危ない映画だ。内容がスキャンダラスというのもあるが、見る人の人生経験やジェンダー観を暴きだされるような思いをする。夫婦の物語だが、キャッチコピー「本当に大切なものはいつも失って初めてわかる」に惹かれて夫婦で一緒に見に行かない方がいい。倦怠期を迎えた夫婦が「そうか、大切なものがわかるのか」と見に行った結果、かろうじて繋ぎ止められていた夫婦の絆がプツンと切れても、映画は責任を取ってくれないので。
巧みな物語展開で2時間28分の長丁場を釘付けにされる、一瞬も気を抜かせないデビッド・フィンチャーの画面作りはさすがという他なく、さすがは現代ハリウッド随一の名監督といったところ。主演女優ロザムンド・パイクはオスカーノミネートも噂されているが、それも納得の名演。常に仏頂面な(それがこの映画ではいい味になってるけど)ベン・アフレックとは対照的にいろんな顔を見せてくれる。
この映画の主人公である夫婦、ニック(ベン・アフレック)とエイミー(ロザムンド・パイク)は結婚5年目の夫婦。ニックは一見なにを考えているかわからないタイプの男。妻のエイミーは人によって印象の異なる人物。夫にとっては自分よりクレバーだから劣等感を感じる存在。両親(特に母親)にとっては「完璧なエイミー」近所の主婦友達からは、夫との関係に悩む女。どちらの視点にたって物語を見るかで大きく印象の異なる作品のようだ。特に男女間でそれは顕著に現れそう。
男である筆者はどう見たか。映画をご覧になった方ならわかるだろうが、男にはエイミーに共感しながら見るのは困難だろう。エイミーにとって夫(とその他の男性も)は、理想の自分を叶えるための道具に過ぎない。
なので専ら「夫婦生活というステージ」で、「世間」という観客に向けてそれぞれの理想像を演じる業の深さと、「第三者からみたら完璧なハッピーエンド、だけど当事者からしたら地獄」というバッドエンドの奥深さに注目した。上映時間も長いし、情報量がとても多い作品なので、それぞれ心を掴まれるポイントは同じ男性でも違うかもしれないが。
女性と一緒に見に行ったのだが、彼女はエイミーとその母親との関係に注目していた。たしかにそこも作品上重要な点として描かれていたのに観賞後にそこに考えが及んでいなかった。女性視点ではそこにまず目がいくものなのかと感心した。
彼女の主張は、おおよそこの記事に書かれていることを同じことを言っていた。女性のブロガーによる同作のレビューだが、主に母親に異常性とそれが娘の人生を決定づけてしまったという点について書いている。
ゴーン・ガール/他人が”わたし”を創り出す | 映画感想 * FRAGILE
失踪1日めにして専用ダイヤルや独自ドメインを取得し、ポスターを作り、ボランティアを集め捜索本部を置くエイミーの母親は、この物語の中で最も異常だ。
エイミーはわかっていただろう、自分が失踪したら、母親がどういう行動を取るのか。
それから同記事の、このポイントも男女でかなり印象の異なるシーンかもしれない。
あ、そうそう、デジーの別荘で見たニックの記者会見が”良かった”からエイミーは家に戻ったわけじゃないよね。復讐プランを変えなくてはいけないのに、あそこにいたら全く身動きが取れないからでしょう。
もしかしたら男女で印象が異なるわけではなく、恋愛や夫婦関係についてどこまで「ナイーブか」で印象が異なるのかもしれない。
実は、筆者自身はエイミーがなんらかニックのことを見直したのかと思った。(あとから素直な反応すぎると反省もした)「君の喜びそうなことばかり言った」と言ったニックに、「それだけ私のことをわかってるってことじゃない」と返していたので、ああ何かを感じ取ったのかな、と。そして改めてニックを支配したいという欲望につながったのかな、と。
しかし、同記事の最後の指摘「エイミーが本当に復讐したかった相手は、母親なのではないか。」が正しいとすると、主人公の1人であるニックは、実は蚊帳の外ということになる。つまり眼中にないと。そんな風に相手にされていないのだ、と思うとやはり男からすると圧倒的に残酷だから、そう思いたくないかもしれない。
主人公だと思っていた夫のニックはむしろエイミーの復讐劇の小道具にすぎなかったということだから。
・・・いつか結婚することがあっても小道具扱いはイヤだな。
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