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クラウドファンド出資の特典で試写会に招待されました。映画レビュー「ライク・サムワン・イン・ラブ」

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(C) mk2/eurospace

イランの巨匠、アッバス・キアロスタミ監督の新作「ライク・サムワン・イン・ラブ」の試写会に行ってきました。

今年のカンヌ国際映画祭に出品され、これが日本での初上映ということで。もしかしてカンヌ除けば世界最速かな?

この作品は、Motion Gallaryというクラウドファンディングサイトで製作資金の一部を公募していて、僕はそれで出資していたのですが、今回の試写会招待はその出資の特典の一つです。

日本最初の上映で好きな監督の作品を見れるというのは格別の優越感がありますね。映画好きにはたまらんです。

キアロスタミ監督は前作「トスカーナの贋作」からイラン国外での映画作りを初めておられて、そこにはイラン国内での映画撮影が困難になってきたことなど複雑な背景がありますが、監督の作風の幅は、本来の魅力を失うことなく広げることに成功しています。

物語は、デートクラブでバイトする女性と、彼女と出会った元社会学の教授の老人、彼女の粗野な恋人との三人を中心にした人間ドラマ。

80歳を超え、現役を引退した元大学教授のタカシは、亡妻にも似た一人の若い女性、明子をデートクラブを通して家に呼ぶ。
整えられたダイニングテーブルには、タカシによってシャンパングラスと桜海老のスープが準備されるが、まどろむ明子は手をつけようともしない。
明子はむしろ、彼女に会うために田舎から出てきた祖母と会えなかったこと、駅に置き去りにしてきたことが気にかかっている。
翌朝、明子が通う大学まで車で送ったタカシの前に、彼女の婚約者だというノリアキという青年が現れる。ノリアキはタカシを明子の祖父と勘違いする。運命の歯車が廻りだす。(プレス資料より)

海外の監督が日本を舞台に映画を作ると、異国の地を舞台にしていることを意識しすぎるからななおか。えてして「不思議な国、日本」という印象になりがちなのだが、この映画はそういう雰囲気は一切ありません。キアロスタミといえば、ドキュメンタリーと見間違えるほどのリアリティを作り出す演出に定評がある人ですから、日本の奇妙さをことさらに強調することは、あり得ない選択なんでしょう。
監督は、この映画で悲哀やちょっとした出会いからの喜び、愛憎など普遍的なものを描こうとしています。

余談ですけど、僕もアメリカに5年住んでいたのですが、アメリカでも日本でもそれぞれの文化や人間性の違いについての質問はよく受けるんですが、共通点は何か、みたいなことは滅多に質問されないですね。同じ人間なので違い以上に共通点のが本当は多いと思います。

しかしながら、東京という、イランの片田舎やトスカーナのような美しい自然と歴史的な建物の並ぶ場所とは違う雑多に多くのものがひしめき合う場所が舞台になっていることは、今までのキアロスタミ作品とは違った印象を与えます。

冒頭のバーのシーンの音の使い方はさすがキアロスタミだな、思わせる完成度で、背景に移る人々の話し声がただの「ガヤ」ではなく、突然奥のテーブルの話し声が聞こえたり、右側の友人が座るテーブルの会話が強調されたりと、緩急をつけて主人公が何か揺れている様を表しています。

あと、キアロスタミと云えば車ですが、この映画にも車の中のシーンが頻繁に登場します。明子がタカシの元へお仕事で向かう際のタクシーの中から祖母を見つめるところ、翌朝タカシが明子を大学へ送るところ、ノリアキがタカシの車に乗り込むところなど、物語の重要なドラマは車の中で起こります。
インタビューによると、監督は車の中を「そこが人々にとって一緒に共有せざるを得ない”ためらいの空間”となるから」だそうです。
確かに車の中、というのは狭いスペースを数人で共有し、車の外からは隔絶した濃密な空間です。ガラス越しに外から見えるけど聞こえない。ここでも音が重要な要素です。

メインキャストの3人はいずれも素晴らしかったですね。キアロスタミが加瀬亮をキャスティングしたのは何となくわかる気がします。彼には妙に生活感があるんですよね。映画にリアリティを与えてくれる貴重な存在です。
あと、でんでんも出演しています。最近良い仕事してますねえ。

こんな素晴らしい映画に僕の名前がクレジットされるなんて、大変光栄です。クラウドファンドに出資してよかったなと心から思います。

一般劇場公開は、今年の9月からユーロスペースにて公開とのこと。