映画館にわざわざ足を運んで、高い料金を払うのは、そこでしか味わえない体験があるからだと信じているからなのですが、この作品ほどそれを実感させてくれるものはないのではないでしょうか。その意味で「ゼロ・グラビティ」は歴史に残る偉業を成し遂げたと言えます。
物語は至ってシンプル。宇宙飛行士が宇宙空間で事故に巻き込まれ、何もない宇宙に放り出されて、なんとか地球に生還するというもの。文字に書き起してしまえば特別感はほとんどなく、むしろよくあるパターンでしかないかもしれない。
しかし、映画館で味わう体験は、文字に起こせないものほど高い価値がある。スマホを開けば本でもブログでもTwitterでも文字は腐るほどに溢れています。そこに回収可能な体験ではない何かがこの作品の魅力の核。
それが何なのかを、文字ベースであるブログで書こうとする試みは、予め不成功が約束されています。ならば写真を動画を使えばいいと思われるかもしれませんが、文字のみの表現よりは多少成功率が高まるかもしれませんが、映画館という、静寂で真っ暗な場所で、3Dという(IMAXならなお良い)技術の上でなくては与えることのできない感覚が前編を覆い尽くしている作品なので、ネットではどれだけ手を尽くしても語りきれないでしょう。
この体験が可能なのは映画館が外界からシャットアウトされた空間であることが大きい。映画館の鑑賞環境そのものが宇宙のメタファー。眼前にはサンドラ・ブロック演じるライアン・ストーンが見ているような真っ暗闇の宇宙とデブリと美しい地球のみ、という条件にどれだけ近づけるかでこの映画の感動が変わってくる。
自宅にどれだけ巨大な3Dテレビを所有していてもリビングという日常空間ではなかなか実現するのが難しい。スマホやタブレットでは、全く無理。
3D技術も、この映画の実現のために3Dは生まれたのか、と思ってしまうほどに作品演出上欠かせないものになっている。飛び出すことの驚きを超えて、スクリーンの世界への没入感を増幅させるために技術として3Dが非常に効果的に使用されている。
【本田雅一のAVTrends】「ゼロ・グラビティ」に見る新しい3D映画の可能性 – AV Watch
「出演者二人が宇宙空間の中で手を握り合うシーンがあります。ここはセリフや演技力ではなく、映像そのもので物語性を表現せねばならないところです。宇宙服を着ています。3Dでなければ、その感情を伝えにくい。それまでの間、ふたりが離れ、ぶつかり、様々な経緯の中で再び近付いて手が触れる。その瞬間、手袋が触れるところがしっかりと現実感を持って描かれるようにしたい。」
とアルフォンソ・キュアロン監督も語るように3Dの立体感を用いて、感情を表現することに成功しています。ジョージ・クルーニー演じるマット・コワルスキーが徐々に宇宙の彼方に離れていってしまう時の心細さと絶望感。コワルスキーと離れる距離感、地球との距離感、頼みの綱の宇宙ステーションとの距離。それら全てとの距離が感情を揺さぶる。その感情を3Dが最大限に表現している。
思えば映画館での映画鑑賞は、友人と一緒に行っても鑑賞中は1人で映画の世界に向き合うことになる。サンドラ・ブロックがほとんど1人で真っ暗闇の宇宙と対峙することに似ているかもしれない。自然な3Dの臨場感を伴ったあの映像を浴びているうちに知らず知らずのうちに感情移入をしてしまう。
ゼロ・グラビティは映画館で消費するために作られた作品。映画館で映画を見なくてもBDでオンデマンドでいつでも便利に見られる時代に映画館の存在意義を改めて強く問い直す作品です。できればIMAXかドルビー・アトモスの最高クラスの環境で鑑賞してほしい。
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