第二次世界大戦のさなか、多くのユダヤ人の生命を救った人物と言えば、スピルバーグが映画にもしたオスカー・シンドラーが有名だ。日本にも杉原千畝という人物がいて、ユダヤ人救出のためにビザを発行し続けたのは有名だ。しかし、多くの生命を救うために尽力した人物は他にもいたのだ。
映画「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」はイギリスのシンドラーと呼ばれた、多くのユダヤ人の子どもたちを救った知られざる男のドキュメンタリーだ。総勢669人ものユダヤ人の子どもを、公的支援を受けず独力でチェコスロヴァキアからイギリスへ疎開させ、多くの命を救ったが、そのことが世間に知られるようになったのは、約50年後の1988年。彼は自分の行った行為を誰にも打ち明けようとしなかった。
偶然奥さんが屋根裏にあった資料を発見して、世に出ていくことになったのだが、自分でこれだけの偉業を誇ろうともしないのはなんとも謙虚だ。おそらく本人としては、取り立てて自慢するようなことではなく、当然のことをした感覚なのだろうか。それとも、もっと多くの命を救えたはずという恥や後悔の念が彼の口を閉ざしたのだろうか。
「シンドラーのリストでのオスカー・シンドラーと同じく、いやあれほどに卑しく描写されているわけではないが、ニコラス・ウィントンも聖人君子として描かれていない。彼はロンドン証券所の仲買人だった。金儲け主義だっというわけでもないが、それなりに金を儲けることが好きな人物でもあった。彼が子どもの救出作戦に従事するようになるのは、友人の誘いでチェコスロヴァキアの難民キャンプを訪れたことがきっかけ。
それは彼の今までの人生の中で全く見聞きしたことのない過酷なものだった。そうした過酷な現実を見ないですむ人生を歩んできた人物なので、やはり大きなショックであったのだろう。ニコラスは子どもたちだけでも助けようと「キンダートランスポート」の準備を開始する。
強制収容所へ送られようとしている子どもたちを、イギリスへ疎開させる計画なのだが、ビザを取るにもイギリスでの里親も必要になる。旅券審査も入国のための書類も作成しながら、さらには里親探しまで、公的機関の支援なしに個人の力でやるのは相当な困難だったに違いない。
ニコラスは、終戦後は難民支援などの機関で働いた後、パリの銀行に務める。イギリスに帰国後に事業で成功を収め、慈善事業にも熱心だった。子どもたちを救出した偉業が知られる前にすでに、長年の慈善事業に対して大英帝国勲章が授与されてもいる。
映画は、彼の人生を振り返るとともに、彼に命を救われた人々を探し出しインタビューもしている。彼に直接救われた人々だけでなく、その子や孫、救われた人の中には慈善活動に従事し、さらの多くの人を救っているという挿話も入れられている。本作の最も強いメッセージはそうした「善意のつながり」だろう。669人を助けたことで、彼らと彼女らに家族が生まれ、そこからまた新しい幸せが生まれ、善意も継承されていく。
ニコラス・ウィントンのキンダートランスポートは、パディントンの原作者にもインスピレーションを与えたという。「くまのパディントン」は名札をさげ、スーツケースをも持っているが、あの出で立ちは、原作者のマイケル・ボンドが小さい時に見た「キンダートランスポート」でやってきた子どもたちにインスパイアされたらしい。
人生、何が起きるかわからないとよく言うけども、自分の言動がどこでどんな影響を与えるかもわからない。人生には不思議な縁もある。これもつながりだ。