アニメーションは命を吹き込むのが仕事だとしたら、この作品ほどそれに忠実なものはないのではないか。
それほど、登場人物たちが生きている実感があるし、なにより見ている観客を彼らと同じ時代をともに生きている気にさせる。
こうの史代原作、片渕須直監督「この世界の片隅に」は、太平洋戦争の最中の広島での日常を丹念に描いた作品だ。戦場を描いてはいない。戦時の市井の生活がどんなものだっかを柔らかい筆致で克明に描写する。徹底した時代考証と温かな眼差しで苦しい時代の人々の生きた証を絵によってフィルムに焼き付ける。悲劇もあるが、喜びの笑いにも溢れている。過剰な卑下も妙な勇ましさもない。食べて寝て、笑って愛して、当たり前の日々の生活がここにある。
淡々とした生活の描写が続くが退屈さとは無縁。のん(能年玲奈)演じるすずさんの、とぼけた魅力と芯の強さがとても魅力的だ。彼女の適度な楽観さと気丈さは苦しい時を乗り越える秘訣だと思う。生きる知恵ではないが、多くの姿勢でこうありたいと思わせてくれる。
苦しい時代だから失うものは大きい。すずさんも、作中でたくさんの大切なものを失う。しかし、失ってばかりでもいさせないのが本作の素晴らしいところ。例えば腕を失ったことが最後の未来への希望との出会いにつながる。人生は失うばかりではない。
本作も、そして原作にも言えることだが、この映画には強く押し出されたメッセージがない。戦争という過剰に大きな出来事に対して、僕らは様々なことを勝手に読み込んでしまう。そして大概それは戦争そのものよりも、自らの思想性が強く反映されてしまう。そうしたメッセージ性からは本作は遠く離れた位置にある。
原作者のこうの史代は広島出身。だが子どもの頃、原爆の話を聞かされるのが嫌いだったと言う。
戦時下の穏やかな日常、あえて描いた こうの史代さん:朝日新聞デジタル
広島市で生まれ育ちました。それなのに、高校生のころには、原爆や戦争の話が嫌いになっていました。どうしてだと思いますか?
「二度と原爆の悲劇を繰り返してはいけない」という答えがもう用意されていて、何度も大人に言わされる。残酷なものを、みんなと一緒に見せられるのもいやでした。
原爆が恐ろしく、多くの命を奪ったものであることは事実だ。二度と悲劇を繰り返してはいけないのもその通りだ。しかし、上から押し付けたようなメッセージは、本当に他者の血肉とあるかどうかは別問題だ。この映画はただ世界を提示する。それに触れたそれぞれの人が、何かを心に染み渡らせる。それでいいのだろうと思う。決まりきったスローガンよりもはるかに心の栄養になるのではないだろうか。元来、感情とはこうやって育てていくものなんじゃないかと思う。
とにかく素晴らしい作品だ。こんな素晴らしい作品に出会えた喜びと、すずさんという素敵な人と映画の中で共に生きる感覚を味わえう喜びと、とにかくこの映画を見ている間は至福の一時だった。
とても大切なものが、すうっと身体に染みこんでくる。そんな感覚をひたすら味わえる126分だった。
双葉社
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