本の帯の力強いメッセージと顔が示すようにこの本は、津田サンなりの日本の政治の行き詰まりと世間の無関心に対する「抵抗の書」です。
国内・国外のウェブとソーシャルメディアが政治の世界にもたらした動きをわかりやすくまとめ、ウェブが実際に政治にどのような影響を及ぼすのか、ポジティブな面もネガティブな面も網羅しつつ、6:4くらいの絶妙の割合で前向きな展望を読者に示すような、そんな感じの本ですね。
政治的無関心が引き起こす自分たちの生活を脅かすことになるかもしれないことを津田さん自身の著作権に関わる体験から引き出し、ウェブとソーシャルメディアにより新しいデモ、ネット選挙運動解禁の是非やガバメント2.0の取り組みなど、多角的にウェブがどのように政治に関わり得るのかについて詳細に論じられています。
ネット世論の限界
さて、6:4で前向きな展望、と書きましたが、ウェブにやり得ることには限界があることもこの本は示しています。曰くウェブで作り上げれる世論の大きさには限界があるということです。インターネットがこれだけ普及し、多くの人がTwitterやフェイスブックで自分の意見を表明してもなお、ネットによる世論形成が具体的に政治に与える影響は非常に限定的です。それは実際インターネットに深く関わっている人には実感できる点ではないでしょうか。
本書の中では、菅原准教授の言葉を引用して、有権者の数を分母として考えれば、ネットの意見は「ネット世論」といえるほとの規模ではなく、「ネット小言」に過ぎず限定的な影響しかないとしています。
政治を動かす、とはストレートに解釈すれば人々の政治への関心を高め、熟議の機会を多くし、投票という行動で意思表明を増やす、ということになるのだと思います。ネットの世論形成が限定的だとすればウェブだけで「動かす」のは難しそうです。
ウェブではなくこの国の世論に一番大きな影響力を与えているメディアは何でしょうか、と問いかけたら100人中100人がテレビと答えるのではないでしょうか。視聴時間の低下が叫ばれ、メディアの王様としての地位は少しずつ揺らいでいるとは言え、1%の視聴率の変動が100万人に影響を与えると云われる世界ですから、政治に関する世論も事実上、テレビのさじ加減1つで大きく変わり、ネット小言の影響力とは比べるべくもない。
おそらく、ウェブで政治を動かす、というのは日本の場合、具体的にはウェブでテレビの報道を変える、ということになるのではないかと思います。
一般にインターネットに親和性が高いのは若い世代であることは異論がないでしょう。若い人ほどテレビを見る時間は少なく、変わりにPCやモバイルからインターネットに触れる機会が多い傾向にあるというのは様々なデータで裏付けられています。そうした若い人の政治への関心を惹起するためにもインターネットの活用がもっとなされるべきという議論は100%正しいわけですが、その実日本は世界でも最も高齢化の進んだ社会の一つであり、若い有権者がどれほど政治への関心を持ってくれても、若い有権者の数自体が少ないわけですね。
・「選挙で若者が大損する」—投票者の平均年齢は57歳(AERAより) (イケダハヤト) – BLOGOS(ブロゴス)
・若者が選挙に行かないとどれだけヤバイのかが一目で分かるシンプルなデータ(BUZZAP!) – 政治 – livedoor ニュース
この記事では、20〜29歳は有権者の13%を占めるにすぎず、30〜39歳も16%と若い世代の有権者はこれだけでも29%でしかありません。
29%が動けば、全体の結果にも大きな影響を与えるでしょうが、なんだかんだ云っても数では高齢者の上なので今の日本。そして高齢者に影響を与えているのは、ソーシャルメディアではなくテレビです。いや、若い人が耽溺するソーシャルメディアに流れる情報でさえ、一次情報はテレビなどのマスメディアだったりすることはとても多い。
世論を作るテレビを変えろ
本書でもソーシャルメディアとマスメディアの連携によって変わる情報化社会について第3章で論じていますが、既存のマスメディアの影響力の大きさと情報を精査する能力は大きく、その世論形成力はソーシャルメディアの比ではないわけです。
ウィキリークスを例に挙げて論じられていますが、ソーシャルメディアが影響力を発揮する局面はマスメディアとの関係性において発揮されます。プロの手によるマスメディア情報に多様な視点を提供し、多角的な分析を行う時、紙面が時間の都合で、取り上げられない情報に価値を見いだす時、そしてマスメディアの情報源として。
ソーシャルメディアはその意味で、日本においても間接的に社会に大きな影響を与えうる可能性はあり得るでしょう。ウェブによる活動で直接政治の全体的な傾向を変えるよりも現実的には、ウェブによってテレビを始めとするマスメディアに影響を与える方が現実の解としてはリアリティがあるんじゃないか。
というのもテレビ業界はなんだかんだ言ってソーシャルメディアとインターネットを相当に意識していて、様々な連携を模索しているのです。その拡散力とエンゲージメント力しかり、ネタの供給源として、そして視聴率とは別の指標となる可能性として。
報道番組もNHK以外は視聴率によって評価されます。視聴率の%は内容の善し悪しは深さを示す尺度ではなく、およその数でどれほどの人が視聴したかのボリュームを表します。
ボリュームでしか評価されないのはPVでしか評価されないネットメディアと同じで、内容の向上は難しいのです。
ビデオリサーチさんがTwitter上のテレビ番組指標に着手というニュースがありましたが、そうした試みは報道なニュースというジャンルでこそ威力を発揮するでしょう。ニュースの内容はどうであったのか、参考になる内容が多かったのか、偏向気味だったのかそうなのかの質の指標がテレビ番組の評価に加われば自ずと今のニュース番組作りとは自然と変わってくるでしょう。
ビデオリサーチ Twitter上の指標整備に着手 - Twitter Japan協力のもと、統一取得ルールによるテレビ番組指標を検討 -
そして、2012年は日本のテレビ局も(昨年の震災を経て)その重い腰をあげソーシャルメディアをどう活用していくのか、様々な試みがなされました。
報道番組で云えばニュースWEB24やワールド・ビジネス・サテライトなどが積極的にソーシャルメディアとの連携をしかけた番組作りをしています。BSフジのザ・コンパスという番組はソーシャルメディアからのオピニオンを中心として番組作りをしていますし、ニコニコにチャンネルも持っていますね。
テレビがソーシャルメディアからの意見をマッシュアップし、それが全国区の放送として流れことがあれば、それは間接的にウェブが世論形成に影響を与えることになります。
テレビとソーシャルメディアの間にウィキリークスが仕掛けるような「協調関係」を生み出すことができればウェブで政治を動かすことは可能ではないかとも思います。
ウェブやソーシャルメディアで100万人に影響を与えることは大変困難です。1400とか1500とはツイートされてもブログのPVは5万とか6万とかの世界です。しかし、テレビを通じればそれは不可能ではないのです。
その際注意したい点は、木を見て森を見ずのような状況にテレビが陥らないようにすることでしょう。広く問題の全体像(森)を上手くテレビは提示して、その問題の細かなディテールをソーシャルメディアが掘り下げるような関係が一番のぞましい。
本書で触れられている例で云えば、オバマとロムニーのテレビ討論会は、森を提示するテレビと細かく木を見つめるソーシャルメディアの連携が比較的上手く云っていたのではないと思います。
国のトップになろうという良候補が議論を付くし、国が目指すべき方向性を指し示すための議論をする中で、Twitterではファクトチェッカーたちが、両候補の各意見を細かく精査し、真偽を確かめハッシュタグをつけてリアルタイムに提示し続けた。
大統領候補のディベートという、全体をどうするかの議論を森として見せるテレビと、森の中の木々の健全性を細かくチェックするソーシャルメディアという連携がたしかに存在していました。
(最も、あの討論の放送中、関連するツイートの数は1000万を超えていたのですが、その中で本当に有用な情報がどれだけあったかというと、結構微妙な気持ちになる数だとは思いますが。ファクトチェックも盛り上がりましたが、それより司会がヒドいという話題やBigbirdの方が盛り上がってた気もします)
討論はまだ見れます。ツイートは表示されませんが。
ウェブで政治を動かす、というフレーズにピンと来ない人もいるのではないかと思います。僕も直接ウェブを動かせるとは思いません。しかし、テレビという強力な協力者があれば間接的に変えることは可能かもしれないと思うのです。
いずれにしても肝心なのは有権者一人々々の行動ですし、ソーシャルメディアがテレビに影響を与えるためにはユーザーが作り出すUGCの世界が質の高いものである必要があります。
いずれにしてもボールは持っているのは、我々ということですね。
ということで明日は選挙に行ってきます。