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『SPY×FAMILY』のスパイ要素について、スパイ映画の歴史から紐解きました

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 リアルサウンド映画部に、『SPY×FAMILY』について書きました。

 『SPY×FAMILY』が引き継ぐ往年のスパイ映画のエッセンス 逸脱した個性の獲得|Real Sound|リアルサウンド 映画部

 スパイ映画はこれまでたくさん作られてきました。そういうエッセンスを多分に吸収した作品であると同時に、コメディ作品として仕立てるために、「ずらし」がある。そういう内容の記事です。

 家族という題材は、スパイ映画に頻出します。スパイな秘密裏に活動するので、家族にも内緒というパターンが多いのですけど、家族か任務か、という葛藤を本作では逆手に取って、任務のためにアットホームな家庭が必要としている点が発明だと思います。

 『SPY×FAMILY』は冷戦時代を舞台にしていますが、スパイ映画の名作は冷戦時代に多く生まれています。近年作られるスパイものも、冷戦時代か第二次世界大戦中を舞台にするものが多いですね。

 いろいろな過去の作品のエッセンスをうまく料理して面白い作品に仕上げているなと思います。作劇のセンスが高いですよね。

 
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案。
 
 
————
 
 
Thesis
スパイ的な要素について

スパイは映画などでどう描かれてきたか。

スパイ映画 – Wikipedia
ヒッチコック
冷戦とスパイ映画
海外ミステリー映画史 PART5    1960年代(その1)|佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所|note
『SPY×FAMILY』ヒットは心理戦がないから? 若者が“表層的な物語”にハマる理由 | Web Voice

Mr.&Mrs. スミスと奥様は、取り扱い注意、マリアンヌ
引き裂かれたカーテン、陸軍中野学校、間諜最後の日、生きるべきか、死ぬべきか
007シリーズやミッション・インポッシブル
心理戦や誰が何を考えているか、どう出し抜くのかなどの駆け引き戦がどう描かれるのか

スパイ映画とは、、、バレてはいけない。。。存在を認知されないことに、、、自分が自分として生きられない存在、、、では本当の自分や本心はどこにある?・・これが物語のキーとなる

偽装夫婦ものはスパイものでもよくある
間諜最後の日。。。愛情は本物になっていくことで任務と愛の葛藤が
Mr.&Mrs. スミスと奥様は、取り扱い注意、マリアンヌあたりの近年のスパイものにもある

スパイものの特徴。。。任務で正体を隠す必要性、それが露見するかしないかのスリリングと真実の行方
家族とスパイ。。。あるいは夫婦とスパイ、、任務と取るか本心を取るかの葛藤?

サスペンスとは宙づり、未決定の状態の不安。。。この疑似家族はどういう方向に転ぶのかの緊張感を失わないようなストーリーの工夫

任務のために良き家族を「演じる」、、、全ての心の声がわかってしまうアーニャ。。。。時に本人にも言語化しえない「本心」が出てしまう。。。「なぜか誇らしい」

 
 
構成

Thesis
スパイ映画としてのスパイファミリー
本作はスクリューボールコメディなのでは。。。生きるべきか死ぬべきか、ニノチカ

 
 
Point3つ
冷戦時代に量産されたスパイ映画、何を描いてきたか
  間諜最後の日、陸軍中野学校、引き裂かれたカーテン、007、スパイ大作戦他から言えること
  ↓
  偽装、本心を偽ること、本心との葛藤、宙づりになった状況
  任務かプライベート(家族や恋人、妻)かの選択を迫られる
心が読めてしまうアーニャの存在が、スパイものとして一癖あるエッセンスになっている。
  本心を偽る、偽装することがアーニャの能力で通用していない、、しかし、それは向こうにはわからないという一方通行になっていることから生まれるおかしみ
    6歳以下で好奇心旺盛でアニメにちょっと影響されすぎているアーニャが全権を持てるシチュエーションになっている。
  表層的に全ての内面が示されるので、観客は全てをわかった上で俯瞰してシチュエーションを楽しめるからコメディとして成立している。誰がどうズレているのかが手に取るようにわかる
  任務か家族か、ではなく任務のために円満な家族が必要
しかし、心の声の奥、本人も気づかない「本音」はどこにある?
  偽りの家庭に何かを思う、、、自分でも気づかない何かを求めている
  ↓
  任務のために必要だった円満な家庭は、いつか任務が終われば必要なくなる。この時、3人にどんな葛藤が訪れるのか、

 
 
Intro
スパイファミリーが人気。
タイトル通りのスパイと家族を掛け合わせた洗練されたコメディ。漫画らしい飛躍もありつつ、スラップスティックに頼りすぎない洗練さも魅力。個性あるキャラたちの勘違い含めた突飛な言動に往年のスクリューボールコメディの雰囲気もある

作品概要、
スパイの父と殺し屋の母、そして心を読める能力者の娘が疑似家族を作る
任務のため、殺し屋稼業を続けるためのカモフラージュのためなど、それぞれが個別の事情を隠して家族を形成する

この作品はスパイものとして分類され得る。主人公がスパイだし、だまして偽ることが物語の中心に据えられている。スパイものの主要素は何で、本作にどんな影響がみられ、またそういう主流がいかに巧みに逸脱しているのか
 
 
Body1 冷戦時代に花ひらいたスパイ映画
大国間(資本主義陣営 vs.共産主義陣営)の核抑止力による実戦を伴わない駆け引き(情報戦)が、現実の世界にスパイと呼ばれる情報機関員を暗躍させ、フィクションの世界にも多くのスパイやエージェントが登場することとなったのである。
また、時代をさかのぼり、大戦中のスパイの話も盛んにつくられるようになった。
どんな作品があったか。。。。間諜最後の日、引き裂かれたカーテン、陸軍中野学校、マリアンヌ

どんな特徴が見出せるのか。
  偽装、言動を偽ることから生じる本心との葛藤、宙づりになったサスペンス状態を生み出す
    騙し合いのスリル。。。生きるべきか、死ぬべきか。。。役者たちがスパイ活動をすることになりナチをだまくらかす模様を見せるコメディだった。。洗練されたスクリューボールコメディ
  任務か家族や恋人などのプライベートをとるのかの選択が葛藤の中心に来る

騙し騙されのコンゲームは、時に男女のすれ違いの物語を盛り上げる役割を果たす。。。マリアンヌ、生きるべきか、死ぬべきか
スパイとは自分らしく生きられないことを強いられた存在。。。。007のぞく
 
 
Body2 それらの特徴をスパイファミリーはどう生かしているのか
Mr.&Mrs. スミスと奥様は、取り扱い注意、マリアンヌなどとの類似点
偽装夫婦はスパイものの定番、そこに割って入り、本作に独特の色味を与えるのは娘のアーニャ

アーニャが心を読めてしまうというスパイものを破壊するような反則能力を有していること。。。本来それを知るのは観客だけだが、観客と同じくらい全て知っている存在としてアーニャがいる

しかし、6歳児(実際はそれ以下)で好奇心旺盛のいたずらっ子的性格で、自らもその能力を秘密にしており、コメディ騒動の中心となっていく。両親の秘密を知っていても、何分発想は子どものそれなので、平和のスパイ活動のために出てきた結論が「犬を飼う」だったりする。
犬を飼うと平和になる。。。なんで?とロイドは思う

マリアンヌのように、任務か家庭かではない、

任務のために円満な家庭が必要

なので、任務のために頑張るロイドは、傍から見ると、教育熱心なマイホームパパにしか見えないギャップも面白さを生んでいる。

内面と言動が異なるのがスパイ作品のスリルを作る。。。しかし、この作品は内面の考えも駄々洩れにモノローグで描かれる。観客はそれゆえに全てを分かった上で各キャラのズレを笑える仕組みになっている。
例:ダミアンとアーニャの想いのズレ、ロイドとアーニャのズレ
 
 
Body3 心の声にもならない、本人も気が付かない本音が
偽りの家庭に何かを思う、、、自分でも気づかない何かを求めている

任務のために必要だった円満な家庭は、いつか任務が終われば必要なくなる。この時、3人にどんな葛藤が訪れるのか、

 
 
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 メモ終わり。

 これを書くために、『陸軍中野学校』とか『引き裂かれたカーテン』とかを久しぶりに見直しました。

 本作に近い作品は最近だと『奥様は、取り扱い注意』とか『Mr.&Mrs. スミス』あたりですかね。偽りの夫婦という点で。そこに全部心が読めてしまうアーニャの存在が抜群に効いていて、うまい具合に物語が転がっていくんですよね。

 そして、やはり「家族か任務か」という葛藤ではなく、「任務のために家族が必要」という設定が秀逸です。これがあるから偽りの家族が理想の家族を演じようとしていて、意図せざる結果としてウェルメイドな家族コメディとしても機能しています。

 スパイものも家族ものも、数多くの先行事例があるのに、それらの材料をミックスして調理する手腕がすごいなと思います。
 
 アニメが原作の魅力を確実に引き出していて、かなりお金かけて作ってるなあという印象です。人気出るのもうなずけます。
 
 
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