ケン・ローチの50年間
一度は映画監督引退を表明したケン・ローチが帰ってきた。引退撤回なんてまるでどこかのアニメーション監督のようだ。引き際は美しくあるべきという人にはこういう復帰劇は好きになれないものかもしれない。けれど、ケン・ローチは世界で最も偉大なフィルムメイカーの1人である。引退撤回を喜ばないわけにはいかない。
最新作「わたしは、ダニエル・ブレイク」は、ケン・ローチにとって監督デビュー50年目に公開された作品となる。しかしながら、50年前の作品、「キャシー・カム・ホーム」と比較してみても、その眼差しの不変さに驚く。人間50年も生きれば、いろいろと変わるものだろうと思うが、ホントに50年前も似たようなテーマを、似たような手法で作っている。あっちこっちフラフラしてる僕のような人間には、ここまでブレずにいられること自体が驚異的なことに思える。
「キャシー・カム・ホーム」は60年代のイギリスで、若い夫婦が夫の怪我による失業などにより、アパートの家賃を払えなくなり、転々と暮らすはめになるのだが、終いにはホームレスとなり、子どもを社会福祉局に取り上げられてしまう。その模様をモノクロの16ミリフィルムのドキュメンタリータッチで撮りあげている。
後続のローチ作品にも見られる、横暴な社会福祉の実態、貧困に苦しむワーキングクラスなどがすでに登場している。デビューから50年、一貫して同じような題材を撮っていることがよくわかる。社会福祉局に子どもを取り上げられるという題材は、1994年の「レディバード・レディバード」でも繰り返されているし、貧困にあえぐ家庭は定番と言っていい。
いわゆる社会派の監督と言われることも多いケン・ローチ。彼が社会の現実を見つめ続けた結果、50年間一貫した題材を撮ってきたということは、50年を経ても社会には同じ問題がずっと横たわっていたと言えるかもしれない。
先般、ケン・ローチにインタビューする機会をいただいたのだが、この50年間で社会はますます良くない方向に傾いていると語っていた。引退を撤回した理由もそこにあるのかもしれない。まだ言い足りないことがあるのだ。
人は名前だけで何かを成せる
59歳のダニエル・ブレイクは心臓病を患い、医師から労働禁止を言い渡されたにも関わらず、国の社会保障が複雑になりすぎていて援助が受けらずにいる。理不尽な行政システムへの怒りとともに始まるこの映画は、シングルマザーのケイティの苦境をさらに加え、必要な人に必要な社会保障が行き渡らない現状への怒りに満ちている。
同時に、ダニエルとケイティの交流、あるいはダニエルと隣りに住む黒人の若者との交流を通じて、人の温もりも描いている。理不尽な社会の中の温かな人間賛歌がケン・ローチ映画の真骨頂だが、本作はまさにその真骨頂が見られる作品だ。
本作のタイトルは主人公の名前から来ている。同じように主人公の名前をタイトルに用いた作品に「マイ・ネーム・イズ・ジョー」がある。こちらの映画はアルコール中毒がもとで失業し、愛する人を失った初老の男性を描いている。なにもかも失った、自分に残っているのはジョーという名前だけだ、という台詞がとても染みる作品だ。
ダニエル・ブレイクもジョーのように多くのものを失う。残ったものは名前のみ。そしてその名前で最後に行政に一泡吹かせてみせるのだが、それが大変に痛快だ。
この厳しく理不尽な社会では、多くの人が大切なものを失い苦しんでいる。しかし、最後に残った名前ひとつでなにかを成すこともできるかもしれない、人々の心に何かを刻めるかもしれない。そう思うとこの厳しい世の中をリアルで写した作品に、ほんの少しの希望が灯る。
全く見事な作品だ。苦しい現実を生きていく勇気を抱かせてくれる。人生に迷ったら見返したい1本だ。ケン・ローチの作品はどれもそんな作品ばかりなのだけど。