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戦争を伝える漫画について取材してきました

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 マグミクスとLINEによる、終戦記念日共同企画で、戦争を伝える漫画についての取材記事を書きました。

 「マンガなんかで」投げられた批判…後ろめたさ。それでも“狂気の戦場”戦後世代が伝え続ける理由 | マグミクス

 取材したのは、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の武田一義さん、満州で終戦を迎えた漫画家ちばてつやさん、そして、沖縄の戦争体験を伝える活動を行っている大学院生の石川勇人さんの3人。3人とも本当に貴重な話をたくさんしてくださいました。

 記事の根幹となるのは武田さんの『ペリリュー』創作の苦悩になります。漫画で戦争を描くこと、経験していないのにそれを描けるのかという葛藤、それでも伝えつづけるために描き続ける意思はどこからくるのかなどいろいろな話を聞いています。

 ちばさんからは、ご自身の戦争体験を漫画で伝えることと、かつて特攻隊を漫画家したことの苦しみなどについて語ってもらいました。石川さんは、戦争体験を継承する実践の場で、若い人にどうやったら興味を持ったもらえるのか、どんな工夫をしているのかなどについて語っていただきました。

非常に時間をかけて頑張って書きました。取材に応じていただいた3人のおかげで非常に良い記事になったと思います。

 
 
 以下、原稿作成時の構成案とメモなど。
 
 
——————-
 
 
 ペリリュー 楽園のゲルニカ、作品のポイント
主人公が功績係であるということ
   兵士の最期を「盛る」仕事に漫画家志望が任命される
   ジャーナリストが盛っていないだろうか。
   嘘と美しいストーリー・・それが家族にとっての真実になる
  悲しみや高揚のあまり無意識に「盛って」しまうことはないか
自然描写の美しさ
   南の島は自然だけ見れば確かに楽園のよう
戦争を体験していない人間が戦争を伝えることのおこがましさ、むずかしさ
   最後の巻に込めたもの
豊かな日常描写が多い
 
 
 作中、気になった箇所
1巻3話 たまたまそこにて、たまたま死ぬ
1巻7話 功績係、大事な仕事だ。みな家族を想ってここにいるのだから
2巻9話 悲しみの大きさが話を大きくしちゃってるってことも
3巻23話 ならば、言葉だけは美しく
4巻30話 兵隊ごっこに興じるニーナとケヴィン5巻32話 鳥の糞が落ちた場所から植物がはえてくる
5巻38話 誰も幸せにしないホントのことがここにはあるから
6巻40話 B29をキラキラした目で見る子ども
6巻41話 口紅をぬる泉くん
7巻55話 酒の席で故郷の話を楽しく
8巻59話 米軍の雑誌を信じない日本兵たち、、人は信じたいものを信じる
8巻59話 島田少尉すら信じない
8巻62話 人をなぐっちまったら今度はなぐり返されんのが怖くなる、そしてなぐり続ける道しか見えなくなっちまうんだ
11巻81話 ペリリュー島で米軍食料を奪ってた僕らの方がずっと満足に食べられていたんだ
11巻81話 小山くんのお母さんが最期の勇姿の物語なんて必要としていないことがわかった
11巻86話 漫画。話を聞けば体験していなくても描けるとお考えですか
11巻86話 自分が人を殺したということ、それを自分の子供に伝えるのはとても恐ろしいことだよ
11巻87話 戦争の話題ってなんだか触れがたいというか でも僕らのおじいさん、ひいおじいさんの話なんですよね。

 
 
武田一義さん

武田一義さんが語る漫画「ペリリュー」 3頭身キャラで描く理由|好書好日 (asahi.com)
「戦争を語り継ぐ」ことを堅苦しくしたくないというか、もっと自然に楽しみながらというのはおかしいけど……基本的に学ぶことは楽しいことじゃないですか。でも、たとえば僕自身もこどもの頃そうでしたが、お年寄りから昔の戦争の苦労話を聞かされると、戦争を知らず豊かな生活をしている自分がとても申し訳ないような気持ちでいたたまれなくなる。それで勉強することが苦痛になってしまうのを取り払いたかった。もっと自然とすっと入ってくる、あまりネガティブさを伴わない、学ぶ機会にできたらと思いました。
取材をしてみるまで、功績係を知らなかったんです。でも仕事の内容を見て「腑に落ちた」という感じです。戦死した人の亡くなり方を、家族に受け入れやすいように描くことってあるのだな、と。でも戦争に関する情報は世の中にありますよね。その情報への触れ方、見方が功績係の役割を知ると僕のなかで変わりました。もしかしたら文献や証言も本当ではないのか
昔の戦争漫画であったら主人公は吉敷(田丸と行動を共にする同輩)だったかもしれないと思うんですよ。でも田丸みたいな、目の前に敵がいるときは敵を凝視するのではなく、きょろきょろしちゃって全体をみるような、戦場にいるのに戦争に集中していない主人公は現代人が感情移入しやすいのかなと思っています。それも平塚さんの話を聞いて、実際の戦場にいた人たちが今のぼくたちとあまり変わらないところがあるなと思えたので、そういう風になりました。

「戦場で死んだ、普通の若者を描く」いまマンガ界が戦争に注目する理由(鴻上 尚史,武田 一義) | 現代ビジネス | 講談社(3/5) (ismedia.jp)
あの功績係という仕事は、史実でも存在したんですか?
武田 存在しました。もともとは兵士の戦功について普通に、ありのままを記録する係なんですけれど、田丸が命じられたように、部隊の死んだ人の遺族のために、ちょっと「盛った」死に方を記した手紙を送る、でっち上げて描く仕事もあったんです。事故で死んだとしても、勇敢に戦死したと伝えたほうが、遺族も納得できるのは確かだと思います。

『ペリリュー』が描いた、見落とされがちな戦場のリアリティ 原作者・武田一義に制作秘話を聞く|Real Sound|リアルサウンド ブック
――史実としても、戦死者以上に餓死者が多かったと聞いたことがあります。しかし、そんな悲惨な描写が多いなか、笑える場面もあるのが本作の見どころだと思います。
武田:ありがとうございます。シリアスとユーモアの塩梅は難しいところでしたが、辛いエピソードばかりだと、読んでいても辛いだけですからね。実際に、過酷な戦地でふと目に入った星空や海の美しさに感動を覚えたという話も生還者の方からお聞きしました。戦火以外の綺麗な景色、辛さ以外の穏やかな感情にこそ、本作を描くことの意味がある気がしていたので、そう言っていただけて嬉しいです。

武田:戦争を知らない自分が、戦後70年以上経った今だから描ける戦争漫画とはどんなものか――そこを突き詰めると、過去の戦争と現在を繋ぐことが重要だと感じました。戦争体験を語れる人がご高齢になり、亡くなっていく事実は、過去と現在を繋ぐ大きな出来事です。そこまで描かなければ、既存の戦争記と何も変わりませんから。

ただ僕にとっては、90歳を超えた方が、70年以上前の当時のことをどんな感情で話されるのかを知れたことが何よりも貴重で。
――と、言いますと?
武田:例えば、米軍に見つかりそうになった危険な状況から何とか助かった話をする際は、聞いているこちらまでハラハラドキドキするようなテンション感で話してくださるのですが、亡くなった戦友の話になると涙ぐみながら話される方が多いんです。また、ご自身が米兵を殺めた話をされるときは、詳しい状況説明なしに、小声で、殺した事実だけを述べられる方が多い。時間で解決できるような話ではないと分かっていながら、70年以上経った今でも当時を思い、強い感情を持ち続けて生きている方がいることに、戦争の尾がずっと続いていることを実感したんですよね。

武田:本作は、戦争を描くと同時に、漫画としての純粋な面白さを両立させることも意識した作品となっています。戦争ものと聞くと抵抗感があるかと思いますが、よければひとつの面白そうな漫画だと思って、気軽に手に取っていただけたら嬉しいですね。

「ペリリュー -楽園のゲルニカ-」武田一義×ゆうきまさみ対談 – コミックナタリー 特集・インタビュー
武田 どうしても戦争モノだと、シリアスで重いイメージを抱きがちだと思うんです。「その対極にあるのはなんだろう?」と考えたときに、マンガ家を思いつきました。戦争と娯楽であるマンガは、現代の読者からすると、イメージがかけ離れていて相容れないものと思うのでは、と。だったらそれを一緒にすると面白いんじゃないかなと思いまして。
ゆうき 戦争とマンガが相容れないってのは、手塚治虫さんの自伝的マンガである「紙の砦」なんかそうですよね。戦時中にマンガを描いて殴られてますから。
武田 戦争モノにありがちな体育会系の熱い雰囲気とは、ちょっと遠いところへ持っていきたかった狙いもあります。この21世紀に戦争モノをやるには、その場にどっぷり集中していない、一歩引いた主人公像というのが自分の中にありました。
ゆうき 主人公の彼は、読者の目としていいんですよ。絵を描くためによく観察するし、それで客観視もできるから。

武田 客観視といえば、「白暮のクロニクル」で入院中のとある人物に過去の事件についての話を魁たちが聞きに行くシーンがあるんですけど、「この話はどこまで信じて……」って普通に疑っているんですね。登場人物にそういう感覚があるところが、ゆうき先生の作品のすごくリアルなところだと思っています。戦争の話って、やっぱり畏まって聞かなきゃならないところはあるんですけど、でも当事者が本当のことを話していない場合もある。証言どおりに描けば間違いないでしょ、というふうにはしたくなかったんです。
ゆうき 戦地で何があったか、口をつぐんじゃう人もいますしね。
武田 はい。そもそも信頼性がわからないところに立脚してお話が展開していくんだ、というところから始めないと、むしろ誠実じゃないと思ったんです。だから主人公が「功績係」となって遺族に虚偽の報告をするという第1話は、戦争を知らない世代が戦争の話を紡いでいくうえでのスタート地点として必要だと思ったんです。

社員インタビュー – 白泉社2023年度定期採用情報サイト
『ペリリュー』では、著者の武田一義さんとペリリュー島に取材に行きました。夜は真っ暗。海が真っ黒で波の音だけ。テレビもネットもない。ケータイで家族の写真を見るくらいしかやることがない。そこで戦争当時も、家族を思って写真を見たりしていたんじゃないかなと思いました。写真がくしゃくしゃになっていたとしたら、そこに絵を描ける人がいたとしたら、きっと描いてくださいと言ったはず。翌朝、武田さんに伝えて、吉敷が家族の写真を持って田丸に描いてもらうシーンにつながりました。伝えた考えが作品に反映されることはたくさんあって、まさに作家さんと一緒にまんがを作っている感じです。

 
 
石川勇人さん

(琉球朝日放送)
沖縄戦について学ぼうと思ったきっかけは、高校3年生の時に出会った、海外に住む日系のうちなーんちゅとの交流でした。
大学進学後、初めての聞き取り調査で、沖縄戦で甥っ子を亡くした女性に4時間に渡って話を聞いたところ、その女性はその日の夜から眠れなくなったり、ごはんがのどを通らなくなるといったPTSDを発症してしまったといいます。
石川勇人さん「やっぱり戦争から徐々に遠くなっていくということは、身の回りに体験者がいなくなっていくというところで、沖縄戦がどうだったというのを知ってもらうためにも、さらに遠くなる世代をつなげていくために、自分自身も、何か慰霊の日というものを、真剣にもう一回考え直す必要があるかなとは思っているので、体験者であったり遺族が亡くなっていったあと、私たちが同じぐらい強い思いを持って、慰霊の日について、立ち止まって考える日にしたいなと思っています」

(琉球新報)
「沖縄戦の継承は堅いことと捉えられがちだが、みんなで一緒に学んでいくもの。学生でもできるんだということを伝えたい」

(youtube)
聞き手がノイズとして聞くことができていないケース。。。目の前の患者の言葉を聞いているはずの医者が、重要じゃないと判断して聞き逃していたのでは
爆弾から逃げることだけが戦争ではない。戦争の傷を抱えて生きなければいけなかった戦後も忘れないでほしい。
戦時の話だけに限定しないで、戦前、戦中、戦後と連続したライフヒストリーを聞くことがより豊かな聞き取り
体験者の証言を特権化してしまっていたとも感じる。。。体験者の人生を沖縄戦中に囲い込んでしまっていた。
緊急性の聞き取りや取材だけでは、空白の長年の遺族の苦しみが充分に聞けないのでは。
語りにくい声を聞く困難。。。一方で空白の戦後史がある、緊急性のある声を聞くことだけでいいのか、長年抱いた苦しみは聞けない。

https://www.youtube.com/watch?v=sYLjIkglMVY
トラウマ研究が専門
ウクライナ戦争について。。。体験者の口から次々と出てくるだろうな、沖縄戦と重なるような証言が。また戦争前夜が近づいているようで寝れないという声が。フラッシュバックが起きちゃってる。
花火や米軍機の音で戦争を思い出す。それだけに留まらず、油味噌の匂いが当時の防空壕の匂いと重なる。
フラッシュバックはどう起こる。。。集団自決の体験者、、ウクライナのことが頭から離れず日常がおくれない。
過去の戦争体験を語るために、つらい過去に向き合っている。
なんで継承しないといけないのか、どう伝えるか。。。。それを問うてきたか。。体験を語るべきだが、常套句で戦争はよくないだけでは薄れていく。感情論ではなく、具体的事例で説得していく

体験者からのバトンをつなぐ|石川勇人さん|with OKINAWA|note
嘉数の子供たち向けの沖縄戦学習会のプログラム作りを行っています。

他者の傷みに気づくために−体験者や遺族の戦後史から考える− | OKIRON
「あんたたちは、沖縄戦の話しかわしらに聞かないんだね。わしらの戦争とは爆弾から逃げることだけだったんだね。戦後も苦しい思いをしてきたのに、それは聞こうとしない。なぜ、そのことは聞いてくれないんだ。」
受忍論では、国民が「等しく」受忍しなければいけないと謳っているが、そもそも戦争被害を「等しく」扱うことはできるのであろうか。艦砲によって手足を失った人々の苦しみ、沖縄戦で唯一自分だけが生き残った苦しみなど、一人ひとりに「戦争」によって生じた「被害」が存在する。そう考えれば、沖縄戦の被害を「等しく」同一視することはできないはずだ。

「今も続いていること」としての戦争――沖縄から考える「戦後76年」の意味 | Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)
当時私は、「みなさん普通に戦争体験のことを語れるんだろうな」と、ある種の先入観があったのですが、その時お話を伺った方は、途中で号泣して語れなくなってしまいました……。その晩からPTSD――戦争トラウマの症状が再発してしまい、「あなたが聴きにこなければ、こんなに苦しい想いをすることはなかったのに、どうしてくれるんだ」と電話がかかってきて、その時に初めて、今も当事者の中で続いている戦争体験というものに触れ、「過去のこと」ではなく、「今も続いていること」としての戦争に耳を傾け、伝えていく大切さを実感しました。

沖縄戦継承に危機感「民間頼み」「継続が大事」「保存だけでなく伝達を」体験者ら座談会 – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト

沖縄戦継承 若い担い手 大学生が小中校に出向き講話 「継承はみんなで一緒に学んでいくもの」 – 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト
「沖縄戦の継承は堅いことと捉えられがちだが、みんなで一緒に学んでいくもの。学生でもできるんだということを伝えたい」。

「次世代に平和残したい」元学徒、若者たちに託す思い 白梅之塔慰霊祭(琉球新報) – Yahoo!ニュース

 
 
ちばてつやさん
高度成長期に大ブーム…反戦平和教育と共存した「戦争漫画」の遺産(神立 尚紀) | 現代ビジネス | 講談社(6/9)
 

満州から日本へ。漫画で語り継ぐ戦後引き揚げの記憶。 ちばてつや 氏 インタビュー【第3回】 | MOC(モック)
日本政府が引き揚げ者に言ったのが「外地で暮らしていた人は日本に帰ってこないでください。現地の人と仲良く暮らしてくださいね」ということ。
ちば先生は『文藝別冊 ちばてつや漫画家生活55周年記念号』のインタビュー(2011年発行)で漫画家としてやり残したことを聞かれ、「引き揚げ体験」とおっしゃっていましたが、今まさに着手されていらっしゃる。
漫画家には満州からの引き揚げ者がけっこういたんですよ。だけどみんな自分からは言わないの。赤塚不二夫さん、森田拳次さん、北見けんいちさん、古谷三敏さん。仲良くなっても、自分は引き揚げ者ということを言わなかったんだ。けれど日中の国交が回復したときに、誰かが「これで中国に行けるなぁ」と言ったんだ。「なんで行きたいんだよ」とまた誰かが聞いたら「オレ、引き揚げ者だからだよ」と。すると「えっ。俺もだよ!」「俺も俺も……」なんてみんな話し出した。住んでいた場所を聞いてみたらみんな結構近くで暮らしていたのがわかったよ。私と赤塚さんなんて、おんなじ小学校に通っていたんだから!家も100m、200mくらいしか離れていないくらいご近所さんだったんだ。(父親が働いていた)印刷工場は今も中国人が工場として使っているらしくてね。当時の建物が今もけっこう残っていると聞いています。
漫画家以外にも、著名人に引き揚げ者はたくさんいるんだ。山田洋二さんもそうだね。最近は自分が引き揚げ者だと口にしている人も増えたかな。僕は漫画に描いているし、映画だったり何だったりで語る人も出てきました。でも以前はちょっと言いにくい雰囲気があったんだよ。隠しているつもりではないんだけど、思い出したくないのかもしれないね。辛い出来事もあったから。ウチはたまたま徐さんの助けもあって家族みんなで帰ってこられたけど、大抵は違う。妹と離れ離れになった、母親が死んでしまった……、こういう悲しいことがあったんだ。もっともっと辛い思い出を抱いている人もいるはず。

[戦後72年]「私は、人間を信じる」 漫画家・ちばてつやさん 満州引き揚げの記憶に思う|KOKOCARA(ココカラ)−生協パルシステムの情報メディア
日本は戦後72年といいますが、しかしこの間も世界のどこかではずっと戦争が続いています。だから、本当は「戦後」はないんです。日本についても、1945年8月15日で平和になったわけではない。日本が降伏してからも、引き揚げがあったり、シベリア抑留があったり。殺戮が続き、たくさんの人が亡くなりました。10年以上もシベリアに抑留された人がいます。

漫画家ちばてつやを生んだ「屋根うら」の戦争体験。 | 潮WEB 〜ことばの力は時代を開く〜|潮出版社

ちばてつやさん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス

漫画家たちの証言・・・厚木図書館
戦後70年 わたしの戦争体験・・・伊勢原図書館
あしあと ちばてつや追想短編集
ひねもすのたり日記
 
 
その他
アジア歴史資料センター
明日への言葉: 難波和夫(元歩兵第21連隊 功績係 ) ・【戦争・平和インタビュー】”功績係”が見つめた戦争
(1318) 「功績係」が見つめた戦争 元歩兵第21連隊 功績係  難波和夫 – YouTube
功績係上等兵 ([高橋栄夫]): 1993|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
 
 
構成検討7月14日
問題意識
戦争を知らない世代が戦争語るの難しくないか。。。みんな悩む

実際に漫画を描いたり、研究している人はどうかんじているのか。。。やっぱり同様になやんでる

体験者のちば先生すら悩んだ

加害性すらある

実際にどんな工夫や心がけで実践しているのか。

結果、どのように受け取れるものになったのか。これからどうすべきなのか

 
 
構成案7月16日
Thesis
戦争を知らない世代が戦争を語ること、漫画というフィクションだからできること

Point
戦争を描く、うしろめたさや加害性にいかに向き合うか
嘘と創作と伝えることと功績係という設定
答えを出さずに一緒に考えていく

 
 
パターン1
Intro
1話小山くんと田丸のスコールで水浴び直後、空襲に驚いた小山君が死んでしまう

父のように立派に戦ったお国のために戦いたかった小山くんは無駄死に

そこで主人公に功績係に任命された主人公の田丸は、勇猛果敢な小山君の死を捏造し、家族の手紙を書く

武田一義先生の『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の概要
「きっとほとんどの人がそうですよね、戦争の話題って、なんだか触れがたいというか」

ふれがたさの理由。。。体験もしていないのに語れることなんてあるのか。

触れがたい戦争という題材を、触れやすい可愛い絵柄で描いた作品がある。
 
 

Body1 戦争を知らない世代が描く戦争漫画
武田先生は、どんな工夫をしたのか

漫画家という主人公、目線の主人公と行動の主人公が必要な理由

生活感を持って現代人に届けることが大事

 
 

Body2 先生を描くうしろめたさ
片倉兵長の言葉「漫画‥話を聞けば体験していなくても描けるとお考えですか?」

実際に武田先生も言われた言葉
漫画を描いている時、常にうしろめたさはあったという

ちば先生にもあった後ろめたさ

面白く伝える必要はある。しかし、うしろめたさはマンガという娯楽の場合だけにあるものじゃない
石川さんの言葉、PTSDの話

うしろめたさは実際には必要

ではやるべきではないのか、それは違う

武田さんはフィクションだから伝えられる真実もあるという。
 
 
Body3 答えを出すのではなく
武田先生はこういう風に考えるべきだという描き方をしていない

石川さんは一回視点を崩せと言われた

一緒に考えていくことが大事

千葉先生もいまだに勉強している

うずに巻き込まれないために、勉強し続ける

今回話を聞いた3人はいずれも世代の異なる人たち、しかし、確かに戦場を経験していない人のうしろめたさを抱えながらの工夫がこのように継承されてきた形をはっきりと見えた取材体験だった。

戦争に終わりはない
学び続け、新しい真実は耐えず出てくる。
だから、全ての情報に対する態度を身に着け、学び、考え続ける
 
  

パターン2
Intro
片倉兵長の言葉「漫画‥話を聞けば体験していなくても描けるとお考えですか?」

『ペリリュー 楽園のゲルニカ』はペリリュー玉砕戦を題材にした戦争漫画だが、このように自己否定ともとれる発言が飛び出す作品だ。

ペリリューを描いた武田さんは戦争を知らない世代だ。戦争を知らない世代が戦争を描くにあたり、様々な葛藤や苦労があった
 
 

Body1 後ろめたいと感じていた
武田さんはいつもうしろめたさを抱えて執筆した。

戦争を子どもの頃に体験しているちばてつや先生にもそういう葛藤はあった
 
 
Body2 功績係に込めたもの
武田さんの発想、、主人公を功績係にして嘘をつかせた

本当の意味を知りたい
 
 
Body3 フィクションだから伝えられるものもある
田丸の台詞「自分は人を殺したということ、それを自分の子どもに伝えるのはとても恐ろしいことだよ」

武田戦争の遺族からの手紙の話

石川さんは体験者からの聞き取りを行っている。
聞き取り調査は時にPTSDを起こしていますこともあるほど、体験者にとってはつらいことでもある。ある種、加害行為ともいえる・漫画をい描くことも同様で、うしろめたさの正体はそこにもある
 
 

Concl 考えることが大事

石川さんの言葉、体験者も今までの伝え方では通用しないと感じ始めている。

ちば先生もいまだに勉強している

武田先生「結論を押し付けない

話を聞いたのは、偶然にも世代の異なる3人。それぞれが考え、うしろめたさと向き合い、葛藤しながら戦争を継承している。

  
 
 
 7月18日構成案

パターン1
「きっとほとんどの人がそうですよね。戦争の話ってなんだか触れがたいっていうか」(11巻P185)

戦争体験者がどんどん減っていく中、戦争を体験していない世代の多くが、そう感じているのではないだろうか。

戦争を体験したこともないのに、戦争について偉そうに語るのは、どこかおこがましいという気持ちがあるのでは。

そういう風潮が、戦争の記憶の継承を困難にしている。

しかし、戦争を知らない世代による、新しい戦争の描き方と継承の実践がある。

武田一義先生の漫画『ペリリュー 楽園のゲルニカ』は、3等身の可愛い絵柄で激戦だったペリリュー島の戦いを描いている

戦争を知らない世代にとって触れがたいものである戦争を真正面から取り上げる上で何を考え、どんな葛藤を抱えて挑んだのか。

**Body1 武田先生の動機とアプローチ**
2015年に天皇陛下ペリリュー島訪問でペリリューを知った武田先生

「自分が作家という立場になって、戦争は人間が経験する極限状態だろうって思いはずっとあって、書きがいがあるだろうなという思いが自分の中にありました」

今、戦争の漫画を描くにあたり、何を工夫したか・・・功績係を主人公に、第一話に込めたメッセージ
「僕らは戦争を直接知らない。当時の人が書いたものや証言、そもそもそれは本当なのか、(戦争を)知らない僕らは全てを真に受けるのではなく、嘘と本当に2分するのではなく、どの程度本当なのか、僕らは後世に伝える時に、それからまず考える必要がある。それをメタ的に表現するための1話として主人公が嘘の手紙を書く、資料というものを真偽性を問うだけじゃなく、読者に対して、この漫画に描かれてることも本当かどうかはわからないんですよっていうメッセージでもある」

**Body2 戦争に熱中していない主人公**
現代人に戦争を伝える工夫・・・主人公を漫画家志望にした理由は、現代の人に近いメンタリティにして読者の目線の主人公に据えるため
「自分の絵柄が戦争を描くのに向いていたと思う。田丸という人物を、わりと現代人に近いメンタリティにした。田丸は戦場にいながら戦争に熱中していないんです。それよりも気になることがある、絵を描きたいとか。そのメンタリティは、今の読者と普通のメンタリティに近いんじゃないかと思って。ペリリューという作品を読むと、田丸は目線の主人公であって、物語の主人公は吉敷なんですよね。吉敷は初期の段階で戦争に熱中してるんです。だから、吉敷が物語を動かしているんですけど、今戦争漫画をやるためには吉敷が主人公じゃいけなかったんです。この時代の戦争漫画の主人公として田丸が正しい、自分はそう思って物語としての主人公の吉敷と目線の主人公としての田丸というダブル主人公制を用意しました」

**Body3 戦争を描く後ろめたいし、誰かを傷つけることもあり得る**
片倉兵長の言葉「漫画‥話を聞けば体験していなくても描けるとお考えですか?」(11巻P123)

実際に武田先生も言われた言葉。言われることは予測していたが、協力的な方が続いた後に言われたので、改めてガツンときた。

そもそも、戦争を知らない世代が戦争を漫画という娯楽で描くことに対して、何らかの葛藤はあったのか。戦争未体験の多くが触れがたいと感じるものに、体験していない人が漫画という娯楽で戦争と扱うことに対する葛藤はあったのだろか。

「後ろめたさはずっとあった。取材するけど想像も交えて描くのだから、批判されても仕方のないこと。漫画を描いている時、(描く資格があるのか)ずっと問いかけ続けていた」

幼少の頃に終戦を体験しているちばてつや先生も、かつて『紫電改のタカ』を描いた時に同じような感情を持っていた

「連載中、人気が落ちてきた時、担当編集がもっと華やかで面白いものを描いてと言ってきた。それで、実際にはあり得ないような戦い方を描いてしまった」
裏では編集者とちば先生のたくさんのせめぎ合いがあった

「戦争というのは面白いものじゃないんだ。もっと面白くと言われ腹が立って喧嘩した」

「本意ではなかったが、連載が終われば特攻隊の方の気持ちを描くこともできなくなる。だから、興味本位に創作してしまって申し訳ないと(心の中で)謝りながら描いていた」

**Body4 誰かを傷つけるリスクはあってもやるべき理由**
石川勇人さんの体験談・・・話を聞きに行くだけで誰かを傷つけることがある・・・初めて戦争体験者に聞き取りを行った時にPTSDを引き起こしてしまった。
「自分が一言聞いただけでPTSDを再発させてしまうなんて、当時予想できなかったことなので、それは非常に自分の中で大きな失敗であり、学ぶことも大きかったです。聞き取りをすることによって傷を開くことは知っているので、誰かを傷つけるくらいなら辞めようかと思うことはあった。」

報道にも傷つけるリスクがある
「ウクライナ戦争の報道で沖縄戦を思い出してつらくなる人もいる。しかし、今何が起きているのか伝える手段は必要」

それでも今も活動を続ける理由
「同じ苦しみを抱えている人はたくさんいるから、その人たちの声を聞くことを約束してほしいと言われた。自分が活動を止めたら、その想いを誰が受け取るのか。
相手を傷つけるリスクはあるし、トラウマが自分に感染するリスクもあるけど、逃げないで一緒に向かっていくのが大事だと思っている。中には、家族にすら話せないて1人で抱えている体験者もいる」

武田さんはフィクションだから伝えられる真実もあるという。
「遺族の方も、実際に祖父がどんな戦争体験をしたのか、ちゃんと聞いたことはなかったので、この漫画でようやく理解できたという手紙をいくつかいただいた。体験者の中には、家族だからこそ言えないこともある」

田丸の台詞「自分が人を殺したということ。それを自分の子供に伝えるのは、とても恐ろしいことだよ」(11巻P134)

田丸が抱え続けたある種の「後ろめたさ」

戦争を体験した人も、戦争を伝えようとする人も、みなうしろめたさを抱えている?

**Body5 答えを与えるのではなく疑問を与えて一緒に考える**
戦争を知らない世代が戦争について考える時に、大切な姿勢とは何か

武田「戦争についてこう考えるべきだという描き方を一切していない」

石川さんは、あえて疑問を残すやり方を心掛ける
「たくさん情報量を与えて疑問を返していく。答えを与えてしまうと、それが沖縄戦の全体像になってしまう」

どうすれば、若い世代に戦争を身近に考えてもらえるか
武田「わからないが、わからないなりにこの漫画は敷居の低い入り口になるのでは。入口としてもっと軽く入れるものがあってもいい。普段考えないことを考えてくれれば」

巻き込まれないために、考え続けて、目を養うことが大切。

世代の異なる3人は、それぞれに考え続けている。
 
 
 
 
 
パターン2

**Introduction**
片倉兵長の台詞「漫画‥・話を聞けば体験していなくても描けるとお考えですか?」(11巻P123)

『ペリリュー 楽園のゲルニカ』はこのような自己否定的な台詞が出てくる戦争漫画

描いたのは、武田一義さん。戦争そ知らない世代が戦争漫画を描くにあたり、様々な葛藤、そして現代人に戦争を伝えるための工夫があった。

**Body1 興味はある、けれど後ろめたい**
片倉兵長の言葉は、実際に体験者に武田先生が言われた言葉。言われることは予測していたが、協力的な方が続いた後に言われたので、改めてガツンときた。


そもそも、戦争を知らない世代が戦争を漫画という娯楽で描くことに対して、何らかの葛藤はあったのか。戦争未体験の多くが触れがたいと感じるものに、体験していない人が漫画という娯楽で戦争と扱うことに対する葛藤はあったのだろか。

「後ろめたさはずっとあった。取材するけど想像も交えて描くのだから、批判されても仕方のないこと。漫画を描いている時、(描く資格があるのか)ずっと問いかけ続けていた」

幼少の頃に終戦を体験しているちばてつや先生も、かつて『紫電改のタカ』を描いた時に同じような感情を持っていた

「連載中、人気が落ちてきた時、担当編集がもっと華やかで面白いものを描いてと言ってきた。それで、実際にはあり得ないような戦い方を描いてしまった」
裏では編集者とちば先生のたくさんのせめぎ合いがあった

「戦争というのは面白いものじゃないんだ。もっと面白くと言われ腹が立って喧嘩した」

「本意ではなかったが、連載が終われば特攻隊の方の気持ちを描くこともできなくなる。だから、興味本位に創作してしまって申し訳ないと(心の中で)謝りながら描いていた」

それでも描く理由を武田さんは
「自分が作家という立場になって、戦争は人間が経験する極限状態だろうって思いはずっとあって、書きがいがあるだろうなという思いが自分の中にありました。
それに、監修の平塚さんに事実ベースのドキュメントやノンフィクションだから書けないこともあると言われ、そういうこともフィクションなら戦争ではこういうことも起こり得るんだと描ける」

**Body2 功績係を主人公にした理由**
現代人に戦争を伝えるために、表現上でどのような工夫をしたのか。・・・功績係を主人公に、第一話に込めたメッセージ
「僕らは戦争を直接知らない。当時の人が書いたものや証言、そもそもそれは本当なのか、(戦争を)知らない僕らは全てを真に受けるのではなく、嘘と本当に2分するのではなく、どの程度本当なのか、僕らは後世に伝える時に、それからまず考える必要がある。それをメタ的に表現するための1話として主人公が嘘の手紙を書く、資料というものを真偽性を問うだけじゃなく、読者に対して、この漫画に描かれてることも本当かどうかはわからないんですよっていうメッセージでもある」

主人公を漫画家志望にした理由は、現代の人に近いメンタリティにして読者の目線の主人公に据えるため
「自分の絵柄が戦争を描くのに向いていたと思う。田丸という人物を、わりと現代人に近いメンタリティにした。田丸は戦場にいながら戦争に熱中していない。それよりも気になることがある、絵を描きたいとか。ペリリューという作品を読むと、田丸は目線の主人公であって、物語の主人公は吉敷で彼は初期には戦争に熱中している。だから、吉敷が物語を動かしているんですけど、今戦争漫画をやるためには吉敷が主人公じゃいけなかった。この時代の戦争漫画の主人公として田丸が正しい、自分はそう思って物語としての主人公の吉敷と目線の主人公としての田丸というダブル主人公制を用意しました」

**Body3 誰かを傷つける可能性をいかに考えるか**
石川勇人さんの体験談・・・話を聞きに行くだけで誰かを傷つけることがある・・・初めて戦争体験者に聞き取りを行った時にPTSDを引き起こしてしまった。
「自分が一言聞いただけでPTSDを再発させてしまうなんて、当時予想できなかったことなので、それは非常に自分の中で大きな失敗であり、学ぶことも大きかったです。聞き取りをすることによって傷を開くことは知っているので、誰かを傷つけるくらいなら辞めようかと思うことはあった。」

報道にも傷つけるリスクがある
「ウクライナ戦争の報道で沖縄戦を思い出してつらくなる人もいる。しかし、今何が起きているのか伝える手段は必要」

それでも今も活動を続ける理由
「同じ苦しみを抱えている人はたくさんいるから、その人たちの声を聞くことを約束してほしいと言われた。自分が活動を止めたら、その想いを誰が受け取るのか。
相手を傷つけるリスクはあるし、トラウマが自分に感染するリスクもあるけど、逃げないで一緒に向かっていくのが大事だと思っている。中には、家族にすら話せないて1人で抱えている体験者もいる」

武田さんはフィクションだから伝えられる真実もあるという。
「遺族の方も、実際に祖父がどんな戦争体験をしたのか、ちゃんと聞いたことはなかったので、この漫画でようやく理解できたという手紙をいくつかいただいた。体験者の中には、家族だからこそ言えないこともある」

田丸の台詞「自分が人を殺したということ。それを自分の子供に伝えるのは、とても恐ろしいことだよ」(11巻P134)

田丸が抱え続けたある種の「後ろめたさ」

戦争を体験した人も、戦争を伝えようとする人も、みなうしろめたさを抱えている? だから、うしろめたさは大事かもしれない。

**Body4 触れがたい戦争に触れてもらうために**
「きっとほとんどの人がそうですよね。戦争の話ってなんだか触れがたいっていうか」(11巻P185)

戦争体験者が減っていく中、多くの人はそう実感しているのではないか。

どうすれば、若い世代に戦争を身近に考えてもらえるか
武田「わからないが、わからないなりにこの漫画は敷居の低い入り口になるのでは。入口としてもっと軽く入れるものがあってもいい。普段考えないことを考えてくれれば」

こう考えるべきだと押し付けないようにしている。
武田「戦争についてこう考えるべきだという描き方を一切していない」

石川さんは、あえて疑問を残すやり方を心掛ける
「たくさん情報量を与えて疑問を返していく。答えを与えてしまうと、それが沖縄戦の全体像になってしまう」

学び続ける姿勢の大切さ
「戦争の渦はいつの間にか多くの人を巻き込んでしまう」

巻き込まれないために、考え続けて、目を養うことが大切。

世代の異なる3人は、それぞれに考え続けている。
 
 
 
7月21日構成指摘
①ライトユーザーを考えると、フックとして戦争のことを考えるためのツール論や、戦争を考えるのは難しいよねという入り方も「難しい話し」が始まりそうな印象があるように感じる。
そもそもマンガ自体がライトで興味をひくものなので、戦争マンガが異例のヒットをしているというストレートな入りで良いのでは。

②現状、戦争を伝えることの困難さを主題に置いているため、ちばさん、小川さん、武田さんの話が並列な印象。あくまでも軸は「ペリリュー」という作品とした方が読者としても読む態度が明らかになるため、途中で迷わないのではないか。
 
 
 
 7月22日、再度構成
Intro
太平洋戦争の激戦地を描いたマンガ「ペリリュー 楽園のゲルニカ」が、「戦争マンガ」として異例のヒット。アニメ化も決定しているほど。

日本ではあまり知られていない「ペリリューの戦い」を描いたこのマンガは、なぜこれほどまでにヒットしているのか。

**Body1なぜ戦争をマンガで伝えようと思ったのか**
漫画の概要とペリリュー島の戦いの概要

凄惨な戦争描写に対して、絵柄は可愛らしい。戦争を知らない世代だが、戦争の悲惨さが工夫して伝えられている。

そもそもなぜ「ペリリューの戦い」を商業マンガとして描こうと思ったのか?

2015年に天皇陛下ペリリュー島訪問でペリリューを知った武田先生(47)

「作家の立場として、戦争は人間が経験する極限状態だろうって思いはずっとあって、書きがいがある」

今、戦争の漫画を描くにあたり、何を工夫したか・・・功績係を主人公に、第一話に込めたメッセージ
「僕らは戦争を直接知らない。当時の人が書いたものや証言、そもそもそれは本当なのか、(戦争を)知らない僕らは、嘘と本当に2分するのではなく、どの程度本当なのか、僕らは後世に伝える時に、それからまず考える必要がある。それをメタ的に表現するための1話として主人公が嘘の手紙を書く、資料の真偽性だけじゃなく、読者に対して、この漫画に描かれてることも本当かどうかはわからないんですよっていうメッセージでもある」

主人公を漫画家志望にした理由は、現代の人に近いメンタリティにして読者の目線の主人公に据えるため
「田丸を現代人に近いメンタリティにした。田丸は戦場にいながら戦争に熱中しておらず、それよりも絵を描きたいとか、気になることがある。そのメンタリティは、今の読者に近いんじゃないか。田丸は目線の主人公であって、物語の主人公は吉敷。吉敷は初期の段階で戦争に熱中している。物語を動かすのは吉敷だが、現代人に戦争を伝えるものにするためには、吉敷が主人公じゃいけない。現代人のための戦争漫画の主人公として田丸が正しい」

**Body2 戦争を描くのは後ろめたい**
しかし、製作時には葛藤や苦悩もあった。
└片倉兵長の言葉「漫画‥話を聞けば体験していなくても描けるとお考えですか?」(『ペリリュー』11巻P123)
実際に武田先生も言われた言葉。言われることは予測していたが、協力的な方が続いた後に言われたので、改めてガツンときた。

「後ろめたさはずっとあった。取材するけど想像も交えて描くのだから、批判されても仕方のないこと。漫画を描いている時、(描く資格があるのか)ずっと問いかけ続けていた」

**Body3戦争をマンガとして伝えることの難しさと意義**
「戦争非体験者」として葛藤を持ちつつマンガを描く武田先生だが、「戦争体験者」の大御所マンガ家としてこの『ペリリューの戦い』を評価するマンガ家がいる。それが、ちばてつや(83)だ。

ちばてつや先生の『ペリリュー』評価ポイント。

幼少の頃に終戦を体験しているちばてつや先生は現在、自伝漫画『ひねもすのたり日記』で©満州からの引き揚げ体験を描いているが、かつて特攻隊のマンガ漫画『紫電改のタカ』を描いた時に同じような感情を抱いた。

「連載中、人気が落ちてきた時、担当編集がもっと華やかで面白いものを描いてと言ってきた。それで、実際にはあり得ないような戦い方を描いてしまった」
裏では編集者とちば先生のたくさんのせめぎ合いがあった。

「戦争というのは面白いものじゃないんだ。もっと面白くと言われ腹が立って喧嘩した」

「本意ではなかったが、連載が終われば特攻隊の方の気持ちを描くこともできなくなる。だから、興味本位に創作してしまって申し訳ないと(心の中で)謝りながら描いていた」

**Body4誰かを傷つけるリスクはあってもやるべき理由**
フィクションだからこそ伝えられる真実」もあると武田先生は語る
「遺族の方も、実際に祖父がどんな戦争体験をしたのか、ちゃんと聞いたことはなかったので、この漫画でようやく理解できたという手紙をいくつかいただいた。体験者の中には、家族だからこそ言えないこともある」

田丸の台詞「自分が人を殺したということ。それを自分の子供に伝えるのは、とても恐ろしいことだよ」(『ペリリュー』11巻P134)
武田先生よりもさらに若い20代で、戦争体験の聞き取り活動を続けている青年もいる。沖縄国際大学・大学院2年生の石川勇人さん(23)だ。2021年8月に沖縄県宜野湾市主催の平和学習イベントで武田先生と対談したこともある石川さんは、『ペリリュー』のようにマンガで戦争を伝えることは有効な手段だと考えている。
実際に、本土からの修学旅行生や、地元の子供達に戦跡を案内しようとした時に、いきなり当時の戦闘の話をしても相手がなかなか想像できない。当時のお風呂や遊びといった生活に身近な話題から想像をふくらませるなど、戦争を体験してい世代同士で伝えるのには工夫が求められることを実感しているからだ。
そして石川さん自身も、「戦争体験」を伝えようとして「後ろめたさ」を感じたことがあるという。沖縄戦の体験者への聞き取り調査で体験者にPTSDを引き起こさせてしまった。「戦争の事実を伝えることは体験者を「傷つける」可能性も伴う」
石川さんはそこから地道な活動で体験者と絆を結びながら、戦争の事実とどう向き合うかを学んでいった。体験者にとって「戦争は今もまだ続いている」

**Body5答えを与えるのではなく疑問を与えて一緒に考える**
2022年8月15日で戦後77年。「戦争を知らない世代」が大半となった今、我々が戦争について考えるときに大切な姿勢とは何か。
若い人に興味を持ってもらうのは)難しいことだが、この漫画は敷居の低い入り口になるのでは。入口として軽く入れるものがあってもいい。普段考えないことを考えてくれれば」

作品内にあえて答えは提示していない。自分自身がどう思うのかが大事。

石川「体験者に「一度視点を崩せ」と言われた」の話+「結論を押し付けるのではなく、一緒に考えたい」

ちばてつやさんの「戦争の渦」の話

終戦から77年。これは明治維新から終戦まで日本がたとっだ77年と同じ時間が経過したことになります。これから日本が再び戦争に巻き込まれるような未来がやってくるのかどうか…それは、私たちがどのような視点をもって「戦争」を見ようとするかにかかっているといえるでしょう。(等を想定)
 
 
 

 
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 メモ終わり。

 かなり何度もやり取りしながら作った記事です。本当は3人のインタビューを全て聞いてほしいと思うぐらい素晴らしい話がたくさん聞けたので、もう一本ぐらい記事作れそうな気がしました。

 ペリリューは本当にすごい作品なので、記事を読んできになった方は是非漫画を読んでみてください。
 
 
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