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『すずめの戸締まり』と震災ドキュメンタリーについて書きました

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 リアルサウンド映画部の実写とアニメーションの連載で『すずめの戸締まり』を取り上げました。

 『すずめの戸締まり』と震災ドキュメンタリーが捉える“フィクションだから描ける現実”|Real Sound|リアルサウンド 映画部

 濱口竜介監督や小森はるか監督の東日本大震災についてのドキュメンタリー映画を引き合いにして、フィクションじゃないと描けない現実を見つめ、アニメーションドキュメンタリーの議論を通して、新海誠監督の『すずめの戸締まり』へと接続するという試みです。

 濱口竜介監督の「『死者の声』を聴くために」という文章に着想を得た原稿と言えるかなと思います。被災の中心はカメラでは撮影不可能なものだった、では、映画の作り手はそれをどう描くのか、そこにアニメで震災に向き合う新海監督との共通点を見出しました。

 小森はるか監督も、長く東北地方で撮影をされる中でカメラで撮れない現実がたくさんあるということに気がついたようです。これは、アニメーションドキュメンタリーの議論と重なる部分があり、『すずめの戸締まり』の姿勢にも通じるものがあると、書いてみました。

 ウェブで読むには長い文章ですが、自分ではなかなかよく書けたと思っています。
 
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案。
 
 
———————-
 
 
震災ドキュメンタリーの研究を、アニメーション・ドキュメンタリーの議論を経由して『すずめの戸締まり』に接続する試み

モードとしてのドキュメンタリー・・・メロドラマがジャンルからモードになった理屈を援用できるか。ドキュメンタリー要素は今、偏在している。

コスモロジー(霊性の世界)を目指すアニメーション・ドキュメント
   霊性の震災学のはじめにから
霊性の震災学
   カメラで映らない幽霊の目撃談、、、タクシードライバーの証言が具体的。。。カメラに映らないものに挑む必要がある。
   今は震災後ではなく、いつか来る震災の前(霊性の震災学P46)。。。いつか来る震災の前の映画
      関東大震災や阪神大震災に接続し、いつかくる大きな災害に向けて、どう心構えでこの列島で生きるべきかを、寓話として描く。。。民話とはそのためにあるのでは。。。では映画は。。。そういう気持ちに応えているのでは。
 
 
資料を整理しよう

新海誠関連
新海誠、エンターテインメントを語る。未公開インタビュー – クローズアップ現代 – NHK
新海誠のYouTube- YouTube
新海誠の世界を旅する・・・月刊MdN 2016年10月号(特集:君の名は。 彼と彼女と、そして風景が紡ぐ物語 / 新海誠)
CGWORLD (シージーワールド) 2019年 10月号 [雑誌] | CGWORLD編集部 
ユリイカ 2016年9月号 特集=新海誠  『ほしのこえ』から『君の名は。』 Kindleで持ってる
映画『すずめの戸締まり』公開記念インタビュー。新海誠が「いまでなければ間に合わないと思った」、作品に込めたテーマを語る【アニメの話を聞きに行こう!】 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com
    震災文学について言及

返事のない場所を想像する――『すずめの戸締まり』を読み解く – 集英社新書プラス
度肝を抜かれたというのは、このCMは、『すずめ』本編を観る前と後で、印象が変わってしまう仕掛けになっているということです。作品を観る前は、どこにでもある母と子とのあいだの微笑ましい光景としか見えないでしょう。しかし、鑑賞後には、大災害の少し前の出来事として、震災の死者たちが生前に暮らしていた日常に対する追憶として、ドキュメンタリー性が刻まれることになるからです。
『すずめ』は、そうした過去の作品とは違います。死者たちを、自分たちとは完全なる別物にするのです。アニメーションは思いをかたちにして見せることができるメディアですが、『すずめ』は、かたちにできない世界があることを明確に認識します。
画面の情報から判断すると、その場所は福島県の双葉町近辺です。『すずめ』は、廃墟を探し、悼む物語ですが、そこでは町全体が廃墟になっています。廃墟と地震が合わさる場所には必ずミミズがいた本作において、ここにはいません。この展開にも震えました。ここではただ単に、地震が起こっているのです。『すずめ』は、ここにおいて現実とシンクロします。原発事故の影響で住むことができなくなり、今でも小さな地震に見舞われる場所は、今現在、リアルタイムで、私達の現実に存在しているからです。

「すずめの戸締まり」新海誠監督 「反響に当てられ」寝込んだ理由 | 毎日新聞

新海誠監督の最新作「すずめの戸締まり」美術監督・丹治匠さん…廃虚の光、大切に描く
全国上映中の新海誠監督のアニメーション最新作「すずめの戸締まり」で、美術監督を務めた福島市出身の丹治匠さん(47)が読売新聞のインタビューに応じた。「君の名は。」などの新海監督の旧作でも美術スタッフを務め、芸術性の高い美術背景を手がけてきた。美しい背景の制作秘話とともに、今作で触れられている東日本大震災への思いを聞いた。
 ――アニメ映画の美術監督はどんな仕事か。
 「今回の映画では、それぞれのシーンがどんな場所で、どこに何があるのかといった設定をまず決めました。それを基にスタッフが美術背景を描き、最終的に一つのテイストになるように私が調整します。キャラクターを描くことはしていません」
 ――映画ではいくつか廃虚が出てくる。最初に出てくる廃虚は、水面にぽつんと扉がたたずんでいるのが印象的だが、どういう設定か。
 「人のいなくなった温泉街で、温泉のお湯を利用していたドーム型の植物園です。扉は、実は管理事務所があったという設定です。スケッチをいっぱい描いて新海監督とやりとりをして、ああいう象徴的な絵になるように逆算して決めました」
 ――苦労したシーンは。
 「廃虚のシーンですね。廃虚っていうと汚くなりがちですが、アニメーションの背景は美しく描きたいと思っているんです。そこで肝になるのは、光がどういう風に入るか。光を丁寧に描けば廃虚も美しく描けます。光は、時間や季節、天候で変わりますよね。状況が描写できるという点でも、光の描き方は大事にしたいと思っています」
 ――今回の映画は東日本大震災にまつわるもの。震災の時は何をしていたか。
 「高校を卒業してからは地元を離れ、地震の時は東京で仕事をしていました。原発事故で福島県産の食品は一時、風評被害もあって敬遠されるようになってしまったことに、ふるさとが失われた感じがしました」
 「私は絵本も書いていて、物語を作りたい人間なのですが、この時は物語よりもリアルの方が大変で、物語に果たして力はあるのだろうかと悩みました」
 ――今回の映画の震災への向き合い方や描き方をどう思うか。
 「様々な困難をどう乗り越えて生きるかという話だと思っています。その題材がたまたま震災だったということ。そういう意味では、震災を知らない若い世代にも届くのではないでしょうか」
 ――映画では、福島第一原発事故によって人がいなくなったと思えるような場所を通るシーンもある。
 「実際に、原発事故で住民が避難した場所を見に行きました。作中では原発に対する思想を描くのではなく、事故による避難があった場所を示すにとどめることで、こうした困難にどう立ち向かうかを考えるきっかけになると思っています」
(聞き手・山口優夢)
福島市写真美術館で「丹治匠絵本原画展」
 福島市写真美術館(福島市森合町)では6日まで、「丹治匠絵本原画展」を開催している。丹治さんが制作した「はなちゃんのぼうし」「かぁかぁもうもう」といった子供向けの楽しい絵本の原画やイラストが展示されている。開館時間は午前9時~午後4時半(入館は午後4時)、入館料は一般200円、高校生以下100円。

新海誠監督、主人公・鈴芽の故郷は「岩手を想定」…現地舞台あいさつで感謝述べる : 読売新聞オンライン
「陸前高田あたりの防潮堤を横目に北上し、宮古市あたりに鈴芽の生家があったのかなという気持ちで映画を組み立てました」と明かした。
https://twitter.com/support_shinkai/status/1599343304386437121
https://twitter.com/support_shinkai/status/1599053331808546816
https://twitter.com/support_shinkai/status/1599007367622189056

小森はるか、瀬尾夏美関連

「誰かが忘れずに、覚えていてくれるように。そして同時に、誰もが忘れてもいいように」。瀬尾夏美インタビュー|Tokyo Art Beat
陸前高田の状況が、被災から復旧していく段階を経て、人々が新しい街で実際に暮らしていく段階へと移ったのを感じたからです。そのいっぽうで、幼い頃に震災の様子をメディアを通して見て「あのとき何もできなかった」と申し訳なさそうに語る若い子に出会うことがあって。こんなふうに震災の影響を受けながら育ったんだなと思いました。
いままでは、被災の“当事者”と言われる人たちと言えば被災地で家や家族をなくしたような人たちだととらえられてきました。でも、そうでなくても、みなそれぞれに衝撃を受け、問いを積み残しながらその後の時間を暮らしてきた。いよいよ、これまで“当事者”ではないとされてきた人たちの声が置いてきぼりになっていると感じたんです。それで、当事者か非当事者かというカテゴライズ自体が分断を助長してしまっていることのほうが問題なのではないかと思うようになりました。つまり、陸前高田では生活再建が進み、傷を抱えながらもふつうの生活が始まり、震災のことを語る機会も減ってきている。いっぽうで、被災地から遠い場所で「何もできなかった」という思いを募らせながら傷が膿んだままの人たちがいる。だからまずは、彼らが出会う場をセッティングしたい。彼らが出会い、会話を始めれば、そこから伝承が始まるだろうとも思っていました。

映画『二重のまち/交代地のうたを編む』公式サイト|小森はるか+瀬尾夏美 監督作

二重のまちが映画祭でやる時のコメント
この作品の主人公は、陸前高田に訪れた4人の若き旅人たちです。
陸前高田で聞いた、見たことを、自身の言葉で語り直す姿を追っています。
想像するーそんな彼らの声や身振りから、観てくださる方々の記憶や伝えたいという思いと重なるものがあればと願います。他の作品と重なって一つの鑑賞体験となるのも、映画祭ならではの醍醐味です。

あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる 瀬尾夏美
二重のまち/交代地のうた | 瀬尾夏美 https://amzn.to/3hJrefW
佐藤真の不在との対話 (見えない世界を撮ろうとしたドキュメンタリー映画作家のこと)
日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学
komori+seo
Komori Haruka
波のした、土のうえ
置き忘れた声を聞きにいく・・・なにもない草原の、でも確かなこの場所に立つと、ここにあった時間が鮮やかに思い出される。いろんなこと、昔のことも今のことも。この場所に入れくなってからも特にそう。忘れていたようなことをふっと思い出す。風景は日々変わる。それでも私はここに。
まぶしさに目の慣れたころ・・・本当はここさ戻りたいんです。ここで生まれてずっとここで暮らしたのに。たとえ、ここに戻ってきても、一緒に暮らした仲間はいないし、それが一番悲しいです。私は一体どこに戻りたいと思っているんだろう。私の戻りたいと思う場所わからないと思う時がある。
花を手渡し明日も集う・・・山際の一角に大きな花畑がある。津波に洗われた広い草原の中でその場所だけが色鮮やかだった。私はその花畑に通うようになる。おばちゃんたちは、カラフルなグローブをはめた手で、花の根に土をかぶせていく。おばちゃんたちの手が、伸びていく花の根が、ここにいた人たちとここにあった暮らしにそっと触れているようだった。

被災地の復興をめぐる「場所」の喪失と再構築 ――瀬尾夏美「二重のまち」を読む――中島 弘二(金沢大学)
「二重のまち」においては,かさ上げによって新しくできた「上のまち」の下には,津波によって壊されたかつての町跡があり,そこでは亡くなった人たちが静かに暮らしているとされる。
2014年に小森はるかと瀬尾なつみのユニットで制作した映画「波のした,土のうえ」では,被災後に巨大な草はらのようになったかつての町跡が,復興事業のかさ上げ工事によって失われてゆく様子と,それをめぐる住民の複雑な心情が丁寧に描き出されている。そこでは,かけがえのない人や時間にまつわる記憶のよりどころであり,生者・死者・外部者の出会いの場だったかつての町跡がかさ上げ工事によって失われてゆくことが,「第二の喪失」として描かれていた。 「二重のまち」においても,この喪失感は重要なモチーフとなっている。「もとの地面にのっけられるように出来たまちは,その境界を埋められることのないまま,いまだ宙に浮かんでいると,わたしは思う」(瀬尾 2021: 74),「まっしろい防潮堤,囲われた灰色の海,削られて四角くなった山やま,見慣れたあの曲線たちは,どこに行ったのだろう」(瀬尾 2021: 77),「にぎやかになればなるほど,亡くなった息子が気がかりになる このまちの下に,この土の下に,置いてけぼりにしてしまったんじゃないか」(瀬尾 2021: 78),「あたらしいまちであたらしい家族,あたらしい暮らし,それは手放しで喜ばしいことでもあるはずだ。なのにわたしは,どうにも宙ぶらりんの気分のままだ」(瀬尾 2021: 81)。これら一連の文章には,「上のまち」ができあがっていく中でのある種の喪失感が描き出されている。そして,この喪失感を希望へと変えてゆくことが,本書のもう一つのモチーフとなっている。
「二重のまち」の最終章において,著者は次のように問いかける。「まっしろい防波堤,囲われた灰色の海,削られた山やま,奇妙に角ばった風景。これを,愛せるときがくるだろうか」(瀬尾 2021: 89)。そしてこの問いに対して,次のように応える。「彼ら(孫たち)にとっては,この風景がかけがえのないふるさとになる」(瀬尾 2021: 90,カッコ内は引用者)。 『二重のまち/交代地のうた』のあとがき「“二重になる”ということ」において,瀬尾は同書の狙いを「いつか新しいまちが出来たとき,そこにいる人たちがきっと,かつてのまちの存在を感じながら暮らしていると想像することで,目の前の喪失が少しはやわらぐのではないかと考えた」(瀬尾 2021: 240)と記している。 ここでは「上のまち」が,かつてのまち(下のまち)とは全く切り離された別の場所としてではなく,かつてのまち(下のまち)との連続性のうえに新たなふるさととして作り上げられてゆくべきものとしてとらえられている。それは復興によって生み出される場所を「希望の空間」(Harvey 2000)として再定義する試みでもあるだろう。

災害の記憶伝承における映像上映の創造性 ― 『波のした、土のうえ』をめぐる対話の場について ― 
映像を見ることによってある出来事が「分かる」ということは、そこで媒介される イメージがその出来事についての「正しい」とされる情報が均一に受け手に伝達され るということと必ずしも同義ではない。むしろ重要なことは、そうした画面越しに示 される彼岸の出来事とそれぞれに固有の身体と記憶をもつ受け手とを接続する回路が 形成されることであり、そのためには、イメージを見るという経験を通して「対話」 がその都度生成されることが肝要となる。ここでいう対話には、そこに集う人々のあ いだに生成するものだけでなく、見る者と見られるイメージとのあいだにおいて成立 するやりとりも含まれる。それは言うなれば、他者が紡ぐ言葉やイメージの糸を引き 受けながら、自らも解釈の糸を紡ぎ出すことで、新しい知見の布地を織り上げるよう な営みである1 。

【震災5年 3・11】未来と過去つなぐ 小森はるか+瀬尾夏美展覧会「波のした、土のうえ」(1/3ページ) – 産経ニュース
震災から5年。東北沿岸部では、町を丸ごと作り替えるような大規模な工事が続いている。2人の作品からは、そんな状況下で生まれるささやかな心の揺れ、言葉にしにくい感情を表現したい。そんな思いが感じられる。
〈僕の暮らしているまちの下には、お父さんとお母さんが育ったまちがある/この地面の下に町があるなんて、僕は全然気がつかなかった/下のまちの人はどうしているの〉これは「二重のまち」と名付けられたテキスト。震災から20年後のどこかが描かれている。〈上のまち〉と〈下のまち〉。未来と過去を、どうすればつないでいけるのか。その問いは、私たちにも向けられている。
「この先もうつくしいものは生まれてくるはず」と瀬尾さんはいう。

映画川『息の跡』 (三浦哲哉) / boidマガジン

濱口竜介関連
21世紀を生きのびるためのドキュメンタリー映画カタログ 
かたログ(1)「なみのおとプロジェクトとは?」 – えいぞう – 3がつ11にちをわすれないためにセンター – 東日本大震災のアーカイブ
なみのおと
かたログ(12)「民話との出会い『うたうひと』の制作へ」 – えいぞう – 3がつ11にちをわすれないためにセンター – 東日本大震災のアーカイブ
かたログ(21)「映画製作の終わりを迎えるにあたって」 – えいぞう – 3がつ11にちをわすれないためにセンター – 東日本大震災のアーカイブ
かたログ(19)ゲスト:小野和子(みやぎ民話の会顧問) – えいぞう – 3がつ11にちをわすれないためにセンター – 東日本大震災のアーカイブ
記録者インタビュー/濱口竜介さん 酒井耕さん 北川喜雄さん – えいぞう – 3がつ11にちをわすれないためにセンター – 東日本大震災のアーカイブ
シリーズ : かたログ – 3がつ11にちをわすれないためにセンター – 東日本大震災のアーカイブ
(1626) かたログ(13)「編集が始まり感じたこと」 – YouTube
民話。。。もうひとつの世界があるんだよというのが民話10:20
撮影だけでは映せないものがある、それを編集で作る?(映るようにする?)17:23
カメラはその後ろのいる人の感情もどうやら映るようだ。48:45

(1626) かたログ(21)「映画製作の終わりを迎えるにあたって」 – YouTube
民話は話が飛ぶ・・・それは欠落ではなく跳躍、、25分前後?
記録活動、被災者の語りをフィクション化する。。28分危ういこと

語りのドキュメンタリーは、主観の記録。。。アニメーション・ドキュメンタリーに近いか?

震災関連
せんだいメディアテーク
3がつ11にちをわすれないためにセンター – 東日本大震災のアーカイブ
東日本大震災アーカイブ|Japan Earthquake|ナガサキ・アーカイブ
公益社団法人3.11みらいサポート » 津波伝承ARアプリ
https://www.tohoku.meti.go.jp/s_service/contents_sangi/sightseeing_content/pdf/03.pdf
関東大震災映像デジタルアーカイブ | 国立映画アーカイブ

震災文学関連
震災文芸誌 ららほら 
ららほら2
 
震災映画関連
濱口竜介
  なみのおと
  なみのこえ
  うたうひと
  寝ても覚めても
中川龍太郎
  やがて海へと届く
篠崎誠
  SHARING
諏訪敦彦
  風の電話
庵野秀明
  シン・ゴジラ
天間荘の三姉妹
アニメ
  みえない、わざわい 
  岬のマヨイガ
  とんがり頭のごん太 ―2つの名前を生きた福島被災犬の物語―
浅田家
   初めての被写体に選んだ家族が東日本大震災で被災する。彼らを心配して被災地に入った政志は、父を亡くした一人の少女と出会い、その少女に家族の写真を撮ってほしいと懇願される。父を亡くした少女の家族写真は撮れない。政志は人間として、写真家として行き詰まってしまう。
影裏
 
アニメーション・ドキュメンタリー関連
アニメーション・ドキュメンタリー | 現代美術用語辞典ver.2.0
(1593) 【決断】第1話「真珠湾奇襲」 – YouTube
アニメーション・ドキュメンタリーを知るための10の文献 – Database for Animation Studies
現実とフィクションの間で融解するアニメーション『映画 山田孝之3D』&アニメーション・ドキュメンタリー | WIRED.jp
書評 Animated Documentary – メディア芸術カレントコンテンツ
アニメーションによるドキュメンタリー再考 
自伝的アニメーション・ドキュメンタリー : 個人の記憶と体験をアニメーションで表現する 
アニメーション的想像力の現在:ノルシュテインから『この世界の片隅に』まで 『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』(フィルムアート社)刊行記念イベント 資料  
【Preview】アニメーションとドキュメンタリーが交わる??――〈GEORAMA 2014〉開催!! text 岩崎孝正 – neoneo web
第6回「現実はアニメーションであり、ヒトはアニメーションになりつつある?」 ~世界認識のモデルとなるアニメーション表現の今~ | 七里圭 Kei Shichiri
「アニメーションは現実を撮っていないけれど、ドキュメンタリーより遥かに主観が描かれている作品がある」|短編映像レーベルCALF定例会「松江哲明xアニメーション!?」レポート – 骰子の眼 – webDICE
2019年はアニメーションにとってどんな年だったか?  | かみのたね
  土居 もうひとつ、2010年代の特筆すべきものとして、アニメーションが歴史を手触りあるものとして体験させることに長けているということが発見されたという側面があると思います。
戦場でワルツを・・・記憶を失った男の記憶を取り戻す旅路・・・それをアニメーションで過去を見せた。。。国立映画アーカイブにパンフあり
 
モードとしてのドキュメンタリー関連
すずめの家がない。。。震災前の家の様子に置き換わるカット

モードとしてのメロドラマ・・・『メロドラマ映画を学ぶ』P165以降の記述
グレッドヒルは、メロドラマを家庭内の状況と「女性の」状態にかんする映画に限定することに疑問を呈し(あるいはその根拠を問いただし)、このアプローチに意義を唱えた。たとえば西部劇の諸要素はファミリー・メロドラマとまったく同じように過剰であると示唆しつつ、グレッドヒルは次のように問いかける。「もしメロドラマ的なレトリックが、西部劇、ギャング映画、ホラー映画、サイコ・スリラー、ファミリー・メロドラマを同じように特徴づけているのだとしたら、メロドラマという対象を古典的なリアリズム的/物語テクストに対する批判的で破壊的な関係おいて定義するといった主張を維持できるだろうか」。P175
メロドラマはここで、ブルジョワ的なものと大衆的なものの両方から引き継がれた形質が混在する、階級横断的で文化横断的な形式として人気された。その形式は、非言語的な美学(スペクタクル、身振りのパフォーマンス、音楽)によって支配されていたとはいえ、スペクタクルばかりでなくファンタジーとリアリズムにも影響する一連の美学的変容を経験した。メロドラマは、ジャーナリズム、正統劇、オペラ、絵画、詩、歌謡と大衆文学を、インスピレーション翻案の源泉として(無差別に)利用した間テクスト的な形式なのである。P180
ウィリアムズが主張するには、メロドラマは、アメリカの映画製作におけるひとつのジャンルや他のなんらかの部分集合であるというよりも、アメリカの映画製作における普遍的なモードであり、多くのジャンルを構成し、常に存在しつづけるものである。P184
このように、メロドラマをモードとみなすことは、メロドラマ的感性がいかにして広範囲にわたるテクストとジャンルを横断しながら現れることができるのかについて考察することを促す。P199

『新映画論』
常態化するフェイクドキュメンタリー的リアリティP80
最近の作品ではそうしたニュアンスは相対的に希薄化し、フェイクドキュメンタリー的表現自体がたんなる演出として取り入れられているケースも頻繁に目につく。
 その例が、2010年代の国民的大ヒット映画『シン・ゴジラ』(2016年)にも見られた。
時代精神としての「ドキュメンタリー的感性」P96

YIDFF: 刊行物: DocBox: #7
映画の真実性についてのリヒターの括弧つきの評価(「光学が(外見上は)人を欺かないということ」)が示すように、無条件に映画を信頼する者はまずいなかったが、もしいたとしたら、その信頼にもっとも答えたのはドキュメンタリー映画だった。
ドキュメンタリーの実践家や批評家の共同体のなかでは、「主観性」は今までは往々にして一種の汚れたものであって、必ずやってくるが、最小限にくい止めるべきものとされてきたという事実を指摘しても誰も驚く者はいないだろう。
しかし、ダイレクトシネマの全盛期においても、主観性という亡霊を完全に消し去ることはできなかった。
1990年までの時点で、ドキュメンタリーについて書く映画史家は誰でもこう記すであろう。様々な文化的背景を持つ女性や男性の作品の優勢が強まり、歴史的世界の表現が自己記述と解きほぐせないほどに絡み合うようになった、と。こうしたフィルムやビデオによる作品(増えているのは後者だ)では、主観性はもはや「恥ずかしいもの」とはみなされない。主観性とは、作品を知識の具体化という目標へ導く経験という羅針盤であると同時に、現実的なものがディスクールに進入する際のフィルターでもある。
それまで、情報は与えるがあくまで客観的態度を保つことで価値を持った記録するという姿勢が、ここに 至ってより私的な視点を打ち出す方向に変わり、作り手の関心やテーマへの関わり方が全面 に出てくるようになりつつあった。いったい1970年から1990年の間にどんな事態が生じて、ドキュメンタリー映画の主観性があふれ出るのに貢献したのだろうか?
この時期の文化的風潮の特徴は、少なくとも西洋においては、社会運動による政治(たとえば、反戦、市民権運動、学生運動)が「アイデンティティ」による政治に置き換わったことである。
映像は「私的」(家族写真)であると同時に、「公的」(映画、報道写真、絵画)である。
外的歴史と内的歴史の合体というクーンの記述は、これから触れる最近のドキュメンタリー作品の特徴を正しくとらえている。

YIDFF: 刊行物: DocBox: #8
カメラが被写体を「模写」するというのは、近代という時代のカメラ・テクノロジーに対応した単なるメタファーであり、便宜的な単純化にすぎなかった。確かに、これまでのカメラは、その映像を被写 体とは無関係に変更することはできなかった。だから、特撮やSFXとは、それらの原語であるspecial effectという言葉が示唆するように、何かに対する「効果」であり、その何かとは、カメラの前に実存するオブジェ、被写 体であった。手を延ばせば身体的に知覚可能な存在者としてのオブジェがあり、それに対して効果 を加えることが特撮なのである。しかし、特撮は、次第に、カメラの《外部》においてではなく、映像そのもののなかで起こされるようになり、いまや、撮影される被写 体が全く実存しない映像が登場しはじめたのである。ここでは、被写体を基準にして、うそ/ほんとうを云々することは不可能である。

ドキュメンタリーっていったいどんな種類があるの?6種類のドキュメンタリーモード(Documentary Mode)とは? | Curioscene (キュリオシーン) – 映像制作、動画編集チュートリアルマガジンサイト
 
色彩とフレア関連
光と光の記録 光の記録編 その1 光の入力・変換・撮像 (映像情報の本)  

その他
古口正康@場面緘黙 on Twitter: “東日本大震災以降、東北に関わってきた者として「すずめの戸締まり」を作ってくれた新海誠監督に感謝しかないです” / Twitter
@lu_mapleさんの伏せ字ツイート | fusetter(ふせったー)
朝日新聞11月11日夕刊の映画評
(評・映画)「すずめの戸締まり」 自分語り封じ、彼方の声きく:朝日新聞デジタル
東日本大震災は俺にとってエンタメだった
震災から11年 行方不明になった妻を捜し、今日も女川の海に潜る夫 #知り続ける(仙台放送)
考察/新海誠『すずめの戸締まり』が「震災文学」である本当の理由(藤津亮太) – QJWeb クイック・ジャパン ウェブ
 
ナラティブの修復
妄想は大事と小森はるかは言う
廃墟萌えについて
風景のまなざし方

中動態の映像学
そのような当事者とされる人々もマスメディアを中心とする情報環境のなかに身を置くためである。そうした報道機関によって発信される夥しいイメージは人々が自らの体験を解釈し発信する際にも強力な参照項として機能していると考えられる。p146
作り手たちがレンズを向ける対象との関係や自分の眼差しのあり方を自明視せず、撮影や編集のたびに自ら「学び」を生成し、他者や世界との関係を再編成しようとしてきたからこそ、その痕跡として迷いや躊躇いが作品に刻印されているのだと考えられる。p202
「かつて何かがあったことは確かなんだけど、何もない、ということが感じられる」ような、360度全方位破壊されているという感覚である。それは同時にカメラでは写すことのできない感覚でもった。p211
「当事者」であるということはその出来事のすべてを知っているということを意味しない。また、語るという行為によってその人物の体験が過不足なく忠実に表現されるというわけでもない。そのこと自体は自明の事柄のように考えられるが、その一方で、そうした語りが映像化される時、こうした諸々の「自明の前提」はしばしば忘れられてしまう。<中略>その課題を克服するために酒井と濱口が採用したのは「作為の痕跡」を残すということであった。p216
そうしたフィクショナルな語りのなかに、なお「信」の値する何かがあるということを示すことなのである。p219
撮っても撮ってもその現実に起きている、本当に私が撮っておきたいものっていうのが写っていかないし残らないって感覚のほうがずっと強くて、どうしたらいいのかなって思いはあったし、どう返していいかなっていうのもあって、そこで瀬尾のテキストというものが組み合わさったときに、やっとその現実に一番近い素材にのあち方になったような気がします。p271
『沿岸部の風景』における鈴尾は観察者として特定の人物を追い続けるということをしていない。それどころか、映し出される人物が何者で、なぜそこにいるのか、いま何をしているのか、これからどこへ行こうとするのかを必ずしも明らかにしていない。加えて、非常に数多くの現場を撮影し、それらを並列に見せることで、集合的概念としての「被災者」および「被災地」の多面性をモザイク的に浮かび上がらせている。p275
そこではもはや当事者/非当事者という概念が重要性をもたない。その語りは具体性をそなえつつも、それをはっする<私>は特定のオリジナリティに還元されない抽象的な存在としてある。p276
映像や音声を超えたところにあるイメージを探求・喚起していると言える。p276

 
 
構成12月6日
Thesis
震災ドキュメンタリーと震災アニメの結節点・・・モードとしてのドキュメンタリー

Point
震災ドキュメンタリーが向き合う、カメラに映らない死者を描く苦闘
カメラで撮れるものだけが真実ではないことを示すアニメーション・ドキュメンタリーの有用性
ドキュメンタリーはジャンルからモードへ・・・偏在するドキュメンタリー的感性の拡散
『すずめの戸締まり』のドキュメンタリー性と死者の声を聞く姿勢。。。聞く作家としての新海誠
 
 
Intro
すずめの戸締まりは、どんな作品なのか、一文で。。。。死者の声を聞く映画だった or 現実の震災に向き合った作品

死者の声を勝手に代弁できるものか。それは搾取ではないか。それはそうかもしれない。しかし、死者の声を聞くということを通してしか、真実めいたものにたどり着けないのではないかという感覚がこの題材にはある。

2011年以降、日本国内で多くの震災に関する作品が生まれた。ドキュメンタリーも数多い。そうした作品群に連なる要素が本作にはあった。

それは何か。アニメとドキュメンタリーは遠い存在のように思われるが、結節点を見出すことは可能だ。そして、それは震災というものに向き合う上で必然的な重なりでもあり、現代の映像カルチャーの不可避の流れであもある。

一様に優れたドキュメンタリーほど、死者といかに向き合うのかという、カメラでは映しようのない命題と向き合いっているのだ
 
 
Body1 死者というカメラで写せないものに挑まざるを得ない震災ドキュメンタリー
**※倫理の話から入るのはおかしいのでは**

数多くの震災ドキュメンタリー。。。。2011年の大震災にビビッドに反応した映像ジャンルだった。
カメラを担いで被災地に行けば何か撮れるという状況でもあったことが大きい被害地域が後半かつ、津波と揺れと原発、過疎化の問題など、多くの複合的な要因を含むので、テーマも広範にわたる。
**東日本大震災に対して、反応が早かったジャンルとしては、真っ先に映像が挙げられる。そこにあるものを撮影するだけで「作品」として成立してしまう「強度」がそこにはあった**。<中略>
 だが、この「強度」が曲者なのだ。
 それは、これまでの映画や漫画などの想像力が具体的に描き出せなかった細部、見たことのないものを目にしたことに由来する部分が大きい。<中略>映像として見た場合、「強度」を付与してしまっているのは、やはり自然そのものが作り出した破壊の造形美なのだ。
 そして、その震災が剥き出しにした「破壊の造形美」の快楽は、猥雑である。(寺岡裕治編『21 世紀を生 きのびるためのドキュメンタリー映画カタログ』キネマ旬報社、「震災ドキュメンタリーの猥雑さについて」藤田直哉著、2016年、P87)

その強度に疑問を持つ作家もいた。

一例として濱口竜介や小森はるかがいる。

これはいらないかも
映像の欺瞞性、ドキュメントの倫理も問われた。。。。
震災ドキュメンタリーの猥雑さ。。。藤田直哉さんで行くか、311のひどさなど
諏訪監督の考え
   僕が撮った映像が何か役に立つのかと考えてしまうのです。
    映像というものはそのような後ろめたさをつねに持っています、もちろんその映像を見ることによって津波がどのような被害を生んだかということを記録しておく、アーカイブしておく必要はもちろんあります。あの当時、僕たちは被災地をめぐる映像が何度もプレイバックされるのをずっと見つめていました。テレビがそれを報道しなければならない、伝えなければならないと考えて一生懸命流すわけですよね。でも一方で、それを見たいという欲望があるということを拭い去ることはできません。(「シンポジウム報告『映画、建築、記憶』 – 東日本大震災以降の表象の可能性を考える」、情報学研究調査研究編、2013年、No29、東京大学大学院情報学環、P205)

倫理は一定の基準で測れない難しさもある、伝えること、カメラの暴力性、表現すること自体の暴力性と向き合わざるを得ない。
それは鑑賞者に対しても同様。。。藤田氏は、むしろ鑑賞する側の態度に猥雑さがあると言っている。
   ぼくらは「現実」や「震災」に対して、映像を通じて猥雑な視点を注ぎ続けるが、あまりに多くの映像に溺れて、むしろ像が結ばなくなっていく。<中略> 現実に触れられない飢餓感は現地に行く者を生み出し、彼らはまた映像を生産し―。
   この悪循環から抜け出す道は、「不謹慎」より繊細な言葉による、自身の猥雑さとの和解である。(寺岡裕治編『21 世紀を生 きのびるためのドキュメンタリー映画カタログ』キネマ旬報社、「震災ドキュメンタリーの猥雑さについて」藤田直哉著、2016年、P89)

そうした猥雑さと向き合いながら、優れた作家はいかなるアプローチをしたのか。あるいは当事者性との付き合い方はどうしたのか。

濱口竜介の場合。。。衝撃的な映像は何もない、語りだけのドキュメンタリーを制作した。
濱口竜介のドキュメンタリー制作
   三部作の紹介・・・なみのおと、なみのこえ、うたうひとの概要
     語りをフィクショナルに見えるように撮影した・・・・ある意味、映像の現実性が持った「強度」を落としていると言える。
     酒井 この映画では「被災者ふたちが椅子に座って向かいあって話している」という設定になっています。<中略)
     濱口 二人の椅子の位置を左右にずらします。そして一人一人の正面にカメラを据えます。二人は、耳だけ相手の話を聞きながら、カメラに向かって話すことになります。その二人をあたかも向かい合って話しているように編集でつなげるんです。<中略> 
     この方法には複数のいいことがあると思っています。僕らにとって初めてのドキュメンタリーの撮影体験だったのですが、この撮り方をすれば「これはフィクションである」という刻印がされるだろうと。そう示したうえで、「それでもなおこの映画に信じ得るものがあるだろうか?」という問いとして映像を提示したかったんです。(『21世紀を生きのびるためのドキュメンタリー映画カタログ』、「東北記録映画三部作「なみのおと」「なみのこえ」「うたうひと」いとうせいこう×酒井耕×濱口竜介」、聞き手:芹沢高志、キネマ旬報社、2016年3月25日発行、P77)
   仙台、沿岸部で言われたこと
     五月の仙台到着時、市内の中心部に住む人たちと話していて、皆が一様に「沿岸部で津波被害に遭った人たちのことを考えると、私の被災なんて大したものじゃない」と口にするので驚いたことがあります。私には、彼らは最も激烈で、悲惨な状況を思い浮かべることによって、自分の被災体験を矮小化しているように感じられました。そして、私がいちばん驚いたのは「被災地」と思い込んでいた土地の彼らが三、四月まで私が見ていた東京の人々と同じことを口にしたからです。思えば彼らは、「被災の中心」を想像しているという点でまさに同じだったのではないでしょうか。被災の度合いよって、「被災の中心」の周りにいくつものレイヤーができていて、その境界線が人々を隔て、口をつぐませ、結果的に耳をふさいでいるように感じられました。<中略> 沿岸部を回るうちに、津波に家財をすべて奪われた人たちが「自分たちは何も失っていない」と語るのを聞き、高台に暮らす人が波にさらわれた親しい人たちの苦しみをただ思うさまを見ました。しかし、どこまでもこの「被災の中心」に出会うことは決してありませんでした。(『3.11を心に刻んで』岩波書店編集部、「死者の声」を聴くために、濱口竜介著、岩波書店、2012年3月7日発行、P145)
     濱口 仙台は被災地だと思っていたけれど、話を聞いてみると、「私たちなんて全然被災者ではありませんよ、沿岸部に比べれば」と言う。そこで沿岸部に行ってみると、「いやいや僕は家を失くしただけですから、もっとひどいのは親しい人を亡くされた方ですよ」となる。で、そういう方に話を聞くと、「本当に苦しいのは私ではなく、波にのまれたあの人です」となって、もうそこでどこにも行くことができなくなってしまった。みんなが被災の中心というものを想定して、そこからの距離によって自分の負い目というものを割り出しているんですね。<中略>
     濱口 どうしても聞けない部分、それが被災の中心にある「死者の声」だったんです。(『ミルフイユ』04、せんだいメディアテーク編、「他者の声、明日の映画」濱口竜介×酒井耕対談、2013年3月31日発行、P102)
   死者の声を聞く必要・・・民話というフィクションへとたどり着く。語りをフィクション的に撮ることの意味とは
     「多分、今まではカメラの前にあるもの、撮れるものを撮っていたんだと思います。それが、震災で映しえないもの、撮りえないものに直面した。そんなときに、何を撮るのか、その一つの答えが”声”を撮るということだったんだと思うんです」(『すばる』、「ひと 酒井耕 濱口竜介」、聞き手・構成:編集部、集英社、2014年3月号、P243)

民話の語りを記録することで何が生まれるのか
(1626) かたログ(13)「編集が始まり感じたこと」 – YouTube
民話。。。もうひとつの世界があるんだよというのが民話10:20
語り手3人とももう一つの世界を大事にしている。そもそもそういう世界があるという前提で話している。
撮影だけでは映せないものがある、それを編集で作る?(映るようにする?)17:23
カメラはその後ろのいる人の感情もどうやら映るようだ。48:45
(1626) かたログ(21)「映画製作の終わりを迎えるにあたって」 – YouTube
民話は話が飛ぶ・・・それは欠落ではなく跳躍、、25分前後?
記録活動、被災者の語りをフィクション化する。。28分危ういこと

主観の記録になるのではという発想
 
小森はるか・瀬尾夏美のドキュメンタリー制作
陸前高田に住んで、創作活動を開始。映像を扱う小森と絵を描く瀬尾のユニット
彼女たちのドキュメンタリーのアプローチもまた、フィクショナルな者へと向かう
   小森 フィクションや妄想の大事さ、共感します。私はドキュメンタリーですが、映っている人が匿名であってもいいし、別などこかの誰かに見えてもいい、というくらいの抽象度でドキュメンタリーを成立させたい。<中略> カメラで写しても映らないものがいっぱいあるじゃないですか。「見えないけどそこにあるよ」を映像で表現するときに頼りにするのはフィクション、語りかもしれないです。(『ナラティブの修復』、「ナラティブの記録と飛躍 小森はるか×佐々瞬×伊達伸明」、せんだいメディアテーク、2022年3月20日発行、P47)

波のした、土のうえ。。。朗読劇としての風景がなくなる二重の喪失
二重のまち、、、2031年の未來に設定・・・土の下に死者の町があるという設定

この朗読劇の制作過程を追いかけたドキュメンタリー映画『二重のまち/交代地のうたを編む』・・フィクションを作る過程をドキュメントしたと言えるか
   「当事者性が低い」と感じている人たちが何かをつかもうとする、わかろうとする過程自体」、そういう身体自体が、経験を継承する媒介にあっていくと感じました。<中略> その当事者が自然に語らなくなってきたときに、別の身体がそこに入っていって、体験の語り継ぎ、「継承」のトライアルを始めてみたいと思いました。(『美術手帖』、「語らずにおれない体験をみんなで持ち合うために」小森はるか+瀬尾夏美、美術出版社、2021年4月、P81)

 なぜ、彼らはフィクショナルな者へと向かうのか。
   「当事者」であるということはその出来事のすべてを知っているということを意味しない。また、語るという行為によってその人物の体験が過不足なく忠実に表現されるというわけでもない。そのこと自体は自明の事柄のように考えられるが、その一方で、そうした語りが映像化される時、こうした諸々の「自明の前提」はしばしば忘れられてしまう。<中略>その課題を克服するために酒井と濱口が採用したのは「作為の痕跡」を残すということであった。p216
   そうしたフィクショナルな語りのなかに、なお「信」の値する何かがあるということを示すことなのである。p219 (『中動態の映像学』青山太郎、堀之内出版)
   そんなたくましい民話の現場を見続けてきた先輩たちは、東日本大震災を受けて、「この災厄からも物語が生まれて欲しい」「きっと生まれるはずだ」といつも話してくれていた。(『あわいゆくこころ』、瀬尾夏美、晶文社、2019年2月5日、P342
継承を考える上で、カメラで撮れないものへと向き合う必要があったから。
   三六〇度全方位破壊されているという感覚である。それは同時にカメラで写すことのできない感覚でもあった。撮影を試みても、どこにカメラを置いていいかわからない。どこにカメラを向けていいかわからない、撮影してみても身体的に感覚しているような風景が映っているようには感じられない―、そういう感覚であったという。(『注動態の映像学』、青山太郎、堀之内出版、2022年1月31日出版、P212)
   撮っても撮ってもその現実に起きている、本当に私が撮っておきたいものっていうのが写っていかないし残らないって感覚のほうがずっと強くて、どうしたらいいのかなって思いはあったし、どう返していいかなっていうのもあって、そこで瀬尾のテキストというものが組み合わさったときに、やっとその現実に一番近い素材にのあち方になったような気がします。p271(『中動態の映像学』青山太郎、堀之内出版)

死者を映せないが、死者を想像する必要

その他のドキュメンタリーの例も示しておく
『災害ドキュメンタリー映画の扉 東日本大震災の記憶と記録の共有をめぐって』がいくつかのドキュメンタリー映画について、死者が重要な登場人物であるということを示している。
   『廻り神楽』(2017年)、
     北村 僕はエグゼクティブ・プロデューサーとして撮影を手伝いに行って、あれは最初のところかな。石浜に行って、びっくりしたのはやっぱり神楽念仏でした。つまり死者を相手にするということ、これは何なんだろうと思ったんです。東北の屍累々とした被災地で、神楽念仏があることで、この人たちは亡くなった村と人々にコミットしている。(『災害ドキュメンタリー映画の扉 東日本大震災の記憶と記録の共有をめぐって』是恒さくら、高倉浩樹編、「『廻り神楽』を観る」、P56)
   『ガレキとラジオ』(2019年)

震災はフィクションとドキュメンタリーを分けられないという感覚を広げたのでは。どうじに生者と死者の境界もあわいものにしているのかもしれない。社会学ですらそういうものと向き合わざるを得なくなる。
ある種の常世と現世のつながる感覚が生まれているのでは。
↓証明として以下の話を挙げてみる。
東北の死生観、震災の死生観。。。。
民話の話。。。
霊性の社会学…タクシー運転手
藤田直哉さんの体験

フィクションにもそれは現れる
天間壮の三姉妹、風の電話、SHARINGなど、

死者は映らない、だけど、濱口はそこに中心があると考えた。100年後には死者になる人の声を記録するという考えがあったと語る濱口監督。
遠野物語を参照する死生観が多く語られた。
『遠野物語』の幽霊話から読み取る復興の理念【岩手・花巻発】: J-CAST ニュース

※濱口竜介と小森はるかのアプローチは、当事者と非当事者の分断を和らげるための戦いと言えるか。。。。これは言うのは難しいか。。あとで最後に二人の発言を出して「すずめ」につなげるべきか
 
 

Body2 ここはこれじゃなく、当事者性なるものの正体について語るべきか。

フィクションとドキュメンタリーを融解せざるを得ないと同時に「当事者と非当事者」もまた融解させないくてはならなかった。

小森たちのトライは、当事者性の薄い若者への継承、そこにフィクション作りが重要な役割を果たす。
濱口たちはこれまでの過去を語る民話に注目した。継承としてフィクションの語りの有効性を検討した。

濱口は日本中が映像で被災したのだと語る。中心の死者はない。どこまでも当事者性のグラデーションがあるだけだと。

※Body2は必要ないかもしれない
 
 

Body3 カメラに映るものだけが真実ではないとするアニメーション・ドキュメンタリー
カメラで映せないものに向き合うからこそ、実写のドキュメンタリー作家はフィクショナルな語りを用いた。
カメラに撮れないものにも事実や真実があると感じるからこそ、彼らはそういうアプローチを試みた。
世界にも、カメラで映るものだけが真実ではないとする考えを持った作品は多数登場している。とりわけ、全て人の手で描き出すアニメーションの世界から、ドキュメンタリーを取り込むアニメーション・ドキュメンタリーが隆盛を見せている。

そもそもドキュメンタリーとは、客観的なだけではない。作者の主観的な取捨選択にもとづくものである。
   ドキュメンタリーという言葉を世界に広めたとされるジョン・グリアスン(John Grierson 1898-1972)、「現実の創造的処理」と定義している。
   実写記録映像および記録音声自体が作者の主観的な取捨選択に基づくものであり、「実際の記録」であることが「客観性」や「真実性」と必ずしも結び付くものではないという認識の深まりは、主観的な創造とされるアニメーションに対して、ドキュメンタリーの表現方法のひとつだという可能性を開くことになる。
   アニメ―テッド・ドキュメンタリーの主な機能は、「模倣的代替」、「非模倣的代替」、そして「喚起」である。
   我々を取り巻く世界や我々の現在を構成する出来事は、常に目に見えるものばかりではなく、また、それらの持つ意味は不明瞭でもあり、時には活発な思索や想像力によってのみ複雑な出来事をドキュメントすることが可能となる。(『女子美術大学研究紀要』2017年、女子美術大学、「アニメーションにおけるドキュメンテーションの可能性 アニメ―テッド・ドキュメンタリー研究史を概観して」、長尾真紀子、P27
   ドキュメンタリーは実写映像のみを用いている限り、光学的に記録しうる範囲に限られた、狭い現実しか扱えないのではないか? 一方、アニメーションは、その拘束を超えることができ、それによって、これまで現実だと思われていなかったものを現実だと認識させることができるのではないか? (『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』土居伸彰、フィルムアート社、2016年2月25日発行、P210

アニメーション・ドキュメンタリーは現実を拡張するもの
   この本は、基本的な立ち位置として、アニメーションは実写が記録しえない範囲の現実を捉えることを可能するもの、つまり、ドキュメンタリーのポテンシャルを拡大するものとして考える。書評 Animated Documentary – メディア芸術カレントコンテンツ

その例として、
   記憶という映せないものを描き出す「戦場でワルツを」
   Fleeの場合。。。自分が知るアフガニスタンはもうない。それを再現するためのアニメーションという手法

個人のプライバシーを保護する目的と、カメラで撮影し得ない個人の記憶の断片や過去を現前化させる役割をアニメーションが果たしている。

アニメーションには、そうしたカメラで撮影不可能なものが現実にあることを示す、ドキュメンタリー的な機能をもたせることが可能になる。
   記録映像や記録音声を用いない作品は、ドキュメンタリーと呼ぶことはできないものかもしれない。しかし、撮影・録音された「実際の記録」が主観的な取捨選択に依存するものならば、主観的な創造であるアニメーションで「出来事の概要を提示する」という特性は、一つのドキュメンタリー的な機能と呼ぶことができるのかもしれない。(『女子美術大学研究紀要』2017年、女子美術大学、「アニメーションにおけるドキュメンテーションの可能性 アニメ―テッド・ドキュメンタリー研究史を概観して」、長尾真紀子、P27

土居さんのアニメション・ドキュメンタリー拡大論
   土居氏は、「カメラのみが真実を捉えうるという考え方は、ダイレクトシネマをはじめとする一九六〇年代以降のドキュメンタリー映画の歴史が形作ったひとつの制度に過ぎない」と語る。(『NeoNeo』、「アニメーションとドキュメンタリーが交わるとき」Vol2、neoneo編集室、2013年10月号、P135 
 
 
Body4 モードとしてのドキュメンタリー
ドキュメンタリー的な機能がアニメーションに入り込んでいる状況と呼応して、ドキュメンタリー的な感性は様々な映像に拡がりを見せていることを示唆する。

渡邊大輔氏は、『新映画論』において、ポストシネマがドキュメンタリーの時代であることを主張している。ホラー映画や様々なジャンル映画がスタイルとして疑似ドキュメンタリー的なスタイルを選択していること、そして、YouTubeやSNSなどにおいてもスマートフォンによる記録映像の氾濫から、映像圏にドキュメンタリー的な映像があふれる時代と主張する。
   常態化するフェイクドキュメンタリー的リアリティP80
   最近の作品ではそうしたニュアンスは相対的に希薄化し、フェイクドキュメンタリー的表現自体がたんなる演出として取り入れられているケースも頻繁に目につく。
   いまやひとは誰でもスマートフォン片手に即席の「ドキュメンタリー作家」になれる P83
   タイの前衛的アーティスト、アピチャッポン・ウィーラセタクンや、前章で論じた濱口竜介ら、厳密にはフェイクドキュメンタリーとは呼べなくても、「ドキュメンタリー的」と呼べる演出を大胆に取り入れる作家も国内外でますます目立つようになってきている。P85
    その例が、2010年代の国民的大ヒット映画『シン・ゴジラ』(2016年)にも見られた。
   昨今のアイドル産業やプロレス人気の再興などに象徴される、「ドキュメントの要素と演出が混在する」文化産業のリアリティ P92
時代精神としての「ドキュメンタリー的感性」(P96)がある時代に生きている

偏在化するドキュメンタリー的な映像は、作り手にも受け手にも必然的に影響を与えるだろう。結果として、多くの映像がドキュメンタリー的な性質を帯びているのではないか。

そういう状態を、筆者はドキュメンタリーは固有のジャンルから「モードとしてのドキュメンタリー」が拡散している状態と呼びたい。

モードとジャンルの関係性。。。メロドラマを例に取り説明する。

メロドラマはモードとして、様々な映画に感性として表れているという指摘
『メロドラマ映画を学ぶ』から
モードとしてのメロドラマ・・・メロドラマ映画を学ぶP165以降の記述
グレッドヒルは、メロドラマを家庭内の状況と「女性の」状態にかんする映画に限定することに疑問を呈し(あるいはその根拠を問いただし)、このアプローチに意義を唱えた。たとえば西部劇の諸要素はファミリー・メロドラマとまったく同じように過剰であると示唆しつつ、グレッドヒルは次のように問いかける。「もしメロドラマ的なレトリックが、西部劇、ギャング映画、ホラー映画、サイコ・スリラー、ファミリー・メロドラマを同じように特徴づけているのだとしたら、メロドラマという対象を古典的なリアリズム的/物語テクストに対する批判的で破壊的な関係おいて定義するといった主張を維持できるだろうか」。P175
メロドラマはここで、ブルジョワ的なものと大衆的なものの両方から引き継がれた形質が混在する、階級横断的で文化横断的な形式として人気された。その形式は、非言語的な美学(スペクタクル、身振りのパフォーマンス、音楽)によって支配されていたとはいえ、スペクタクルばかりでなくファンタジーとリアリズムにも影響する一連の美学的変容を経験した。メロドラマは、ジャーナリズム、正統劇、オペラ、絵画、詩、歌謡と大衆文学を、インスピレーション翻案の源泉として(無差別に)利用した間テクスト的な形式なのである。P180
ウィリアムズが主張するには、メロドラマは、アメリカの映画製作におけるひとつのジャンルや他のなんらかの部分集合であるというよりも、アメリカの映画製作における普遍的なモードであり、多くのジャンルを構成し、常に存在しつづけるものである。P184
このように、メロドラマをモードとみなすことは、メロドラマ的感性がいかにして広範囲にわたるテクストとジャンルを横断しながら現れることができるのかについて考察することを促す。P199
九〇年代を通じて、ジャンルという単一の形態にメロドラマ概念を制限しておくことが困難になり、モードや感性、修辞学といった論じられ方が主流化していくと、ハリウッドだけではなく世界の映画へと目が向けられるようになった。訳者解説―メロドラマ映画研究の現在 河野真理江 P252


モードとしてのドキュメンタリーの感性が様々な場面に表れているのでは

アニメーション・ドキュメンタリーや、渡邉氏のし的する時代感性としてのドキュメンタリーの広がりもモードとしてのドキュメンタリー的感性が拡散した結果といえる。

いわゆるドキュメンタリー素材をアニメーション化したような作品以外にも、実写のフィクションであれ、アニメーションであれ、ドキュメンタリー的感性がモードとして入り込んでいるのだ。

アニメにおいては現実の街並みや風景を克明に描こうとする聖地巡礼を促すタイプの作品の増加にドキュメンタリー的な感性を見出すことも可能だろう。それはその時代、その土地の風景の記録となりうるものだ。

新海誠は現代日本を舞台とすることが多い作家であり、必然的に記録の精神を帯びるアニメーションを生み出している。
アニメ作家の中では比較的強めにもドキュメンタリーモードが出ている作家と言えるのではないか。

土居 もうひとつ、2010年代の特筆すべきものとして、アニメーションが歴史を手触りあるものとして体験させることに長けているということが発見されたという側面があると思います。2019年はアニメーションにとってどんな年だったか?  | かみのたね

天気の子にもそれが見られると指摘

すずめにも同様に観られるだろう。
 
 
Body5すずめの戸締まりのドキュメンタリー的感性
震災をドキュメントするには、現実世界だけでは、足りない。
   コスモロジー(霊性の世界)を目指すアニメーション・ドキュメント
   霊性の震災学のはじめにから

新海誠の風景論….新海誠のドキュメンタリー的感性は、まず風景に表れた。それは彼の最も得意とする分野で、常に表現の中心に位置していたと言ってもいいものだ。
実在のメーカーや広告まで取り込む新海誠の作風の変化は2011年以降に起きている。
直接震災は関係ないし、ただのタイアップとしてビジネス的側面だけでは理解が足りないだろう。
『言の葉の庭』からその試みが本格化している。新海誠が書いたマーケティングについての企画文書に彼はこう記している
   ■今の現実を切り取る/各商品のロゴについて
    ここ何年かで、「秒速5センチメートル」的なリアルな日常描写のアニメーション作品が増えました。リアルな絵作りが技術的に容易になったという理由もありますし、観客の目が肥えて昔ほどアニメ画面が素朴でいられなくなったということもあるでしょうし、聖地巡礼のような新しい機能がアニメに発見されたということもあります。
    日常描写では固有の商品・施設等を描くことがしばしば必須となりますが、商標権の問題があるため、多くの場合は実際の商品名を微妙にアレンジした形で描かれます(McDonald’s→WcDonald’sというふうに)。そのような「一見リアルだけど違う」という描写は最初の頃こそ新鮮味もありましたが(2000年代半ば頃まで。『雲のむこう〜』ではそこが喜ばれていたような記憶があります)、今では逆に陳腐なお約束描写になってしまった感があります。そのようにパロディ的に現実を描くことが、アニメ独特の閉鎖性にさえ見えます。
    そこで本作ではより実写的に、劇中に登場する服装・建物・小物等の企業ロゴを出来る限りそのまま画面に映したいと望みます。現実生活をアニメの中に切り取るためにはこのようなアプローチは有効ですし、それは観客にとっても新鮮な画面に映るはずです。(『EYES CREAM 増刊 「新海誠、その作品と人』2016年10月増刊号、新海誠ロングインタビュー「一度きりの、しかし今に続く」インタビュー柳憲一郎、『言の葉の庭』マーケティングについて、P26)

企業ロゴなどをそのままなるべく出すという試みは、ビジネスタイアップと相性がいいのは確かだが、『言の葉の庭』制作時は、新海誠はまだ国民的作家ではなかった。その時の狙い現実を切り取ることの意識の強さである。
そして、その姿勢は『君の名は。』から『天気の子』と続くことでさらに強化され、さらに公開当時の「今」が強く刻印されることになった。

その姿勢は『すずめの戸締まり』にも同様に引き継がれている。ローソンはローソンとして登場するし、そこでレジをやっているのは外国人労働者だ。

そういう現実の手触りの感覚の中で、後半は東北の風景が登場する。
とりわけ後半、東京から東北へのシーンの風景。。。岩手県にあるすずめの生家、そこまでの道のりの無機質な防潮堤、原発の見える福島の海沿い

東北に入る後半の展開で大きなポイントは、原発の見える福島の風景で出たこの一言だろう。「ここってこんなにキレイだったんだな」
これに対して、すずめはやや戸惑いの混じった感情を覚える。

これは、被災地域に暮らしていた人すら思ったことでもあるのだ。しかし、おそらくはカメラの前で言いにくいことでもある。
    被災後の風景は、彼らにとって辛いものだったかもしれません。でも、私としては、悲しみや喪失と美しさは同時に存在するし、それが美しいことは、彼らにとってただ苦しいことではなく、むしろ、励みになるはずだとも思いました。(『舞台芸術』、「言葉と映像―聞くこと、話すこと、残すこと」小森はるか+瀬尾夏美、聞き手:森山直人、2022年春号、KADOKAWA)
   あるおじいさんは、「津波で流された直後の風景を見たとき、うつくしいと思った」と話してくれた。こんなに悲しいのに、なんでうつくしいんだろう。それらは一見相反する感情だけれども、共存するものだったという。(『あわいゆくこころ』、瀬尾夏美、晶文社、2019年2月5日発行、P279)

ある種の「喚起」させる力のあるシーンとセリフだ。「喚起」はアニメイテッド・ドキュメンタリーにおいて、主要な3要素のうちの一つだ。社会の多数派ではない人々の共有されにくい感情の理解を促そうとするもの。

アニメーション・ドキュメンタリー『戦場でワルツを』は記憶を巡る作品、
『FLEE フリー』は失われた故郷をめぐる作品
それら「カメラで映せない現実」をアニメーションで補完することで成立した作品

すずめの戸締まりはそれら2つの要素が混在する。
すずめは震災に関するある記憶を忘れており、津波で失われた故郷を目指す。そこで失われた実家の姿を夢想するショットが挟まれる。

すずめの家の跡地に、津波被災前の家の記憶が重なるシーン。映せない記憶を映し出すアニメーションの力が発揮される。。。。アニメイテッド・ドキュメンタリーが定義する「模倣的代替」に近い手触りのあるシーンだ。家のなくなった景色はたしかにあのように跡地が残り、そこには確かにかつて住宅があったはずだった。記憶に訴えかけるアニメーション・ドキュメンタリー的な作法がここでは作用する。

なにより、本作は災いを鎮めるために、死者の声を聞く。愛媛ですずめが初めて扉を閉める時、東北で常世に行く時に、数多くの「いってきます」と「いってらっしゃい」の声。
常世が東北になるのも、遠野物語的な死生観を感じさせる。

すずめの戸締まりは、災いの飛び出す扉を閉める時、死者の声を聞く
『すずめの戸締まり』で草太は、後ろ戸を閉じるとき、その土地で暮らしてきた人の「声」を聴く必要がある、と説明する。映像を素直に受け取れば、「土地の記憶」とでもいうべきものを走馬灯のように感じながら「戸締まり」を行うという描写になっている。

死者の声は聞けない。だが、幽霊を見た目撃談は多い。
霊性の震災学では、かなり具体的な目撃証言がタクシー運転手から数多く寄せられたことを研究している。死者の声を聞くという表象はドキュメンタリー映画よりも直接的な描写となっているが、同時に抽象的な「この土地に生きていたであろう名もなき誰か」の声として描かれる。特定の誰かに限定しない、声の集積としての死者の声を聞きながら、すずめは常世へと草太を救いに赴く。

アニメーション・ドキュメンタリーの喚起の機能に近いものがある。カメラで撮影不可能な内的な心の動きを直接的に表象しているとも言っていいだろう。それは幽霊を見たタクシードライバーの心象に通じるものがあるのではないか。ここに、カメラで撮影不可能なものにも手が届くアニメーションとして、ドキュメンタリー的な感性を拡張させた好例がある。
「死者」というカメラで撮影不可能なものに迫るため、フィクション化することを選んだ二組のドキュメンタリー作家に対して、アニメーションで死者のいる常世を夢想する。『二重のまち』にも近い手触りだ。死者の声というきっとある現実をアニメーションだからこそ描けている・・・・これを説得力もって言えるか。

新海監督は「「観客の多くは10歳代で、共通体験としての震災が薄くなっている。」ことへの危機感がこの映画を作らせたと語る。

それは小森と瀬尾が『二重のまち/交代地のうたを編む』でやろうとしたことに近い。彼女たちもまた「当事者性が低い」と思っている若者を陸前高田に呼んでくることで、継承を試みた。

「誰かが忘れずに、覚えていてくれるように。そして同時に、誰もが忘れてもいいように」。瀬尾夏美インタビュー|Tokyo Art Beat
陸前高田の状況が、被災から復旧していく段階を経て、人々が新しい街で実際に暮らしていく段階へと移ったのを感じたからです。そのいっぽうで、幼い頃に震災の様子をメディアを通して見て「あのとき何もできなかった」と申し訳なさそうに語る若い子に出会うことがあって。こんなふうに震災の影響を受けながら育ったんだなと思いました。
いままでは、被災の“当事者”と言われる人たちと言えば被災地で家や家族をなくしたような人たちだととらえられてきました。でも、そうでなくても、みなそれぞれに衝撃を受け、問いを積み残しながらその後の時間を暮らしてきた。いよいよ、これまで“当事者”ではないとされてきた人たちの声が置いてきぼりになっていると感じたんです。それで、当事者か非当事者かというカテゴライズ自体が分断を助長してしまっていることのほうが問題なのではないかと思うようになりました。


『二重のまち』は嵩上げ工事でかつての街の上に街が気づかれることになったことで生まれた作品だ。それは地元の人々にとって、津波の次に訪れた「二重の喪失」だった。しかし、瀬尾は未来に向けて、いつかこの新しい風景を美しく思える日が来るかと問いながら、この物語を生んでいた。

新しい風景を2031年の未来を想像して問う作法

折笠駅は、JR山田線の駅だったが、震災の津波で流失。18年11月に約1キロ北に再建され、経営移管で三陸鉄道の駅になった。新しく建設された駅だという点に意味がある。そこには震災後の現実に出来た「新しい風景」を見せるという意識があって、最後にもってきているのでは。

濱口らが向き合ったカメラで撮れない者、アニメはダイレクトに描くことが可能となる。極めてリアリスティックな現代日本を舞台に、フィクショナルなシチュエーションを用いてこうした演出を行う点に、震災ドキュメンタリーとの接点が立ち上る。

死者の声を聞くためにフィクションに接近したドキュメンタリー作品群と近いアプローチ。
死者の声をなぜ聞かねばならないか。なぜフィクショナルな語りが継承に必要とされるか。

小森・瀬尾のコンビは、新しい民話を作ることを試みた。
語りというフィクションでないと伝えられない真実性の重要性を大震災は浮かび上がらせたのではないか。
文学のららほらからの引用も必要

現実に最も肉薄したドキュメンタリー作家がこぞってフィクショナルなものを必要とした時、アニメはモードとしてドキュメンタリー的感性を受け取った。
特に新海誠は2010年代、そういう作品作りを徹底していたのでは。。。。言の葉の庭のマーケティングのやり方。。現実の看板を出したりすること

死者の声を聞くと震災ドキュメンタリーとアニメ。死者という映せない存在への想いが結節点となる。そこに新たな民話の生まれる可能性。その語りが死者の想いをつないでいく。フィクショナルなドキュメントと案フィクショナルなアニメのゆるやかな、あわいの中での映像体験がある作品になっていた。

ドキュメンタリーの主観性の重要さが増したことはどこかで入れられるか、入れるべきか。風景を美しいと感じるということを主観的に直接描ける

震災は体験した人だけのものじゃないんよ」(あわゆくこころ P311)

 
 
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 メモ終わり。

 長いですね。実際の原稿も長いけど。

 結構多くの資料にあたりました。実際には、これよりもっと多いのではないか。国会図書館で偶然見つけたものなんかも合ったような気がする。この原稿は書くの大変でしたけど、書き終えたときには充実した達成感がありました。書いてよかったなと思いますし、僕なりの視点を提供できているのではないかなと思います。
 
 

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