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今作品は、福島県の双葉郡出身の佐藤武光監督によるドキュメンタリー映画。
故郷が警戒区域に指定され、用意に出入りのできなくなってしまった故郷と、同郷出身の人々を追いかけた作品です。
佐藤武光監督は、僕が行っていた映画学校の講師をされていた方で(担任ではなかったのですが)、人柄を知っていることもあり、他の震災を題材にしたドキュメンタリーよりも多少感情移入が働きましたが、幾分そうした気持ちを差し引いても見る価値の高い作品であったと思います。佐藤監督は今村昌平の弟子にあたる方ですが、今村監督のように「まず人間ありき」という映画製作に対する姿勢がこの作品からも見て取れます。
冒頭、防護服に身を包んだ監督が道路の検問で警官を押し問答するところから映画は始まります。映画監督として取材に行く、というよりも故郷に戻るという単純な行為すら難しくなってしまったという現実。
その検問を突破した後には、壊れ果てた故郷の姿。車で向かうにも限界があるほど。
その後監督は、散り散りに避難している同郷の人たちを訪ねてインタビューしていきます。そこで語られるのは、将来への不安、避難所生活へのストレスだけでなく、分断されてしまったコミュニティの自治の難しさ。そして故郷への思い。
最も秀逸なエピソードは、同郷出身のフォークシンガーの門馬よし彦さんとともに行く「墓参り」のシーンです。墓といっても墓地は津波によって破壊されてしまっているのですが。
福島原発が目視で確認できるほどの距離にあるその墓地で、門馬さんは家の墓の跡地からお祖父さんの骨を発見します。お祖母さんに電話して持って帰ろうか?と訪ねるのですが、彼女は飛ばされないようにしっかり埋めておけと言います。原発のすぐ近くだろうとそこに安らかに眠っているのを起こすな、ということでしょうか。
こうして墓参りに行くだけでも相当の苦労と覚悟が必要になってしまった福島は、地理的な分断だけでなく時間的にも過去と分断されてしまったのでだな、と実感させれらます。双葉の人間は、岩城、猪苗代、郡山、それから埼玉とバラバラに避難してコミュニティとしても分断されている状態。
こうした人が立ち入れなくなった、「汚染地帯」に行ってでも人間がしたいことって墓参りのような非合理なことなんですね。人間ってやっぱ合理的なマインドだけでは生きていけない生物なんですね。
時折、過剰にセンチな音楽をつけてしまったり、安っぽい演出が入ってしまうのはいただけないのですが、故郷を奪われた人々の生の声を記録した貴重な作品です。
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