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Yahoo!とLINEの震災特集で新海誠監督に話を聞いてきました

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 マグミクスとYahoo!とLINEの共同企画の震災特集にて、新海誠監督に話を聞いてきました。

 “怖い”と感じた被災地での舞台挨拶…「許せない」と思われても。新海監督が震災描く理由 | マグミクス

 LINEニュースでも掲載されています。

 “怖い”と感じた被災地での舞台挨拶…「許せない」と思われても。新海監督が震災描く理由#知り続ける(マグミクス)

 東日本大震災への想いや、あの出来事がアニメーション監督としての仕事にどんな影響を与えたのかなど、様々なお話をしていただきました。率直に丁寧に複雑な胸中を語っていただけてありがとうございます。

 とても良いインタビュー担ったと思います。ぜひご一読を。

 
 
 以下、原稿作成時のメモと構成案。
 
 
——————
 
 

「物語に何ができるだろうということ」・・・これが主題か?
 
閖上(ゆりあげ・名取市)を襲った大津波の証言

イオンシネマ名取、舞台挨拶ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました! お顔が拝見できて、お声を聞くことができてとても嬉しかったです。来ることができて良かった、、。
「君の名は。」の起点は宮城・閖上 震災直後にスケッチ:朝日新聞デジタル
イオンシネマ名取、とてもうれしい出迎えです。泣けるなあ、ありがとうございます!
『星を追う子ども』公式サイト/新海 誠 最新作
【12/3イオンシネマ名取 舞台挨拶】 イオンシネマ名取行ってきたので内容共有します〜 東北の方々の反応が気になっていましたが会場はとても温かったです。実際に被災した方も質問をされていました。
 

新海誠監督、「すずめの戸締まり」で挑んだ“エンタメと震災”。未公開インタビュー – クローズアップ現代 – NHK
災害に関して言えば、寄り添うとか励ますとか慰めるということが、作品でできるとは思っていないんです。できることもあるかもしれませんが、でも、もうちょっとそれは個人的な行いというか、1対1の関係性でなければ、きっと難しい行為だと思います。だから、映画をつくることで誰かを励まそうとか癒やそうみたいなことは、僕は実は考えていないんです。だけど、共感させるということはできると思うんですよ。感情移入してもらうということはできると。
例えば、2011年というのはもう随分昔のことですから、今の10代、特に被災していない地域の10代にとっては、教科書の中の出来事だと思います。でも、映画を見ている最中は鈴芽になることができるし、教科書の中の出来事だと思っていたことと自分がつながっているということを知ることができるかもしれない。それはもしかしたら、ほかの分野ではできない、エンタメだからこそできる意味のある仕事のような気がします。

――物語の持つ力なんじゃないかという。

新海:
そうだと思います。起きた出来事を物語で考える。最初は事実の記録や記憶であったものが、だんだん物語のかたちになっていって、残って伝えられていくということを、人は1000年、2000年繰り返してきた。
どの国も建国の神話のようなものを持っているし、あらゆる場所にその成り立ちの神話のようなものがあるわけです。起きた出来事が物語を生んで、そこに事実じゃないヒーロー的な要素も加わったりとか、エンタメ的な要素も加わったりしつつ、それでつなげていくのが、人間の持っている心のかたちだと思います。それが神話ですし昔話ですし童話ですし、人はそういうものを読んで育っていきますよね。
だったら、エンタメにしかできないことがあるだろうと思いたいですし、信じています。何を言われても、それが僕たちの仕事なんだと思います。

新海:
エンターテインメントの力は、共感させること、感情移入させることだと思います。誰かに共感するとか感情移入するっていうのは、すごく不思議な力だと思うんですよ。なぜ僕たちは誰かに共感できるのか。一番強く生きていくのであれば、誰かに共感したり感情移入したりせずに、自分にとって有利な目標に向かって真っすぐ自分のためだけを考えて歩いていけばいいのに、僕たちはそれができないわけです。だから、共感や感情移入が人間社会をちゃんと社会のかたちとしてキープさせ続けている、ぎりぎりの要石のようなものだと思います。
エンタメっていうのは、その能力を発揮させるし、使うための訓練にもなるし育むこともできると思うんです。荒唐無稽な漫画、アニメ、映画、物語でも、僕たちはそのキャラクターになることができるっていうのは共感の力ですよね。この映画を見て、観客が鈴芽になることができたとしたら、すごく大それた話ですけど、少しだけ社会の空気が吸いやすくなるというか。人が人に共感することが増えると、その分だけ社会は寛容になるわけじゃないですか。
あの人がわがままで許せないとか、あんな行いは厳罰に処すべきだとか、いろんな不寛容がありますが、あいつはなんであんなことをやったんだろうとか、少しだけ想像をめぐらせてその人に自分がなってみたら、もしかしたらその人なりの正義があるかもしれないし、その人なりに大切なものを守るためにやったのかもしれない。共感って、そういうことを想像させる源だと思うんですよね。
大それているかもしれないですけど、面白い物語をつくることが、社会から不寛容を少しだけなくす。息が吸いやすくて隣の人のこともちょっと分かるというような社会にするために、少しだけエンタメができることがあるような気が僕はしています。

新海誠監督と東日本大震災 災害を“物語”で後世に伝える – NHK クローズアップ現代 全記録
新海さん:
そうですね。僕は多分、あのぐらいの時期に割り切ったというか――割り切ってしまったと思うんですよね。自分の仕事はアニメを作ること以上に、上手にできることは他にどうもなさそうだと。だとしたら、この先時間がかかってもいいから、エンタメでしかできない、今回起きた出来事に対しての自分たちなりの関わり方というものがあるのではないかと思いました。それが、2016年の「君の名は。」という映画につながっていきました。
2011年の瞬間に多くの人が、グラデーションはあるにせよ2つに分かれてしまったというか、「経験した人」と「経験していない人」に分かれてしまって、何を作ろうが何をやろうが、多分その溝のようなものは埋まらないような気もしますね。

 

言の葉の庭の企画書、新海誠の世界P254
東京の風景はおそらく、数年か数十年のうちに訪れるかもしれない巨大な災害により大きく変わってしまうかもしれない。だから今この揺れる大地の上にある日常を、そこを歩く足の物語としてアニメーションの画面に留めておきたいと思う。

新海誠の世界P359 番組名「3・11 7年目の真実」TBS系列で放送、17年3月11日放送
不安定なに日常をおくる私たちへのメッセージが込められた『言の葉の庭』の後、新海が試みたのは、直接的なテーマとモチーフを駆使して震災後の時代精神を描き出すことであった。東日本大震災が発生した四ヶ月後の2011年七月に、新海はTBSテレビ「NEWS23」の番組取材で、被災である宮城県名取市閖上を訪問する。
閖上では住民の五人に一人、約800名が津波の犠牲となった。訪問時の印象を元に、新海は一枚のスケッチ画を描く。それが、街を見渡すことができる丘のような日和山を描いたスケッチである。このスケッチは、新海誠展『ほしのこえ』から『君の名は。』まで」の宮城会場で展示された。
2017年、再び閖上を訪れた新海は、震災から7年目となる2017年三月11日に放送された報道特別番組の中で、『君の名は。』の創作秘話について語っている。その中で新海は、『君の名は。』の最初の出発点は2011年に訪れた閖上であったことを明かした上で、つぎのように続ける。「
「あの時、閖上に立った時に、自分がここにいた世界がじゅうぶんにあり得たっていうふうに思えたんですね。もしも自分がここにいたら、どうしただろう。もしも自分が閖上のあなただったらっていうふうにすごく思ったんですよ。もしも自分があなただったら、という入れ替わりの映画を作ろうというふうに思ったんですよね」
記憶の忘却と忘却への抗いP360

TBS 3・11 7年目の真実 君の名は。
「フィクションの物語を作る仕事に選んだわけだけれども、現実にそれ以上のことを起こってしまうと、フィクションの役割ってなんなんだろうって考えてしまって」
そういう心の動きそのものが、物語とかアニメーションとかは描くことが出来るんだと思いますし、それを描くことで誰かに慰めになるようなことができればいいなと。
物語は共同体や人々が生き残っていくための教訓を含んでいることが多い。
物語は共同体や人々が生き残っていくための教訓を含んでいることが多いと思うんです、民話とか昔話というのは。それがエンタメの唯一の社会的役割だと思うんです。映画や物語が唯一できる役割もそこにあると思っていますし
津波にごっそりとさらわれた名取を表すよい形容詞がないが、英語ならば息を吞むというかもしれない。日没間近の広く高い空が美しく、その下にどこまでも見通しのよい荒地が広がっている。何かささいな違いで僕は長野ではなく仙台に生まれていたかもしれない。

新海誠本企画書前文
災害については、アポカリプス後の映画である、という気分で作りたい。災厄がどうしようもなくべったりと日常に貼り付いている、そういう世界である。
以上のように様々な思惑を込めた物語ではあるのだけど、正直に言えば、「これで良いのだろうか」という不安もずっとある。
コロナで世界が変わってしまったから。

だからせめて、本作では物語の基本的な役割を忠実に果たしたいと思う。日常から出発し、そこから最も遠い場所まで行き、また日常に帰ってくる。そのことによって日常の確かさを確認する。

2011年の自粛ムード
カラオケ店。震災後、節電を呼び掛ける報道がなされると、カラオケ店はパチンコ店などと並び「電力を消費する娯楽施設」として、営業自粛すべきと叩かれた。そうした世論もあってか、企業も運営のあり方について慎重な姿勢を見せており、残念ながら取材NG、掲載不可を立て続けに食らってしまった。http://www.beeast69.com/feature/131
次々と「自粛」させられる映画はどこが問題なのか? | タナウツネット雑記ブログ | 田中芳樹を撃つ!
『世界侵略:ロサンゼルス決戦』公開延期のお知らせ | ソニー・ピクチャーズ公式
台湾映画『父の初七日』公開延期のお知らせ | 太秦株式会社

目の前の日常とどう向き合えばいいのかわかんなくなる状態ってありましたか。

質問案を自分なりの用意しておく
2011年、震災発生時、新作の制作中だったんですよね。あの時、自分の目の前の仕事や日常と東北で起きていることに対して、そのギャップというか乖離にどのように折り合いをつけていましたか。
のんきに映画作ってていいのか、という気持ちはあったんですか。
娯楽産業全体があの時、自粛ムードでした。エンタメはいらないもの、緊急時には優先順位が低いものになされがちな現実もあったと思います。映画をあの年に映画を公開しているわけですが、どう感じましたか。
あの時も舞台挨拶に東北を訪れているんですよね。その時、どういう気持ちだったのか。

コロナでまたエンタメ不要不急という言葉で社会から不必要なものにされかけた

(1)「3・11」より以前に起きた震災、例えば1995年1月の「阪神淡路大震災」の発生当時、災害とその被害についてはどのように受け止めていたのでしょうか?

(2)12年前の「3・11」当時、ご自身に起こったことや、湧き上がった思い、震災に関わる出来事についてどう見ていたか…などについてお聞かせ下さい。

(3)作品を発表する行為につきまとう「暴力性」と、ご自身が被災者でなかったことの「後ろめたさ」について悩んだ末に、「自分たちの仕事に意味や意義があるということを確信できるような作品づくりをしたい」という思いに至り、再び作品づくりに向かうようになったと、NHKのインタビューで語られていました。今回、『すずめの戸締まり』で「震災」のモチーフを描くうえで、ご自身のなかで迷いや葛藤があったシーンなどがありましたら、教えて下さい。

(4)『すずめの戸締まり』を観た人びと、特に、震災の被災地の方の声をどのように受け止めていますでしょうか? また、それらの声を通じて、一般の方のなかにも「被災の経験を語りにくい」という思いを感じ取られたかどうかについても、お聞かせ下さい。

(5)昨年のNHKのインタビューで、起きた出来事を「物語」の形で語り継いでいくという人の営みについて言及し、人を「共感させる」「感情移入させる」エンタメの力を強調されています。「物語」のもつ可能性を見出されたのはいつ頃のことなのでしょうか? また、その可能性を最大限発揮させるために必要だと考えていること(心がけていること)について、教えていただけますでしょうか?

 
 

2月16日構成
Intro
2022年11月から公開中の『すずめの戸締まり』が大ヒットとなっている新海誠監督は、映画公開のたびに全国各地の映画館に舞台挨拶に訪れ、精力的に観客とコミュニケーションをとっているが、今回『すずめの戸締まり』で東北3県の映画館を訪問した際には「すごく怖かった」と明かす。
なぜそれほど緊張したのか。その感情には、監督にとっての「3.11」がつながっていた。
2011年の震災発生当時、新海誠監督が感じていたことを振り返ってもらった。
 
 

Body1「3・11」からずっと続く「後ろめたさ」
大震災の発生当時…
新海誠監督は初めて、自分の人生や将来、1歳になったばかりの娘さんの将来について、リアルな不安を感じた。
自分が被災者ではなく、アニメーションを作っていることに対して「後ろめたさ」も感じるようになった(今もずっと続いている)。
震災がきっかけで現地に行った人や、仕事を変えたひともいるなかで、「映画・アニメは生活に必須のものではない。もう少し生活に約に立つことをしたほうが良いのではないか?」
それでも、自分にできることはアニメーションをつくること以外になさそうだ。
「エンタメにしかできない」意義のあると思える仕事がしたいと考えるようになった
 
 

Body2東北での舞台あいさつで「ありがとう」の声
そのような思いを抱いた2011年の夏、新海誠監督は震災発生当時に制作していた『星を追う子ども』の舞台あいさつで宮城県を訪れ、津波で大きな被害のあった閖上地区を訪れている。
その時の体験が2016年公開の『君の名は。』の着想となったことを、宮城県名取市での舞台挨拶で初めて明らかにしたところ、
観客から「伝えてくださってありがとうございました」という声をもらった

『すずめの戸締まり』の舞台挨拶に向かう時には不安があったけれども、劇場では「ありがとう」「大丈夫だよ」と励ましてくれる人が多かった。
「さわってほしくない場所というのは、さわってほしい場所でもあるんですね。
心を動かされたということと、さわってもらえた、というのはとても近いこと」
しかし同時に、劇場の外にいる人びとにも新海誠監督は想像力を働かせる。
「舞台挨拶に来てくれる人たちは、そういう思いをもって来てくれているはずで、映画を見て「傷つけられた」と思った方も、映画館の外にいらっしゃるんだなと感じた」
 
 

Body3「物語の力」というバトンが自分の手にある
『すずめの戸締まり』は、地震災害をモチーフに描いた物語。東日本大震災による被害を想起させる表現も少なくない。何かを表現するということは誰かの心を傷つける暴力性を帯びる。けれども、それを避けていては1ミリも心を動かさない作品になってしまう」
「さわってほしくない場所というのは、さわってほしい場所でもあるんですね。
心を動かされたということと、さわってもらえた、というのはとても近いこと」

監督自身、東北地方を訪れるなかで、住民の姿よりも防潮堤や嵩上げの工事車両を多く見るなから、「3・11」が今も続いていることを実感している。幅広い世代の人びとと「震災」の感覚を共有したいという思いが薄れることはなかった。

「震災に興味がなくても、面白いから見ようよ、話題になっているから見に行こうよ……という広がり方は、エンタメならではだと思います。エンタメのもつ力、「物語の力」は、「人びとを感情移入させること」。そのためには、作品自体が面白くないといけない」

新海監督自身にも、エンタメによって心を動かされた経験があった。
小説、キャラクター、ストーリー、ゲームといった世界、刻々と表情を変える空…
家や学校とはまた別の、「第3の居場所」「逃げ場所」のようなもの。
そこから教わったこともたくさんある。

そのような体験を自分が提供する役割を果たす番になった、「バトン」のようなものが手元にある、という感覚が『君の名は。』の時にあった。「自分の作家性や表現力」と、
「観客と共有できるテーマ」の接点を見つけることができた。

「今手元にあると思っていた「バトン」も、年をとるごとに薄れていっていると感じるが、おそらく次に来る誰かが持っていくものだんだろうと思う」

 
 
構成(自分なりに再度)

Point3つ
東北の映画館での舞台挨拶で励まされた
同時にエンタメ、表現の怖さにも自覚的であり続けている
そのエンタメの力、届ける力のバトンを付けとった感覚、、そして徐々に薄れて受け継がれていく
 

Intro
怖かった東北での舞台挨拶
なぜか、

震災のことがある。

 
 

Body1震災と新海誠、被災地との関わり
2011年、星を追う子どもの制作時だった。
こんなことをやってていいのか。しかし、投げ出すわけにもいかない。仕事を変えた人もいる中、自分はそこまで踏み切れず、

2011年7月に閖上を訪れた

これが君の名は。のきっかけ。エンタメ、物語にできることを考えよう、と震災きっかけに考えた。

毎回訪れる閖上や東北の映画館

しかし、すずめの時は「そもそも行くべきか迷った」

しかし、東北だけいかないのも不自然。

緊張した。自然と他の地域とは違うことを話していた気がする。
メディア、観客のトーンが違った
ありがとうございますという感想が出るのは東北ならではだった。

そして、逆に自分が励まされた。
 
 

Body2エンタメ、表現の怖さも自覚
どうして、ありがとうございますなのか。

触れたことに対してだと思う。
励まされたが、同時に映画を見に来ないひとたちのことを想像することを忘れなかった

こんなものを作りやがってと思っている人もいるだろうと想像していた。

エンタメ、表現には暴力性がある、これは避けられない。

さければ、誰の心も動かすことはできない。それでは、そもそもエンタメを作る意味がない。

心を動かすこと、動かすには触れないといけない、
触れたくない場所は触れて欲しい場所でもあるかもしれない。
勝手は言い分かもしれないが、心を動かしたかった。

面白いから、震災に興味がなくても見てもらえる、もしかしたら長いスパンで。
そういう広がりができるのが、報道とは違うエンタメの力。

そういう力を今、自分が持っているという自覚がある。

作った動機について、

東北三県では、他の地域に比べてまだ風化していない。

作品の中に出てくる道路、風景、あれは現実のもの
工事車両や人の方が多い

 
 

Body3 力のバトンを持ったという感覚
そういう力はバトンのようなもの

「君の名は。」公開前にそういうバトンが自分のところにきたという感覚になったという
観客と共有できる何か、接点のようなものを見つけたという感覚

震災をモチーフにした作品であることも関係している、あるいは東宝で大きく公開すること、作品への手ごたえも

作り手にはそういう錯覚が訪れる時があるものだと思う。

物語に救われた人、居場所をもらい、世界をしることになった物語を、自分の作品が若い人にとってそういうものになればいいと思っている。

バトンを渡したくて作っているわけではないが、そもそも錯覚なので、
ただ、そういうものは自然と受け継がれているのではないか。すでに自分の中でそのバトンの力は徐々に弱まっているようにも感じる
「今手元にあると思っていた「バトン」も、年をとるごとに薄れていっていると感じるが、おそらく次に来る誰かが持っていくものだんだろうと思う」
 
 
 
構成2月18日

参考:「マンガなんかで」投げられた批判…後ろめたさ。それでも“狂気の戦場”戦後世代が伝え続ける理由 | マグミクス
  
 

Intro
「すごく怖かった」
(『すずめの戸締まり』で緊張する舞台あいさつのエピソード)

2022年11月から公開中の『すずめの戸締まり』が大ヒットとなっている新海誠監督は、映画公開のたびに全国各地の映画館に舞台挨拶に訪れ、精力的に観客とコミュニケーションをとっている。<<ここで監督のことを知らない人向けの紹介内容を入れる>>

今回『すずめの戸締まり』で東北3県の映画館を訪問した際に、監督はなぜそれほど緊張したのか。それは新海監督の作品づくりに「地震災害」が切り離せないほどの影響を与えているからだ。

<<<ここで、1995年阪神淡路大震災当時の経験や感情の話を入れる>>>
当時は大学生だった。「妹が関西に住んでいるので、やっぱり一番最初に思ったことが身内が大丈夫なんだとか心配」「社会は大変なんだ」と翻弄されているような感覚だった

そんな新海誠監督がアニメーション作家として活動を続けていた時に、大きな影響を受けたのが「3.11」だった。
2011年の震災発生当時、新海誠監督が感じていたことを振り返ってもらった。
 
 

Body1「3・11」からずっと続く「後ろめたさ」
大震災の発生当時…

新海誠監督は初めて、自分の人生や将来、1歳になったばかりの娘さんの将来について、リアルな不安を感じた。

自分が被災者ではなく、アニメーションを作っていることに対して「後ろめたさ」も感じるようになった(今もずっと続いている)。

震災がきっかけで現地に行った人や、仕事を変えたひともいるなかで、「映画・アニメは生活に必須のものではない。もう少し生活に役に立つことをしたほうが良いのではないか?」

それでも、自分にできることはアニメーションをつくること以外になさそうだ。
「エンタメにしかできない」意義のあると思える仕事がしたいと考えるようになった

 
 

Body2東北での舞台あいさつで「ありがとう」の声
そのような思いを抱いた2011年の夏、新海誠監督は震災発生当時に制作していた『星を追う子ども』の舞台あいさつで宮城県を訪れ、津波で大きな被害のあった閖上地区を訪れている。
その時の体験が2016年公開の『君の名は。』の着想となったことを、宮城県名取市での舞台挨拶で初めて明らかにしたところ、
観客から「伝えてくださってありがとうございました」という声をもらった

『すずめの戸締まり』の舞台挨拶に向かう時には不安があったけれども、劇場では「ありがとう」「大丈夫だよ」と励ましてくれる人が多かった。・・・・そもそも行くべきかも迷った

しかし同時に、劇場の外にいる人びとにも新海誠監督は想像力を働かせる。

「舞台挨拶に来てくれる人たちは、そういう思いをもって来てくれているはずで、映画を見て「傷つけられた」と思った方も、映画館の外にいらっしゃるんだなと感じた」

 
 

Body3「物語の力」というバトンが自分の手にある
『すずめの戸締まり』は、地震災害をモチーフに描いた物語。東日本大震災による被害を想起させる表現も少なくない。何かを表現するということは誰かの心を傷つける暴力性を帯びる。けれども、それを避けていては1ミリも心を動かさない作品になってしまう」

「さわってほしくない場所というのは、さわってほしい場所でもあるんですね。心を動かされたということと、さわってもらえた、というのはとても近いこと」

監督自身、東北地方を訪れるなかで、「東北地方を訪れると多く見かける工事車両や、今も続く放射能の影響などから考えても、被災地の人びとにとっては「3・11」が遠ざかっているとは思えない」

と感じている。一方、被災地以外のところではどうか。「コロナ禍という巨大かつ新しい“災害”が発生したことで、若い世代にとって「東日本大震災」がさらに遠いものになってしまった。アニメ映画にしかできない役割があるのではないか」(https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202211/0015816866.shtml )。幅広い世代の人びとと「震災」の感覚を共有したいという思いが強まった。

「震災に興味がなくても、面白いから見ようよ、話題になっているから見に行こうよ……という広がり方は、エンタメならではだと思います。エンタメのもつ力、「物語の力」は、「人びとを感情移入させること」。そのためには、作品自体が面白くないといけない」

新海監督自身にも、エンタメによって心を動かされた経験があった。
小説、キャラクター、ストーリー、ゲームといった世界、刻々と表情を変える空…
家や学校とはまた別の、「第3の居場所」「逃げ場所」のようなもの。
そこから教わったこともたくさんある。

そのような体験を自分が提供する役割を果たす番になった、「バトン」のようなものが手元にある、という感覚が『君の名は。』の時にあった。「自分の作家性や表現力」と、「観客と共有できるテーマ」の接点を見つけることができた。

「今手元にあると思っていた「バトン」も、年をとるごとに薄れていっていると感じるが、おそらく次に来る誰かが持っていくものだんだろうと思う」

<<新海監督だけでなく、さまざまな作家やクリエイターが「物語」を通じて
震災の記憶を継承しようとしていることを補足>>>

震災の当事者でない新海誠監督が「物語」を作るという自分の仕事と「東日本大震災」との接点を見出した時、「バトン」を手にしたと感じた。その「バトン」は、震災の当事者、被災者でなくても、「物語」を介して震災に関わっていける可能性を示しているといえるのではないでしょうか。。。みたいな形で締める。

幅広い世代と震災の感覚を共有したいという想いが新海監督にはありました。

バトンを持っているという感覚は、年々薄れてきていますが、それは錯覚のようなものですから、減っていくのが当たり前なのだろうと思います

あの日、宮城で被災した暮らしを鮮明に思い出されて嗚咽と号泣し、つけまつ毛が取れました。岩手出身の自分としては宮古の電波塔と岩手県大槌町町赤浜地区辺りの映像に心抉られてた。12年前20代前半生き残った家族を養い守らなくてはいけなかったあの日々のワタシを…
解放して初めてちゃんと曝けだして泣けた気がします。[@shinkaimakoto](https://twitter.com/shinkaimakoto)監督ありがとう。ちゃんと痛みを思い出して泣くタイミングをくれて。すずめと、環さんの両方の感情が流れ込んで来てヤバかった。そして、何かの縁なのか…父の名前も同じだったことにこのタイミングで見るべき映画だったのでしょう

すずめの戸締まり観てきた!やっぱり所々ドキドキバクバク号泣しちゃったけど、すごく感動した![😭](https://abs-0.twimg.com/emoji/v2/svg/1f62d.svg)被災した人によってはいろんな感情が湧くだろうなと思うけれど、私は割と腑に落ちたな。あと、ハッピーセットの絵本を何度も子どもにせがまれて読んでるけど、映画見た後だと鼻がツンとする。

震災翌週に安達太良SAから見た福島沿岸部の遠景や住宅地だった仙台沿岸部、仙石線復旧前のBRTから見た町並みだったはずの草原、旧野蒜駅やその周辺、防潮堤、、、 東北のいろいろな景色がずっとフラッシュバック風によぎってきて、ちょっとツライ![🥺](https://abs-0.twimg.com/emoji/v2/svg/1f97a.svg)

【12/4フォーラム盛岡 舞台挨拶】

【12/3TOHOシネマズ仙台舞台挨拶】

【12/3イオンシネマ名取 舞台挨拶】

新海監督は、舞台挨拶のために仙台に来ていたのね!?しかも、名取の映画館とは…なぜか、新海監督が震災を語ったことで怒る人がいましたが、むしろ、「しっかりと伝えていただき、ありがとうございます」を言いたいです。

1)最新作『すずめの戸締まり』では、「東北地方の劇場に行くべきか迷った」と、複雑な胸中だったことを明かしました。の部分について、「その理由や具体的な作中シーンを補足したい」との指摘なのですが、杉本さんが情報収集されてきたなかで、挙げられるシーンなどありますでしょうか?

具体的なシーン。
国道6号線の風景?
岩手県、すずめの実家あるところ?
冒頭の燃える場所と乗っかる船

(2)もし、『すずめの戸締まり』東北での舞台あいさつで、観客から出されたコメントを写したドキュメンタリー映像などが思い起こされるようでしたら、加筆いただくか、「ここにあります」と教えていただけないでしょうか?

(3)最後の締めくくりの部分、
「バトン」について「それは受け継がれていくものなんだろうと思います」について、観客に向けた何かはありますかね? 
との指摘なのですが、監督がおっしゃったのは上記までだと思うので、ここは地の文で
監督がエンタメに心を動かされたように、バトンをもった監督が送り出した作品に心を動かされた誰かが、
次に人びとの心を動かす「物語」に携わっていく可能性もあるでしょう。。

岩手:新海誠監督「主人公の故郷は岩手想定」…「すずめの戸締まり」 盛岡で舞台挨拶:地域ニュース : 読売新聞
 
 
修正分(候補)
続く『天気の子』 でも舞台あいさつで同劇場を訪れている新海監督ですが、(1)最新作『すずめの戸締まり』では、「東北地方の劇場に行くべきか迷った」と、複雑な胸中だったことを明かしました。

作中には、東北の実在の地を想起させるシーンも登場します。東北地方に向か

これらは現在もこうした形で残されています。また、すずめの生家がある地域は岩手県の実在の地域をモデルにしていると思しき光景が描かれます。それらの光景を観て、「心がえぐられた」という感想をSNSなどに書かれる方も見受けられます。

『君の名は。』では、彗星による災害に置き換え、『天気の子』では気候変動による異常気象を描き、震災を直接描写していませんでした。しかし、本作では現実にある震災の爪痕を直接描いています。

すずめが東北に向かう道中、道路沿いには朽ちた家屋が見られます。荒涼とした場所に電波塔がぽつんと立つすずめの実家付近もモデルとなった場所があります。そうした現実の被災現場を娯楽映画の中に取り込んで本当に良かったのだろうか。

「おかあさん、どこ?」と泣きそうな声で誰もいない荒れ地をさまよう小さな女の子。ギイイッと音がする方を向くと、建物の上に乗り上げた漁船が見える…。

2022年11月11日から公開され、大ヒット中のアニメーション映画『すずめの戸締まり』の冒頭を見て、12年前の震災を思い出した人は多いのではないでしょうか。

「舞台あいさつって、普段はあまり緊張せず楽しいものなんです。でも、今回は怖いと感じました」

本作を手掛けた新海誠監督は、近年興行収入100億円を超えるヒットを連発し、押しも押されぬヒットメイカーとなっています。新海監督は、新作を発表するたびに全国各地の映画館を訪れ、観客とコミュニケーションするためにたくさんの舞台あいさつを行っています。

それは2002年のデビュー作『ほしのこえ』の頃から一貫して監督が大切にしていること。「観客の顔を見て声を聞くことが自分にとって何より特別な時間で、それが映画づくりの醍醐味」と考え、20年以上、繰り返し行ってきた舞台あいさつですが、『すずめの戸締まり』で東北の映画館を訪れた時は怖さを感じたと言います。

2016年公開の『君の名は。』や、2019年公開の『天気の子』でも、災害をモチーフにしたアニメ映画を手掛けてきた新海監督は、東日本大震災に直面して「(作家として)作るべきものを変えられた」と言います。

東日本大震災から12年。監督が今も震災をはじめとする災害に向き合い続ける理由と、2011年の震災発生当時から、『すずめの戸締まり』公開後のこれまでを新海監督に聞きました。

東日本大震災から12年。監督が今も震災をはじめとする災害に向き合い続ける理由と、2011年の震災発生当時から、『すずめの戸締まり』公開後のこれまでを新海監督に聞きました。

「人間関係はなんであれ、深く知ろうと思えば、傷つけあう過程がどうしてもあります。勝手な言い分かもしれないですが、触れてほしくないことというのは、触れてほしいことでもあると思うんです」

実際に震災で友人や家族を亡くされた方から、映画に対して「明日につなげられるんだ、生きていていんだと思った」や「この映画をきっかけに、家族を津波で亡くしたことを友人たちに打ち明けることができた」という声も上がっています。

災害3部作の歩みのまとめと、12年の時を経て震災を直接的に描く監督の覚悟を示唆し、エンタメを通して多くの世代が思いを馳せるきっかけとなるため新海監督は引き続き向き合い続けます。

『君の名は。』、『天気の子」、そして『すずめの戸締まり』と。震災を機に自然災害と向き合い続けてきた新海監督。大きな衝撃を与えた2011年の大震災が若い世代の間から失われる前に、今しかないという強い覚悟で作った本作は、震災の記憶を次の世代へと渡すバトンとなるのかもしれません。

減り続ける被災体験者、そして反比例するように増え続ける震災の記憶が薄い世代を見て、東日本大震災を描くのは今しかないと強い覚悟で作り上げた『すずめの戸締まり』。この映画を見た人の中にも新海監督からバトンを受け取ったと感じる人がいるかもしれません。

東日本大震災の被災体験者は、どうあっても減り続けていきます。2011年、震災を機に新海監督が見出しきた「エンタメを作る意義」と「物語の力」は、次の世代に震災の記憶を継いでいくためにも必要とされるものではないでしょうか。

1995年の阪神淡路大震災の時はまだ大学生だった新海監督は、関西地方に住んでいた妹を心配しながら、「社会が大変なことになっているという感覚に翻弄される」ようだったと、振り返ります。
 
 
—————-
 
 
 メモ終わり。

 
このテーマ・題材の取材で新海誠監督に話を聞く機会を得られたことは大変に光栄です。新海監督、お忙しいなか、ありがとうございました。

 
 
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