アッバス・キアロスタミ監督が亡くなられた。
イランを代表する世界的な映画監督 キアロスタミ氏死去 | NHKニュース
キアロスタミを知ったのは高校の頃だった。NHKで「友だちのうちはどこ?」が放送されていた。紹介者は映画評論家の佐藤忠男氏だった。(佐藤忠男氏もこの番組で知った。後に僕は氏が校長を務める日本映画学校に通うことになるのだが)
その時は「イランにも映画があるんだな」ぐらいの認識で見たのだが、友だちのノートを返しにいくという単純な物語に素朴な映像、当時の僕にはよくわからなかった。しかし、どうにもこうにもいつも半泣きみたいな顔してる主人公のアフマド少年の顔は忘れることができなかった。多分、映画で今まで見たことのなかった類の顔だったのだろう。怯えている表情があまりにも本物だったし、戸惑う顔は本当に戸惑っているようにしか見えないし、泣いている時の涙も本物にしか見えなかった。
そして映画全体を包むやさしさが素晴らしいと思った。
後年、「友だちのうちはどこ?」の撮影秘話を助監督がまとめた本「そして映画はつづく
」を読んで、それらの表情が本物っぽいのではなく、だったことを知る。子どもが泣くシーンでは本当に子どもを泣かせるように仕掛け、怯える表情を撮りたい時は本当に怯えさせているのだった。
なんという悪人だろう。しかし、そんなあくどいことをやって出来上がった映画は、やさしさが画面から溢れ出るような傑作だったりする。映画ってのは随分と業が深くて矛盾したものなのだということを知った。
晶文社
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キアロスタミ作品を初めてスクリーンで見たのは「そして人生はつづく」だった。「友だちのうちはどこ?」でロケ地となった地域が大地震に襲われ、映画に出演した少年たちの安否がきになり、監督自身がその地方に赴いた話を再現した物語だった。大地震後とはいえ、派手な描写はなく、淡々と監督の捜索が続く。地震の被害といえば日本人には想像がつきやすい。だがキアロスタミは悲劇をことさらに強調しない。
キアロスタミが注目するのもは、それよりも地震の翌日に結婚したカップルだったり、地震で家もないのにサッカーの中継に夢中になるおじさん達だったり、ヒッチハイクを無視した車が斜面にハマって身動きとれなくなったところを助けてあげるおじさんだったりする。
この2作に続く「オリーブの林をぬけて」(3作合わせてジグザグ道三部作と呼ばれる)は、「そして人生はつづく」の地震の翌日に結婚式を上げたカップルのシーンを撮影風景を舞台にしている。実際のエピソードの映画の撮影風景を映画化するという入れ子構造に合わせて、カップル役に選ばれた男性ホセインは実際に妻役に求婚している最中で、、、という映画の中と外の境界が限りなく曖昧で、映画の世界がすくりの外に溢れ出すような作品だった。ラストのオリーブ畑の爽快感がすごい。
87年の「友だちのうちはどこ?」と92年のそして人生はつづく」の間にキアロスタミは「クローズ・アップ」という作品も残している。イランの有名監督モフセン・マフマルバフになりすまして、ある家族からお金を騙しとって罪に問われた青年の実話を、実際のドキュメンタリー映像と事件の当事者本人たちが演じる再現シーンで構成した作品だ。
マフマルバフだと自分を偽り家族を騙してしまった青年サブジアンはお金が欲しかったのではない、ただの映画好きの青年だった。自分が憧れる映画監督になってみたいとの出来心が招いた事件だった。裁判で彼は尊敬されてみたかった、尊敬される人物になりきることで自信を持ちたかったと語る。
裁判を終え、裁判所の外でサブジアンを待っているのは本物のマフマルバフ監督。二人で騙した家族に謝りに行くのだが、その道すがらの二人の会話の最中に『音声トラブル』が発生する。映画史に残る素晴らしい効果を上げた音声トラブルだった。この映画のラストカットは家族に許しを得、はにかんだ不器用な笑顔のサブジアンの横顔。
その後、「桜桃の味」でパルムドールを獲得もし、世界的な巨匠と認知されることになるが、素朴さとは裏腹に表現手法はよりラディカルさを増していく。
「桜桃の味」でも粒子の荒いビデオ映像を用いていたが、キアロスタミは一時期小回りのきく小型デジタルカメラを多く使っていた。
国連の要請でウガンダの孤児救済のための女性運動と内戦の実態を収めるために撮影された(しかし出来上がった作品は全然主旨の違う)「ABCアフリカ」や女性の運転する車にカメラを据え付け、車に乗り込む人々との会話のみで構成された「10話」など全編をデジタルカメラによる撮影で作られた作品もある。
ハンディカムの小さなデジタルカメラをキアロスタミが好んだのは、大きなカメラだと素人役者が身構えてしまうことがあるが、小さなカメラだとその存在を意識されなくてすむからだと語っていたが、「ABCアフリカ」などはその小さなカメラの効果がいかんなく発揮された作品だろう。
この映画では、子どもだちは無邪気な笑顔を見せ、人々は無防備な屈託のない笑顔を監督に接する。国連の要請はウガンダの悲惨な状況を世界に伝えてほしい、ということだったのだろうが、キアロスタミが見せるのは歌い、踊り、活き活きとしたウガンダの人々の姿だった。国連は頼む相手を間違えた。
その後は「トスカーナの贋作」などイラン国外での活動が増えていく。日本では「ライク・サムワン・イン・ラブ」を撮影した。クラウドファンディングで資金を調達していたのだが、僕もお金を出してクレジットしてもらった。憧れの巨匠の作品に自分の名前が載る喜びが格別だった。撮影現場にも1日だけ立ち寄らせてもらった。
その撮影現場の他、キアロスタミ本人を1度だけ見かけたことがある。キアロスタミが東京国際映画祭の審査員を務めた時だったが、映画のチケット購入のために文化村の前に並んでいる時にすぐ横をキアロスタミが通り過ぎたのだった。トレードマークのサングラスをかけていた。
「そして人生はつづく」も「クローズ・アップ」も、何度見たかわからない。見る度にいつも勇気づけられていた。人間の素晴らしさ、映画の素晴らしさと業の深さ、世の中の矛盾も広さも、キアロスタミ監督の作品にはいろんなことを教わった。
好きになった映画監督がキアロスタミで、僕は本当に幸運だったと思います。ありがとうございました。
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