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『進撃の巨人』評を書きました

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 リアルサウンド映画部に、『進撃の巨人』のレビューを書きました。

 『進撃の巨人』は世界の摂理が描かれているからこそ名作に 増加する“内と外”の二項対立|Real Sound|リアルサウンド 映画部

 リアルサウンドから『進撃の巨人という神話』という本が出たので、それ合わせて本作について改めて書いてみようということで。

 大枠としてこの作品は「人が争いをやめられないメカニズムが描かれている」として、それについて説明をしていく、という感じで書きました。

 本でも僕が喋っていることなのですが、本の中では3人の座談会形式で喋りたりない部分もあったので、僕の考えを改めて整理した内容になります。

 善悪の二項対立ではなく、壁の中と外の対立が象徴するように、世界はどこまで広げても「内と外」の対立にあふれている。それぞれが自分たちの「内」を守るために戦っているものだ、ということを言っています。

 
 詳しくは記事を読んでいただければと思います。だれもが守ることを大義にして戦います。侵略すら守るためです。それは人類の歴史を振り返ってみると、ほとんどの戦いは守るための戦いなんですよね。
 
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案です。
 
 
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Thesis
人が争いを止められないメカニズムが描かれている
 

Point
この作品には二項対立がある。
  しかし、よくある善と悪ではない。。。だれもが守りたいものがあるだけ。。。これが世界の摂理
  内と外の二項対立だ。。。言い換えると仲間とそれ以外
世界の摂理として、それがあると描く
  戦う口実はいつだって「守ること」だ。。。プーチンすらも
  中央憲兵の拷問担当のおじさんすら守りたいものがあったから
それでも、何かを美しいと思ってしまう心が人間にはある。巨人でさえも美しいと思う人がいる
  理不尽な世界でもなお、優しさも愛も美しいものもある

 
壁・・・内と外を分けるもの。。。
壁の外に出たエルディア人たちは、世界がいいものじゃないと知った。。。向こうの連中にとっては、エルディアことが「外」の脅威だった。

外をなくせるのか。。。。線は必ずある。なくすことはできない。。。。無限後退するのみだ。

内に囚われた人々・・・・それぞれの立場のそれぞれの「内」がある。

外の世界に思いをはせることができるのは、ごくわずか。。。サシャの父親、狩人として命のやり取りをしている人間の達観した死生観は卓越している。

宮台真司は、開かれと閉ざされの逆説と解説している。

そんな理不尽な世界で、何を頼りに生きるのか。。。

 
 

Intro
進撃の巨人は、どういう作品なのか。
アニメ版の物語が佳境を迎える中、考える。

それは「人が争いを止められないメカニズム」だ、彼ら・彼女らはなぜ争っているのか。争いという状況が否応なく訪れる世界の摂理に溢れている。
 
 

Body1 二項対立
善と悪ではない、内と外の対立を描く

壁の中と外。3つの壁のそれぞれの中と外
多層的に中と外を描いている。

3つの壁に隔てられた中と外があるなら、一番外の壁の外にも、中と外がある。
世界はそんな風に永遠に中と外を分けるもの

ヒューマニズムの外に開かれた感性だと藤本氏は書いているが、
普通はそこで限界なのが、さらにその外を感じ取る感性を持っている作者P55

島の外にも人がいる。しかし、彼らは島の連中を悪魔と呼び、中だと認識していない。悪魔という単語は自分たちとは違うものだという切断操作のある有効な言葉だ。差別してはいけないものには該当しない、外のものだと言い切るための言葉だ

そのことに気が付いたエレンは、最後は島の仲間を守るために、外を全てなくしてしまうことにした。地ならしという単語は上手い。文字通りまっ平になにもなくしてしまうことを指すから
 
 

Body2 内と外に分けてしまう世界の摂理
全ての戦争は防衛戦争である。
いつだって戦いは、内の仲間を守るという「口実」で行われる。
マーレもエルディアも、他の国々も
もっとミクロには、例えば中央憲兵の拷問していたおじさんすら、守るために拷問していた。

プーチンですらそうである。建前上は、防衛戦争でやむを得ないという。
世界のあちこちで中と外はわけられている。
ロシア
中国
日本
アメリカや欧米ですら
あるいは人間とそれ以外。。。。ヒューマニズム
哺乳類とそれ以外。。。。クジラとイルカは守るけど、他の魚は守らない
目に見える生物とそれ以外

どこまでいっても中と外はある。。。。
そして、中を守るために争いは起きる。中がある限り、争いはなくならない。
中が広がれば、中が分裂する時もある
だから、人は争いをやめることができない。

外に敵がいるということが中の結束と全体性を高めると宮台氏は書く。
ある程度の全体性は社会を営むために必要。P17

手を組むエピソードが描かれる。最後にライナーたちとアルミンたちはなぜ手を組めたか(全体性の獲得)。
エレンが悪魔という敵になる役目を引き受けたからだ。

分けてしまっていることに敏感であるべきだ
アルミンやサシャの父親はあらかじめそのことに敏感だ。
エレンは記憶の継承とともにそのことを知る。そしてその残酷さ
 
 

Body3 その理不尽で争いを止められないこの世界は生きるに値するか
ふとした優しさ、愛、美しさが描かれる
貝殻が美しいと思える心象。
巨人すら美しいと思う人がいる
愛すらある。
対立していた者同士でも、中と外の気が付けば、分かり合える可能性がある。ガビとミアのように。

それでも世界が美しいと思える心が人にはあるから、この残酷な世界は生きるに値する
ミカサにとってのエレンの優しさ、アニにとっての父の存在、海の広さと青さだけでも生きられる。

  
 
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 メモ終わり。

 本作の「三重の壁」というアイディアが秀逸でしたよね。大枠で見ると壁の中の一心同体の運命共同体に見えるんですけど、それぞれの壁の「内と外」で軋轢があるんです。壁の外にエレンたちが出ていったあとも、比喩としては、三重の壁と同じように同心円状にどこまでも内と外に分かれているというか。別の場所にも壁があって、そこでも「内と外」に分かれて争っていて、誰もが内を守るということを大義名分にして、相手を殺す、その繰り返しというか。

 それでも生きるに値する何かがあると力強く描いているのが、本作の素晴らしいところで、大変な傑作だったと思います。日本のマンガ史に残る偉大な作品になったと思います。
 
 
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