ハーバード大学法学部教授であり、アメリカのサイバー法の権威とも云われるローレンス・レッシグのソーシャル・ネットワークに関する素晴らしいレビューの日本語訳をアップします。
翻訳にあたりレッシグ本人の許可を得ています。
オリジナルの英語記事は、The New Repulicに10月1日に掲載されたものです。
http://www.tnr.com/article/books-and-arts/78081/sorkin-zuckerberg-the-social-network
ソーキンVSザッカーバーグ
映画ソーシャルネットワークは素晴らしい娯楽映画だ。だがそこに込められたメッセージはある種の悪意をはらんでいる。
よりも多くのものがあると云った。しかし、ソーキンはトクヴィルではない。実際、彼は単に彼が描こうとした物語の本当の秘密のソースに達する手がかりを持っていなかったというだけだ。そして彼の思い違いの悪影響はかなり入り組んだものになっている。
ザッカーバークという天才を巡る物語で重要な点は、このフェイスブックがスタートしてから6年で、5億人もの人々に受け入れられた、しかもだれに許可も認可も取ることもなく(真に重要な点はここだ)、ということだ。本当のストーリーは発明そのものに関してではなく、そのインヴェンションを歌わせるプラットフォームに関してだ。ザッカーバーグはそのプラットフォームを発明していない。彼はそれを組み立てるハッカーであり、彼は賞賛を受けるべきだが、それと同じくらい賞賛されるべきこの物語の真のヒーローはクレジットすれされていない。ソーキンはそのことに気付いていない。
比較のため、マサチューセッツの別の起業家コンビを例にとろう。トム・ファーストとトム・スコットだ。二人は89年にブラウン大学を卒業した後、ナンタケット海峡上でボートを使ったデリバリーサービスを始めた。事業をスタートしてから迎えた最初の冬、彼らはジュースを発明した。人々はそのジュースを好きになった。ファーストとスコットは徐々にこれはビジネスチャンスかもしれないと気づき始めた。ナンタケットネクターはそうして誕生した。二人はそのジュースの流通獲得のための長くつらい戦いを始めた。オーシャン・スプレーが彼らの会社を買収し、その後キャドベリー・シュウェップス社が買収した。
それぞれの段階で、顧客に欲しい商品を届ける過程で、二人のトムは他人の認可を必要とした。彼らは工場を持つために製造業者から認可が必要だったし、流通業者のネットワークにいれてもらうのに彼らの認可を求めねばならなかった。さらに店舗からの認可も実際にカスタマーに彼らの商品を届けるために必要であった。最初の原初的アイデアを思いついて実際に顧客にそれを届けるまでの間はつらく長い道のりであった。彼らはそれに耐え、成功を収めた。しかし、多くの人が同じような挑戦をし、失敗を重ねている。合理的な理由がある場合もあればそうでない場合もある。
ザッカーバーグはそのような抵抗にはあっていない。彼は千ドル以下で、彼のアイデアをインターネット上に実践してみせた。そのサービスを始めるに当たって、彼はプロバイダに認可を求める必要もなかった。ハーバードの学生にそのサービスを提供するための認可も学校側に求める必要も無かった。イェール、プリンストン、スタンフォードでも同様だし、その他全ての彼が招待したコミュニティに対しても同じことが言える。なぜならインターネットのプラットフォームがオープンで自由だからだ。今日の言葉で言えば、それがニュートラル(中立的な)ネットワークであるからであり、それが10億のザッカーバーク予備軍たちに新しい開発に取り組む機会を与えてくれるものであるからだ。そしてその製品が市場に達するためには仲間たちの存在も重要であったが、このプラットフォームの上では、実現可能性を証明するためのコストは劇的に下がった。最早、あなたは自身のアイデアをインターネットでデべロップするためにザッカーバーグのようにテクノロジーの天才である必要はない。世界中のウェブサイトが最上のアイデアを補完するためにハイクオリティのプログラミングをどこからでも運んでくれる。このプラットフォームは民主的なイノベーションを可能にする。-インターネットというプラットフォーム上に出現したフェイスブックというプラットフォーム上でそれは可能になる。例えばフェイスブックの共同ファウンダー、クリス・ヒュージがオバマ大統領誕生のために最も重要なデジタル運動を組織し、映画の中のけちな悪役であるショーン・パーカーは非営利の社会活動をサポートするための最も重要なツール、Causesを組織したというような。
この映画の悲劇は、実際にこの映画を観る全ての人がこのポイントを見逃すだろうということだ。映画を観終わり外に出ようとする全ての人がこのインターネットの天才を理解するだろう。しかし、ほとんど全ての人がここでは真の天才を観ることはない。そして我々が二つの驚嘆すべきもの -ザッカーバーグとインターネット- が作り上げた製品を賞賛する時、為政者たちは、古い世界の既得権益者と共にこの素晴らしい成功が起こる条件を排除しようと企てるだろう。それゆえこの映画は悲劇なのだ。ネットの中立性が不名誉に傷つけられ、軽々しく手放されるとき、-それが政権によって守られると約束されていようとも- 明日のザッカーバーグたちが手に出来るチャンスは減っていくだろう。もしそうなったら、我々は成功が認可に依存する世界へと戻らなければならないだろう。認可の他、特権階級、インサイダーたちに成功が依存した世界だ。それは次の素晴らしいアイデアを開発していこうという魂がより少ない世界だ。
(ナイーブに、疑いも無く)私はいつもこの点が映画作家たちにとって自明のものであってほしいと願ってきた。イノベーションの分野が愚かな判決によって映画が受けてきた以上に苦しめられることのないように。大勢の監督は、彼らのクリエイティビティが訴訟起こし屋によって損なわれないように怯えながら気をつけてきた。私はずっと、彼ら映画作家がインターネットにおけるクリエイティビティの倫理観を理解してほしいと思ってきた。そこではクリエイターは直接オーディエンスに語りかけることができ、オーディエンスがステージに立ち、問いかけ返すことができる場所だ。彼らはそこから何かを得るだろう。そしてもし、彼らがその意義を理解し、その理解を映画を通じて示すチャンスがれば。確かに、私はこの映画を準備不足だとレビューの最初で非難したが、ソーキンのドラマ、ザ・ホワイトハウスのマニアである私は、全てのハリウッドのストーリーテラーの中で、ソーキンが最も理解していそうだと思っていたのに。
彼はわかっていなかった。彼の映画はその理解を示さなかった。この映画には観る価値がある。しかし、この映画は、イノベーションのための、我々の歴史の中で最も重要な社会的、経済的プラットフォームへの理解を見せなかった。
ザッカーバーグは我々の時代の正当なヒーローだ。私は自分の子供たちにも彼を賞賛して欲しいと思う。彼の名誉のため、ソーキンは彼に真の本質の部分を表すようなくだりを彼に与えた。双子の訴訟への応答の中で、彼はこう尋ねた。「本当の良い椅子を作る男が、過去に椅子を作った男に支払い義務があるのか?」そして、フェイスブックのオーナーシップを譲渡したパートナーに対しては、「お前はこの会社のトップで、お前がダメなビジネスを自分の会社で展開したという理由で、お前はオレを非難するのか?」ザッカーバーグをよく知る友人たちはこの洞察は常識であると言う。ザッカーバーグの側近は、この映画によってせっかくのブランドに傷がつくことを恐れているだろう。彼はそれら側近の言うことはあまり真に受けるべきではないだろう。私がティーンエイジャーと20代でいっぱいになった映画館で周囲を見渡したとき、正しいのが誰かを疑うものはなかった。ただ、それがいささか変で不恰好で悲しい存在だったとしても。この新世界を判断するのは彼ら若い世代だ。もしそうなら、我々はこの新世界を繁栄させ続けることができるだろう。
ローレンス・レッシグはハーバード大学法学部の教授であり、エドモンド・J・サフラファウンデーション、センターオブエシックスのディレクターです。
ローレンス・レッシグの著作