを嗅ぎ合い、キスですべてが最高潮に達する。
日本の都市建築には屋根裏部屋が非常に少ないのにもかかわらず、現代の少女漫画には広く見られる。このような直接的な影響も、吉屋作品にまで遡ることができるのである。

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“王子様”というシステムの破壊と、抑圧された女性が解放され自立を目指すこと【少女革命ウテナ考察前編】 – messy|メッシー
アンシーとウテナの物語が、歳月を経ても色あせず強烈に私たちを魅了するのは、彼女たちが、制度や規範を改良し包摂されることではなく、まったく別の道を切り開くことを選択したからです。

『リボンの騎士』を読んだ女の子たちは「もし自分も男の子だったら……」と思いながら、サファイアと一緒に冒険を楽しみました。この「もし男の子だったら」というテーマは、『リボンの騎士』以降、頻繁に日本の少女マンガの中で扱われます。それはなぜでしょうか
萩尾望都,矢内裕子. 私の少女マンガ講義(新潮文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.190-192). Kindle 版.

戦後まもなく描かれた少女マンガでは、ヒロインのサファイアは男装して王子にならなくては活躍できませんでした。けれど、半世紀を経た『大奥』では、女将軍たちは、女性として、人間として、自分の生きかたや政治の難しさに悩みます。これはずいぶんと大きな変化ではないでしょうか。
萩尾望都,矢内裕子. 私の少女マンガ講義(新潮文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.435-438). Kindle 版.
 
少女マンガは私たちに、強い女性像を示してくれました。たとえば男装しながらも戦っていく、あるいは自分の夢を追求していくことを教えられた。日本の少女マンガこそが、そういう考えかたを私達に与えてくれたことに心から感謝します。
萩尾望都,矢内裕子. 私の少女マンガ講義(新潮文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.677-679). Kindle 版.

その勢いのなかで、一九七〇年代の少女マンガの大ヒット作として池田理代子の『ベルサイユのばら』が生まれます。主人公のオスカルは、『リボンの騎士』のサファイア姫の転生であるかのように、女性として生まれながら、男性として育てられ、フランス革命の激動のなかで、自由と平等という理念のために闘います。ここにも、男女の不平等を逆転しようとする少女たちの密やかな望みが表われています。
萩尾望都,矢内裕子. 私の少女マンガ講義(新潮文庫) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.2595-2600). Kindle 版.

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メモ終わり。

萩尾望都さんの『私の少女マンガ講義』が結構参照しています。これを書くために『ベルサイユのばら』とか『リボンの騎士』、『トーマの心臓』などを久しぶりに読みました。これらの作品の諸要素がやっぱり、「外伝」にはたくさんあると改めて感じました。意図したのか、そうでないのか、自然とにじみ出ているというか、原作の暁佳奈さんは、多分少女マンガ読んで育った人なんじゃないかと思えるような内容です。 監督の藤田春香さんもそういう感性を持っている気がしますね。

とにかく素晴らしい作品なので、みなさんぜひ見てください。

(C)暁佳奈・京都アニメーション/ヴァイオレット・エヴァーガーデン製作委員会

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