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『ベルセルク 黄金時代篇 MEMORIAL EDITION』のグリフィスについて書きました

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 アニメ!アニメ!の敵役連載に、テレビアニメ化されることとなった『ベルセルク 黄金時代篇 MEMORIAL EDITION』のグリフィスについて書きました。

 「ベルセルク」2人の生き様を描く“黄金時代篇”― 人知を超えたグリフィスには何が見えているのか | アニメ!アニメ!

 本作は、かつて三部作の劇場アニメ映画として製作されたものを、新規カットを加えてテレビアニメシリーズとして再構成したものになります。オリジナルの劇場版は、2012年から2013年にかけて公開されています。制作はスタジオ4℃なんですが、アニメーションの完成度も非常に高く、なおかつどの『ベルセルク』アニメよりも原作を再現しています。(90年代のTVアニメも面白いですけどね、小林七郎さんの美術がすごい)

 もうこの「黄金時代篇」は本当にすごいです。これだけの強烈なストーリーを生み出した三浦建太郎先生はすごいし、それを真正面からアニメにしたアニメ制作陣もすごい。キャストも魂の演技で応えています。

 この原稿は敵役連載なので、グリフィスに焦点を当てています。グリフィスという悪役も、本当によくできていますよね。
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案。
 
 
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Point3つ
夢がある高潔な存在、普通なら最高の主人公
友情と絶望、夢の終わり
自分の国を作る、作った国は誰もが幸せそうに見える、その手段は。。。

 
グリフィスは因果に従うだけの存在か、意思によって野望に邁進する存在か
因果に抗うガッツの最大の敵となっているという観点から考える

 
 
Intro
ベルセルク。。。屈指の傑作漫画

その黄金時代篇は本作を語る上で最重要のエピソードと言える。

なぜなら主人公ガッツの最大の目標であり、復讐相手グリフィスが誕生するから
主人公とその敵役であるグリフィスは、生きる意味を深く投げかける
  
  

Body1 高潔な鷹の団の団長

団長としてのグリフィスは一点の曇りない天才であり、信頼できる指揮官
同時に野心家。夢の成就のために集団は問わない、暗殺という手口すら行う。

ガッツに去られた時の苦悩、、、どうしてあんなにガッツを求めたのか
そんな彼すら壊れることがある。
対等の友だと思っていた者に、裏切られた気持ち。。。このガッツとのすれ違いが悲劇を生む
**「私にとって友とはそんな・・・“対等な者”だと思っています」**
──6巻「貴きもの」
鷹の団時代、シャルロットに語った言葉。あまりに傑出した存在故、対等の者がいない孤独感を漂わせる。
 
 

Body2絶望の果てに選んだ犠牲、
凄惨な拷問を受け再起不能状態となり、すべてを失ったグリフィス

運命のささやきが訪れる
何のために、彼は団員を犠牲にしたのか。
夢のため。。。。それともそういう運命、因果だったのか。もっと大きな絶対の流れのようなものに触れたのか

ベルセルクは何のために生きるのかを深く深く問いかける

ガッツは復讐のために生きている。それでいいのかと自問自答を繰り返している。

高潔なグリフィス、、、その裏と表。
彼の作る国で確かに平和に生きている人がいる。
自分の夢のために犠牲になったものがいることをどう思うのか。
絶対に許せないガッツ、なぜ、グリフィスは平気でいられるのか。
夢のための犠牲は仕方ないのか。それがよりよい国造りのためなら許されるのか。

ガッツはそんなことは絶対に承知しない。しかし、彼はもしかして今でも彼と並び立てることを目指しているのか、憧憬は捨てられていないのかもしれない。

グリフィスはガッツに対して、何を読者に示しているか。
人を超えた存在になってしまうグリフィスは、人らしい嫉妬や執着をきっかけに絶望し、蘇り人を超越する。
究極の欲張りで野望家。。。人知を超え

 
 
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 メモ終わり。

 この黄金時代篇以降の、特に後半でのグリフィスのあり方についてもちょっと触れているんですが、彼の作った国は平和そのものなんですよね。その平和がガッツたち鷹の団の犠牲の上に成り立っているわけですが。。。

 本作を考える時には、作中に出てくる「因果」という言葉について考えざるを得ません。因果に従うだけの存在は生きている意味があるか、あるいは因果に逆らってまで生きる意味はあるか、グリフィスとガッツを分け隔てるものはそこにあるのかなという気がします。

 この原稿を書くために改めて『ベルセルク』を読み直しましたけど、やっぱり凄まじい作品ですね。不世出の傑作だと思います。
 
 
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