『ネットの闇』はすでに使い古されたフレーズになりました。なぜならネットに闇がるのは当たり前のこととして定着したからです。僕らは日々ネットを舞台に起こる、不可解な事件を見聞きしています。最近の日本では、遠隔操作事件を巡る騒動は顕著でしょうか。
映画『ディス/コネクト』は、インターネットを通じて関わりを持った人々の、事件に遭遇する様を描く群像劇。映画は3つのエピソードを描きますが、それぞれが交わることなく同時進行で見せていきます。ソーシャルメディアによるイジメで自殺に追い込まれる少年の家族と加害者家族のエピソード、アダルトチャットで稼ぐ少年と彼を取材する女性リポーター、チャットで個人情報を盗まれ破産寸前になる夫婦。
脚本の秀逸さは、それぞれの事件が人間関係を引き裂いていくという見せ方にせず、むしろ壊れた人間関係が事件によって修復されていく過程を描いている点。ネットをきっかけに痛ましい事件が起きますが、事件によって可視化されなければ、それぞれの家族はバラバラなままだったかもしれない。その点でこの作品は、「ネットの闇に堕ちる人々」、や「ネット悪玉論」のような単純な視点で描かれていません。ネットにはイジメも犯罪も様々ある、しかし救いもないわけでない。結局のところそこには、リアルと地続きの人間の営みがあるということをエモーショナルに描いています。
映画の中ではネットコミュニケーションが当たり前の風景として描かれます。登場人物たちはリアルでの顔とネットでの顔を当然のように使い分けています。ドキュメンタリー出身のヘンリー=アレックス・ルビン監督のゆれるカメラと覗き込むようなアングルは、物語に十分なリアリティを与えています。子どもの死をきっかけに関係の冷えた夫婦の妻は、その孤独をチャットで癒し、音楽好きの少年はネットに自身の感性に共感してくれた女性に思いを寄せる。そうした心の隙間を埋めるツールとしてネットが当たり前に利用されています。そして事件はその隙をつくように起きます。少年が思いを寄せた女性は同級生の成り済ましで、チャットの夫婦は個人情報を抜かれカード情報も口座情報も抜かれてしまいます。
これらの事件を巡る人々はいちように身近な人間のことをわかっていません。チャット被害にあった夫婦の夫は、事件があって、初めて妻の苦悩に触れ、自殺した少年の父親は彼の孤独を初めて知ることになります。そして少年を自殺に追い込んだ加害者の家族も同様。成り済ましアカウントのメッセージにも一部に本音が滲み出ていて、その孤独感は被害者の少年ともどこか通底しています。(だからこそ成り済ましを見抜けないリアリティがあったとも言えるかもしれません)
チャット被害の夫婦も、たしかに金銭的に大きな被害を被りますが、子どもが死んだ悲しみに心が折れそうな妻をギリギリ支えたのはチャットでのコミュニケーションでした。
自殺した少年と加害者の少年は、ともに父親との関係で悩んでいます。異なる出会い方をしていれば彼らは友人になれたのかもしれません。あのような歪んだ形で出会ってしまったのは、ネットよりも現実の人間関係の中にも原因があるかもしれません。(フライという、いつもつるんでいる悪ガキとか)
この映画は、ネットの闇が人間関係を引き裂く様を描いたのではありません。ネットには絶望もあれば救いもほのかにある。本音も嘘も混在していし、詐欺もあれば思いやりもある。ようするに人間の営みなのだ、ということなのですね。
ちなみにアレックス・ルビン監督の前作「マーダーボール」にも出演していた車椅子ラグビーアメリカ代表のマーク・ズーパンがカメオ出演しています。一瞬だけの出番ですが、彼の風貌はやはり目立ちますね。
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