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生成AIの著作権について弁護士に聞いてみました

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 弁護士JPニュースという 媒体で新たにライターをやることになりました。第一弾の記事はこちらになります。

 「画像生成AI」“著作権”問題の落としどころは? 映画の歴史に見る“対応策”のヒント | 弁護士JPニュース

 今年になって活発に議論がかわされている生成AIですが、著作権の問題も浮上しています。果たして、この新しい技術について、どう考えればいいのかヒントを探るべく、著作権に詳しい折田弁護士に話を聞きました。

 僕がヒントにしたのは、映画の歴史でかつて著作物として保護されていない時代がありました。機械を通して作られたものには著作権が発生しないという解釈があったんですね、昔。

 今、AIという新しい機械が登場したので、その時どんな議論があったのか振り返ることで、これからのAIの議論に役立つといいな、そんな記事です。

 
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案。
 
 
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Midjourney、Stable Diffusion、mimicなどの画像自動生成AIと著作権|知的財産・IT・人工知能・ベンチャービジネスの法律相談なら【STORIA法律事務所】
▼ AIソフトウェア2を生成するために他人の画像や文章などの著作物を勝手に収集して利用することができるか(論点1)
日本著作権法においては、AIソフトウェアの生成に必要な著作物の利用行為(データの複製や翻案)については、原則として著作権者の承諾を行わなくても可能であるという権利制限規定が存在します。
それが、平成30年改正著作権法によって導入された著作権法30条の4第2号です。
日本の著作権法については、そのような目的の限定がないため、営利企業が営利目的で情報解析を行う場合にも著作権法30条の4の適用があります。
 この点が日本著作権法30条の4の特殊性です。
具体的に議論されているのは、**「特定の作者の画像のみを学習させることで、当該作者の作風を表現できるAIソフトウェアを生成する行為」がこの「当該著作物の・・・著作権者の利益を不当に害する」場合に該当するか**です。
この点は、「私が描いたイラストをAI学習に使うのは禁止にします」と表明するだけでそもそも「契約」が成立したか、という問題です。
 結論からいうと、そのような一方的な表明がなされただけでは「契約」が成立したことにはならないと思われます。「契約」が成立するためには契約当事者双方の意思が合致することが必要とされているためです。
▼ 自動生成された画像に著作権が発生するか(論点2)
「人間が創作した」と「人間が創作に関与せずAIの利用により完全自律的に作成された」の線引きをどこに置くかが大きな問題です。
 **要するに、人間がAIを道具として利用したにすぎないのか、AIが完全自律的に生成したと言えるのかどうかですが、日本での議論では、この点は人間に「創作意図」と「創作的寄与」があったかによって判断されるとされています**7
まず、呪文自体が著作物として保護される場合があります。
 著作物とは「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」ですが(著作権法2条1項1号)、典型的には呪文が「人間が読んで意味をとることができる、一定の長さをもった文章」の場合です。
 この場合は、特に呪文が著作物であることについて特に問題はないと思います。
 難しいのは、呪文が、文章とは言えない、多数の単語の羅列の場合です。
 これは難しい。
 私の知る限り論じられたことのない論点であり、私の中でも結論は出ていませんが、まず、全く無関係の単語を羅列した呪文は「思想又は感情を創作的に表現」したとは言えず、著作物には該当しないと考えます。
 一方、ある特定のテイストを持った対象物を思ったように生成するためには、呪文生成にかなり特殊なコツが必要のようです。
▼ 学習に用いられた画像と同一の画像が『偶然』自動生成された場合、著作権侵害に該当するか(論点3)
**「類似性」が肯定されるためには「既存著作物の表現上の本質的な特徴を直接感得できること」が必要であるとされており、「作風」「スタイル」レベルでしか類似していない場合、には類似性を満たさず、著作権侵害には該当しません。**

  
 
今後、考えられるトラブルにどんなものがあるか
日本の著作権法30条の4が特殊だと書かれています。他国のサービスに日本が駆逐されることを心配する人もいますが、諸外国の類似法は基本的にどうなっているのでしょうか。
実際に、他国で類似のサービスが出て日本のイラストレーターに実害が出た場合、法的に対処可能でしょうか。
著作権の理念は、文化の発展に寄与することだと思います。AIツールの発展はイラストレーターなどの仕事を奪うかもしれないと心配されていますが、理念から見て、現状の著作権法のバランスは適切だと思いますか。
mimicはいったんサービス停止しましたが、法的に問題はありましたか。
作風やスタイルの類似だけでは著作権で保護されないのが基本だと思いますが、本質的な特徴部分まで類似した作品がAIツールで描かれた場合はどうなるのでしょうか。
イラストレーターの権利を侵害せず、AIツールの発展も阻害しないために、どんな法デザインが適切なのか、今後議論を進めていく上でポイントだと思われる点はなんでしょうか。
検索避けのクロールブロックのような機能をAIに対しても求める動きは必要ないでしょうか。

今後、絵描きもAI作成も、どちらも促進させるためには、どのポイントを整理すべきなのか。
日本人ユーザーが心配していることとして、アメリカや中国で類似サービスが出て、日本だけが遅れることを心配されています。他国ではこのAIツールをめぐる法律の整備はどんな議論があるのでしょうか。
日本の著作権法30条の4が特殊だと書かれています。他国のサービスに駆逐される心配をする人も多いですが、諸外国ではこうした法律は通常どうなっていることが多いのですか。
論点整理が見事でしたが、どうしてあれを書いたのですか。
実際にAIをめぐる日本の今後の文化の発展の行く末を心配していますか
 

 
著作権保護の理念
著作権法1条は,「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」と定めます。

 
大ウケした「Midjourney」と炎上した「mimic」の大きな違い “イラスト生成AI”はどこに向かう?:小寺信良のIT大作戦(1/2 ページ) – ITmedia NEWS
AIの創作物に誰が著作権を持つのか?AIの法律問題を弁護士が解説

旧日本著作権法における映画と写真の位置づけ
旧法下における映画や写真は,製作行為=撮影に機械が大きく関与するという特徴から,小説や絵画等の典型的著作物とは異なる存在として認識されていた。特に映画は,1899(明治 32)年の旧法制定当初関連技術が紹介されたばかりであり,明治後期を通じて,立法者にもまた学説等でも著作物と考えられておらず,む しろ複製手段の一つであり規制の対象として捉えられていた。しかし1910年代以降,映画製作のあり方が徐々に変化し,また映画特有の表現手法が追求されるのに伴い,映画を著作物と して保護しようとする動きが現れる。

構成9月14日
映画初期の著作権の変遷から考えるAI著作権の行方

Point3つ
映画は当初、機械が大きく関与するという特徴から,小説や絵画等の典型的著作物とは異なる存在と認識され、著作物として保護の対象ではなかった。
機械を使って複製するだけのものは創作物ではなかった?・・・学習データから演算するAIはどうなのか
映画が独自の演出を高めて洗練していった結果、独創性を考え直す議論がなされ、著作物として保護されるようになった・・・AIも新たな独創性を拡張、刷新するような議論が起きるのか。そして、AIアート独自の表現が生まれるのか。

AIお描きサービスの是非が話題となっている。
僅かな文章を入力するだけで絵を生成してくれるサービスは、将来的な著作権はどうなるのか、絵柄がスタイルを模倣される恐れなどが指摘。
こうしたサービスで作られた画像や絵に著作権を認めるべきなのか、そもそもこれらのサービスは規制しなくていいのか、という議論が沸騰している

新しいサービス、新しい技術による創作が出るたびにこうした議論は繰り返されている。例えば、映画も登場した当初、著作物とは認められていなかった

Body1 旧著作権法での映画の扱い

映画は当初、機械が大きく関与するという特徴から,小説や絵画等の典型的著作物とは異なる存在と認識され、著作物として保護の対象ではなかった。
当時『機械的ならびに科学的方法によって自然を撮写したものに過ぎず』他の著作物のように多くの精神的労力を要するものではない。。。写真の保護期間が10年になった理由

それが映画独自の演出などが発展するにつれて、著作物として認めるべきという議論が起こり、認められるようになった。

精神的労力を要するものではなく、機械で写し取るだけだから著作物として劣っているという発想があった

今のAIの議論にも、そんなあっさりと文字入力だけで創作できると認めてもいいのか、という気分があるのでは。
ただ、すでにあるイラストや絵を模倣するものではなく、AIを使って従来の絵画やイラストとは異なる独自の表現を生み出すことができれば、誰もがAIアートの創作性を認めるのでは。

独創性の問題が議論され直した。
映画という新しい技術による表現の著作権を認めるため、独創性とは何かを定義していく過程だった。

現行著作権法ではどうなっているか。
「人間が創作した」と「人間が創作に関与せずAIの利用により完全自律的に作成された」の線引きをどこに置くかが大きな問題です。
 要するに、人間がAIを道具として利用したにすぎないのか、AIが完全自律的に生成したと言えるのかどうかですが、日本での議論では、この点は人間に「創作意図」と「創作的寄与」があったかによって判断されるとされています

人間が創作した、とはどこからどこまでを指すのか。

 
 構成10月18日
Intro
画僧生成AIの是非は法的なポイントなどについてここのところ、SNSで活発な議論になっている

著作権法に基づく法的な取り扱いも重要なポイントですが、今問われているのは表現というものの本質かもしれません。
著作権とは方によって創作物を保護し、文化の発展に寄与することを立法の目的としているもの

AIのように、新技術が生まれる度に、芸術の世界も大きな影響を受け、新しい表現を開拓してきた歴史がある。その度に、法的に保護される創作物の境界も変化してきた。

新技術によって花開き、今日ではメジャーな表現物である「映画」は、誕生当初著作物として保護されていませんでした。

著作権は、その時代、何を創作物として文化的成果として守っていくのかを反映しているものと言える。
映画が、どのように今日のように創作物として認められたのかを振り返ってみることで、画像生成AIのような全く新しい技術を使った表現に対して、どう考えるべきなのか、ヒントがあるのではないか。

Body1 旧著作権法での映画の扱われ方
折田忠仁先生に弁護士先生の名前、こう語る
1886年に著作権にかかわる国際的ルールを定めるベルヌ条約が成立し、日本は1899年(明治32年)に同条約に加盟するとともに最初の著作権法を制定しました。この時には、「文書演述図画建築彫刻模型写真演奏歌唱其ノ他文芸学術若ハ美術 (音楽ヲ含ム以下之ニ同ジ) ノ範囲ニ属スル著作物」と定められていて、写真は著作物として例示されていましたが、映画はそうではありませんでした。それもその筈で、当時は映画という言葉すらなく、活動写真と称されていたわけですが、活動写真でさえまだ一般に認知されていませんでした。

その理由は?
写真にしても、著作物として例示こそされていましたが、人が写真機=カメラを用いて機械的に撮影を行った結果の産物に過ぎず、創作に費やす労力は低いということで、その扱いは他の著作物に比べて低いものでした。例えば、他の著作物は基本的に著作者の生存中及び死後30年間保護されていましたが、写真の保護期間は発行から10年に過ぎませんでした。ベルヌ条約では、写真を著作物として保護する義務を課していましたが、それ以上のことはなかったので、日本は日本独自の扱いをしていたということです。

Body2変化が起きた理由

明治43年に旧著作権法改訂があったが、そこでも映画はまだ保護されず

しかし大正14年
徐々に世の中に映画が普及して映画産業が勃興し、原作の文字や絵だけでは感得できない映画ならではの表現手法も追及されていった結果、大正14年のことですが、映画には映画製作者の創意工夫が反映されているとの趣旨で映画を文芸の著作物と判示した判例が出ました。その後のベルヌ条約加盟国間での議論では、オリジナル即ち独創性のある映画については文学的又は美術的著作物としての保護を受けるが、写実的な映画(風景を撮影したようなもの)については写真著作物と同等の扱いを受けることとされました。

1931年、保護が認められたものの・・・
1931年の改正著作権法で「活動写真術又ハ之ト類似ノ方法ニ依リ製作シタル著作物ノ著作者ハ文芸、学術又ハ美術ノ範囲ニ属スル著作物ノ著作者トシテ本法ノ保護ヲ享有ス其ノ保護ノ期間ニ付テハ独創性ヲ有スルモノニ在リテハ……ノ規定ヲ適用シ之ヲ欠クモノニ在リテハ……ノ規定ヲ適用ス」として映画が著作物であることが初めて明示されましたが、独創性の有無で保護レベルが区別されていて、独創性に欠ける映画は、写真と同様発行から10年の保護期間のままでした。

現在は、ほぼ同等の権利が認められている
現行著作権法では、第10条(著作物の例示)の第1項7号に「映画の著作物」、8号に「写真の著作物」と例示されており、権利保護期間については、写真著作物の著作権を含む著作権の保護期間は、創作の時に始まり、著作者の死後70年間存続する一方で、映画の著作物の著作権は、公表後70年存続しますから、同等の保護といって良いでしょう。

Body3 ポイントは
昔、機械を使った写真や映画は、独創性の有無で保護の期間が区別されたが、今はそんなことはない

それは、そもそも映画に創作性がないということはあり得ず、全て大なり小なり創作性を有するという考え方が確固たる認識として広く世に浸透してきたからでしょうし、写真にしても同様です。

創作性や独創性によって保護するかしないを線引きするのは難しい
詰まるところ、最初はカメラやビデオカメラといった機械を介する点で異質であるが故に典型的著作物とは認められなかった写真と映画ですが、機械を介したとしても人の創意工夫が反映された表現であるならば、それは著作物であり、他の著作物と取扱いを異にする理由は無いという考え方が定着したということだと思います。確かに、文豪が著した大作と素人が撮った一枚の写真が同等の保護を受けるのはおかしいのではないかとの考え方は自然とも思え、現にかつては創作性のレベルが議論されたわけですが、結局のところ、創作性のレベルを適切に線引きするのは困難であり、創作性の大小で分け隔てすべきではないという結論に至ったわけで、これは人類の英知の一例ではないかと思います。

画像生成AIの現在の利用のされ方は、まだこれまでのところ、AIではないとできない独創性があるかどうか難しいところです。これまで画家が行ってきた作業を短縮・量産している。かつて映画が映画ならではの独創性を求めて、初めて保護されるようになったが、今の画像生成AIにそのような強い独創性は認められない。

そこでは線引きできないが、映画が著作物だと認められる過程には、映画が文学などとは異なる表現ができることが示されたことが重要なポイントになったことは確か。

しかし、独創性によって作品を保護するか否かでは、現行の著作権法が線引きしていない。カメラで簡単に風景を切り取れるように、(これもある種画家から見た時のショートカットだったのでは)、AIによって空想のイメージもショートカットできるようになったのが今か。

しかし、文化の発展という観点では、映画が映画ではないとできない表現を生み出し、文化を発展させたこともある、故に、AIでないとできない表現、これまどとは違うアートフォームとして育ってほしいという気がする。せっかく新たなテクノロジーなので。

AIアートならではの表現は追求できるのか。保護されるか否かとは別に、そこは新たなテクノロジーによる表現の可能性としておおいに追求されてほしいし、そうなってくるとAIアートも独自の表現として社会の中で認められるのではないか。

 
 
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 メモ終わり。
 
 なかなか難産で色々調べることが多い記事でしたが、かなり勉強になりました。著作権というのは独創性で区別されるものではない、というのは目からウロコです。現行の著作権では、「創作意図」があり「創作的な寄与」が認められれば創作物を保護するのですね。
 
 生成AIの議論は今後ますます活発になると思いますが、この著作権の基本を抑えておくのはとても大事だと思います。 
 
 
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