昨日、PFFの特別プログラムで山戸結希監督の「おとぎ話みたい」をようやく観る機会を得た。山戸監督は作品の「5つ数えれば君の夢」で初めて作品を見て、すごいセンスを感じたのだが、本作も素晴らしい作品だった。テクニカルな部分では粗い部分のたくさんある作品だが、努力では獲得できそうになり何かを持ってる監督だと思う。踊りと音楽をモチーフにすることが多い監督だが、身体の躍動と音楽のリズムとメロディで山戸監督の独特の空間を作っていく。そこで展開される物語はありふれていても、珍しい白日夢を見ている気分で飽きることがない。今後の活躍が楽しみな監督だ。
モノローグの多用の是非
しかし、この映画は観る人によっては弱点だらけの作品かもしれない。その大きな理由の1つが登場人物のモノローグの多用だ。ダンサーを目指す主人公の内面を印象的な言葉使いのモノローグで語っていく。映画的には見せ場のクライマックスのダンスシーンにおいてもモノローグが止まらない。「おとぎ話みたい」は見せたい映像よりも語りたい言葉が先行しているかのように、言葉にあふれた作品だった。映像で語るからこそ映画は面白いと考える人にはこうした作品は受け入れがたいかもしれない。映画学校などでも回想シーンやモノローグの多用は下手なストーリーテリングの典型例として教わるし。
言葉の持つリズム。音楽としての言葉
しかし、山戸監督のモノローグの使い方は別の見方も可能かもしれないと思った。モノローグは映像で見せきれないポイントを言葉で補足するように使うのが一般的だが、本作の場合、補足説明以上に矢継ぎ早にモノローグを差し込んでくる。結果、モノローグの内容そのものはあまり覚えていないのだが、独特の言葉使いからくるリズムの心地よさは耳に残った。つまりモノローグが音楽のような効果を発揮していた。
MOOSIC LABの企画として製作された作品なので、音楽を大々的にフィーチャーした作品なのだが、山戸監督は言葉の音楽性というか、言葉のリズムの効果に興味があるのかもしれないと思った。
上映後にトークショーもあったが(話しだすと止まらないタイプの人なのね)、監督は俳句への言及もしていた。俳句は17文字しかないので、説明できる内容は非常に限られるが、5・7・5が作り出すリズムで想像力を喚起して17文字以上のことを語る。
モノローグをそういう風に使った作品は覚えがない。
ただ映像で見せきる力がないとも思わない。これに続く「5つ数えれば君の夢」ではモノローグに頼らず映像のみで表現していたし。
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同時上映でこのPVも見た。「おとぎ話みたい」の続編のような位置づけ。