素晴らしい。アメリカ社会の矛盾を見事に看過する快作。これがパロディですよ。社会を批評するとはこういうことですよ。
ディクテーター(独裁者)と聞くと、やはりチャップリンの傑作「チャップリンの独裁者」を思い出します。あの映画は、1939年に撮影され、1940年に公開されましたが、当時は第二次世界大戦中で、ポーランド侵攻やフランス第三共和政が陥落したのと同じ年に制作された作品です。
自分と同じ口元のチョビヒゲをトレードマークとする同い年の独裁者を痛烈に皮肉り、独裁の恐怖に対して真正面から異議申し立てをしてみせたこのコメディ映画は、映画史に残る社会批評映画でもあります。
コメディ、あるいはパロディは現実を風刺しちゃかしてみせることで、現実社会の理不尽さや不条理さを白日の元にさらす力を持っていますが、チャップリンの独裁者はそうした能力をフルに発揮した作品だったのだと思います。
思えばチャップリンの映画は独裁者に限らず、常に社会を射抜く視線を内包した作品でした。ただの軽薄な笑いではなく、社会に対する重厚なメッセージがあるからこそ彼の作る笑いは心に刺さる。
サシャ・バロン・コーエンの新作「ディクテーター 身元不明でニューヨーク」はそのタイトル通りにチャップリンの独裁者へのオマージュを強く感じさせるとともに、彼がチャップリンの系譜を受け継ぐコメディ・パロディ作家だということを証明しています。
チャップリンとヒトラーはヒゲが重要なトレードマークでしたが、この作品でもヒゲはストーリー展開の上で重要な要素になっていますし、独裁者が浮浪者になっていしまう、という展開もチャップリンが浮浪者の役を得意としていたこととも関係あるでしょう。独裁者は床屋が独裁者に勘違いされるという展開でしたが、このディクテーターは、独裁者が浮浪者になってしまうという逆パターンをいっています。
最後の演説も独裁者を彷彿とさせますね。真正面から平和と共存と愛と訴えるチャップリンの逆をいくかのように、独裁の素晴らしさを訴えて、それがむしろどこの国をさしているかというとアメリカだったりしています。
独裁は素晴らしい。独裁国家は99%の連中から富を巻き上げて1%に独占させることができるし、言いがかりを吹っかけて戦争だって起こせる、などと言い放ち民主主義を大義名分にした独裁国家アメリカに対して強烈な皮肉っています。
そうした直接的なアメリカ批判の他にも石油利権によって世界を動かす重要な決定がなされていく様や、アメリカ型の自由を重んじる精神がどんな荒廃を生んでいるのかについても、この映画は皮肉っています。
ヒゲを失ってある女性に助けられたアラジーン将軍は、彼女が店長を努めるオーガニック商品を扱うスーパーで働くのですが、ここはヒッピー的な自由を重んじる精神で経営されているようで、店員の態度がもうめちゃくちゃなんです。レジの金を盗むやつもいるし、コミュニケーションとれない奴はいるし、全然オーガナイズされてないんですね。それがアラジーンという独裁者が経営を仕切りだしたとたん、秩序が回復して経営状態も回復します。
アメリカの独裁主義的な側面を批判する一方で、自由主義の行き過ぎもまたこの映画はまた批判しているようにも見えます。自由を尊重する結果、自由を保証するコミュニティそのものが破壊されている。それどこのインターネット?みたいな。この映画はアメリカの政府を批判するだけでなく、自由を旗頭に何をしてもいいという風潮をよしとするアメリカの一般の国民そのものも実は皮肉っているんじゃないでしょうか。
自由が大事だというが、結局上手くコントロールもできずに自分たちを苦しめている。それでも自由が大事なのか、と。
過激で下品なギャグを用いながら、実はすごい知的な作品ですね、これは。
そして非常に勇気ある作品です。アメリカ映画でここまで現代アメリカを徹底的に批判した作品があったでしょうか。
サシャ・バロン・コーエンは天才ですね。今年一番知的な映画かもしれない、これは。
公式サイト
映画『ディクテーター 身元不明でニューヨーク』公式サイト
予告編
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