児童ポルノ禁止法改正案が5月29日に衆議院に提出され、波紋を呼んでいます。
すでに各所(ネットの各所ではね)で言われていることですが、この改正法案の大きな問題点は以下の3つ。
- 単純所持の処罰による法の濫用の危険性
- 透明性の低い立法プロセス(違法ダウンロード刑事罰化の時のような)
- マンガやアニメを含む創作物への規制
この3つの問題点の何がどう問題なのかは以下の記事がわかりやすくまとめていますの。
「漫画・アニメ」も視野に入れた「児童ポルノ禁止法改正案」の問題点とは?|弁護士ドットコムトピックス
それぞれの問題点に関しては、上記の弁護士ドットコムの記事を参照していただきたいと思うのですが、3つのうち僕自身が一番関心のある3つめの創作物への規制に関して私見を書いてみようと思います。
表現規制と児童ポルノの線引き問題
3番目の問題に絞ってこの問題を考える時、この議論を「児童ポルノ」問題と呼称することが適切なのかどうかから始めないといけません。児童ポルノを禁止する目的は、当然子供の安全と権利を保護するためです。この観点からいうと、実写の児童ポルノには実際に被害に合った児童がいるから当然禁止の対象になりますが、創作物には具体的に被害に遭った児童は存在しません。直接児童の被害を減らすことに貢献しない創作物の規制を児童ポルノ禁止法盛り込む事自体おかしなことだというのが僕自身の見解で、これは多くの人が指摘していることです。
その意味でこのエントリも児童ポルノに関する記事ではないと言った方がいいかもしれません。ここはきちんと線引きをして議論しないといけない部分ですね。
改正法案の具体的に問題ある項目は、附則の2条の『児童ポルノに類する漫画等』を調査対象研究とするという点にあるわけですが、なぜこういう文言がこの改正法案に入っているのか考えないといけません。
これはグローバリズムの圧力なのか
日本のマンガやアニメ作品の少女性を協調した表現の一部が海外では児童ポルノに類する表現であると見なされていることは、ネットでもよく知られた事実だと思います。政治家の一部の人たちはそうした「グローバルスタンダード」に、日本のサブカルチャーを「適合」させたいと考えているんでしょう。
やまもといちろうさんがこの問題を文化衝突と表現しているのですが、それは本当にその通りだと思います。
EUの人たちと話してると、日本の本屋で児童ポルノ絵の本が売られてるというので、何だろう、そんなわけねえだろと思ってたらライトノベルのちょっとえっちい表紙絵なんですよね。あれでアウトなの? と毒される私は鯨肉を喰って何の疑問も覚えない側の人間なんでしょうね。ええ。
僕自身、創作物を児童ポルノの枠組みで規制するのはもちろん反対です。しかし、海外ではそうした表現をクレイジーと見なされているのも事実。日本は日本、他国は他国と言って済めばいい話ですが、それで済まないのがグローバリズムの時代。カルチャーとカルチャーは争って生き残れなければ死ぬしかない酷薄な時代になっています。
もちろん、現在のそうした日本のマンガやアニメが海外の一部のマニアには熱狂的に受け入れられているわけですけど、圧倒的にマイナーな勢力であって、マジョリティはそれを異様な視点で見ているのが現状。(性表現があるからというだけじゃなく、目がデカすぎる時点でクレイジーと言われることもあるわけですが)
これ以上の規制が進めばクールジャパン推進どころではない、と思う一方、一般の本屋で堂々とエロ表現が広く陳列されているような状態ではそういう海外では奇異と見なされる表現が「メジャー」を言っている状態でもクールジャパンもクソもないと思うんですね、僕は。繰り返しますが、だから規制したら、ただちに世界のスタンダードに乗っかれるわけでななく、そんな単純に解決しませんが。
性表現が作品の質を高めるのか、低くしているのか
「パパのいうことを聞きなさい!(通称パパ聞き)」というライトノベルを中心としたメディアミックス作品があります。
この作品は、両親を事故で失った3姉妹を叔父の大学生が、バラバラに親戚に引き取られるのを見かねて、自分で3姉妹を引き取る物語。作品全体のテーマは家族の絆で、1人暮らしの大学生が中学生、小学生、幼稚園児の3人の子供を養うために頑張る姿は胸を撃つし、3姉妹の健気さもとても感動的。ただ、この作品、そのテーマとは別に少女たちの性的な表現も頻繁に出てくる作品で、マンガなどはちょっと電車内とか公共の場では読めないレベル。
僕はこの作品、メインテーマに沿ったストーリーだけで、十分魅力的な作品だと思いますが、なぜか中学生や小学生の着替えや入浴シーンがたくさんでてきます。結果、人にオススメしたくてもできない。読者を満足させるには十分に力のある物語とキャラクターが揃っていると思うんですが。。。ああいう描写がないとやはり売れないんでしょうか。
とても普遍的で魅力的な物語(家族がテーマがやはりどの国いっても通用する強いテーマ)なのに、その性描写のせいで損してるように見える作品です。それこそ日本のマンガやアニメの素晴らしい情緒があるのですが、アメリカの友人に紹介しようと思ってもムリです。
東浩紀さん風にいうとそうした子供と大人が、そして性と文化が渾然一体となってるのが日本文化のストロングポイントだというのも理解できますが、そのせいで素晴らしいストーリーを世界に誤解されるのもまた悲しいことだなと思うのです。
でもホントに(ロリ方向に寄った)性描写なくして売れないものですか、日本のサブカルというのは。
これも私見ですが、物語は定型に当てはめて、萌え絵を挿絵にしといて、適当にエロ描写ちりばめればある程度売れるよね、みたいな態度で作ってる作品もたくさんあるんじゃないでしょうか。そしてそういう作品が市場のメインストリームを席巻しているのははたして多様性を担保できていると言えるのどうか。性表現は安易に表現されるべきではないが、性表現が跋扈して他の表現を抑圧しているのでは意味がない。作家たちは性表現を表現したくてやっているのか、市場の圧力でやらされているのか、どっちなんでしょう。
パパ聞きを例にだしましたが、僕の大好きな「とある魔術の禁書目録」だってそうです。(なんでインデックスは修道服の下、何も付けてないんだ。リアルにおかしい)
余計な(あえて「余計な」とつけますが)性表現の入る余地のなかったロシア編三部作が一番面白かったと思うんですが、どうなんですかね。
表現規制の話から大分それていきましたが、日本国内の市場が縮小する中、日本のカルチャー産業を守るためには市場を世界に拡大しないといけない事情もあるというのも事実です。規模が小さくなれば潰れるものもでてくるんだから。
クールジャパン推進とこの改正法案が連動している感じはあんまりしませんが、同じタイミングで出てきているのは、ただ偶然かというとそうでもないような気がします。
そういう意味でも日本は日本、他国は他国、と言うだけでは解決しない複雑な問題です。グローバリズムによる文化衝突は残酷です。しかし日本だけ穴ごもりするという選択肢はないのです。
表現規制には声を大きくして反対します。それで誰を守ることもできないし、世界に通用する作品を作れるようになるわけでもないので。
一方で何かを変えていかなければいけない(変えるしかない、の方が正確か)という想いを横に携えつつ。
【追記】
児童ポルノ問題についての続編を書いていますので、合わせてお読みいただけると幸いです。
【児童ポルノ改正法案問題】社会倫理と表現規制の先行事例としてハリウッドのヘイズコードを再考してみる
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