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スコセッシによる映画を楽しむお祭り。「ヒューゴの不思議な発明」

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Via http://www.hugo-movie.jp/

巨匠マーティン・スコセッシによる映画トリックの創始者、ジョルジュ・メリエスへのオマージュ映画ですね。
巨匠が3Dに挑んだ、という点でも話題を集めていましたが、この映画が3Dを使って作られたのは映像技術もここまで進化した、ということを示す心意気のような感じで、

それはメリエスへのオマージュであるこの映画には、ある種必要なことだったんだろうと思います。
しかし、ヴェンダースのPinaほどには3Dによる表現の可能性を追求しているというわけではない。
この映画が3Dである必然性は、半分あって半分ない。
別に必然性がないと、3Dで作ってはいけないわけでは全然ありませんけど。

時折、遠近感を強調したいがために不必要に手前に何か物体を置きたがってしまうんですね。僕には無理してるようにも見えます。
そこでその建造物や物体が飛び出てくる意味はないだろよ、という思うようなショットがいくつか見受けられます。
あと、俯瞰による街の全景ショットは3Dのせいで(あるいはファンタジーなので狙っている可能性もあるけど)ミニチュアみたいに見えてしまっているんですね。

僕が思うにですが、この映画は一種のファンタジーですが、決してチャチな映画ではないので、ミニチュアっぽく見せる必要はないんじゃないかと。むしろ当時の趣あるパリの街をしっかり再現してくれた方が雰囲気でたんじゃないでしょうか。

ヴェンダースはこの3Dの俯瞰ショットのミニチュア感を逆手にとって効果的な表現にしていました。

一方、時計台の中のシーンの上から見下ろすカメラのショットは高さによるスケール感を出す事には成功しているとは思います。ヒューゴ少年の暮らす時計台を3Dの遠近法によって浮き上がらせているのもよかったと思います。

物語としては素敵な話ではあります。ヒューゴ少年の父親の形見である自動人形が心を閉ざしたメリエスに繋がり、映画への愛と家族の絆を描く。悪人も出てこない。スコセッシの映画なのに(笑)

こういう映画をスコセッシが撮るなんて、スコセッシも丸くなったなあ、とか思って寂しい感情もあるんですが、まあスコセッシもいい歳ですので、タクシードライバーやグッドフェローズの鋭さは鳴りを潜めていますが、これはこれでいいのかもしれません。

ジョルジュ・メリエス以外にも、時計台はロイドへのオマージュだし、鉄道列車はリュミエール兄弟へのオマージュだし、映画の歴史に詳しい人ならニヤニヤして見れる仕掛けがたくさんあります。

素直に深く考え込まずに楽しむのが正解ですね。下に貼った予告編の中でスコセッシ自身も云っていますが、これはお祭りだと。祭りは理屈抜きに楽しむのが正解です。

しかし、ヒューゴ少年は可愛いですね。ショタコン大歓喜でしょう、この映画。ヒロインの女の子よりヒューゴ君のが可愛いもんな。