ポスト印象派の代表的画家、ポール・ゴーギャンの反省を描いた映画『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』が1月27日より公開される。ゴーギャンは西欧文明から離れるため、タヒチへと旅立ち、そこで『タヒチの女(浜辺にて)』や『死霊が見ている』など数多くの傑作を残している。
今回の映画化では、ゴーギャンのタヒチでの生活を中心に描いている。現地での妻、テフラとの出会い、若い隣人ヨテファとの心の交流、フランスの植民地となっていたタヒチに押し寄せる西欧文明の侵食のなか、大自然に人間の真実を求めたゴーギャンの画家生活が描かれる。フランスの人気俳優、ヴァンサン・カッセルがゴーギャンを演じている。
監督のエドゥアルド・デルック氏に本作について聞いた。
ゴーギャンの過激な部分に惹かれた
――ゴーギャンの人生のどんな点に惹かれて映画化しようと思ったのでしょうか。
エドゥアルド・デルック監督(以下デルック):ゴーギャンは、大きなリスクを取りつつも、現代文明に対する批判精神をもって、モラルや宗教、あるいは型にはまった芸術など、あらゆる価値観を打破した人です。過激な部分もあったのですが、そうした人間性に惹かれました。彼のそうした側面が一度目のタヒチへの旅に凝縮されていると思い、この話を映画にしようと思いました。
――監督は前作『Welcome to Argentina(日本未公開)』でも国外を舞台にした映画を作っていて、今回もタヒチを舞台にしています。これはゴーギャンのようにフランス以外の場所で、インスピレーションを得ようという試みでしょうか。
デルック:意識的に選択したわけではなく、たまたま自分がどんな映画を作りたいのか考えていた時期に、旅行を重ねていて、アルゼンチンに興味を持ってそこで何か撮りたいと思いました。
私はパリに住んでいて、パリの文化で生きていますが、異国の文化にはいつも興味を惹かれますので、刺激を得ているというのはあります。ゴーギャンに興味を持ったのも、彼が自分の芸術を前進させるために遠い異国の地を求めたというのは、自分と共通しているかもしれません。
――ゴーギャンがタヒチに旅立った大きな理由に、彼が当時のパリの文化に絶望していたというのもありますが、この映画には西洋文明への批判的な視座を込めたのでしょうか。
デルック:仰ったように、ゴーギャンがタヒチへと旅立ったのは、新たな芸術のインスピレーションと、西洋文明に落胆していたこととが絡み合っていると思います。彼はパリにいる時はお金のためばかりに働かないといけないことに絶望していました。
彼は絵の中に真実を見つけたいと思っていて、人はそもそも裸で生まれてきたものだと信じていたのだと思います。彼は人類の真実は原始的な生活に戻ることだと思っていたのです。
資本主義文明とゴーギャンの芸術観
――映画の中でゴーギャンが現地の若者、ヨテファに彫刻を教えるシーンがあります。その彼が商売のために彫刻をやるようになっていき、ゴーギャンはそれを諌めますね。あのシーンにはゴーギャンの芸術に対する姿勢が現れていますね。
デルック:ヨテファは、ゴーギャンと仲が良く、彼がゴーギャンを森に連れて行ったりしていたのです。ゴーギャンが絵の具を買う金もなくなった時に、木というものは自然の森にいくらでもあるので、今度は木を彫りながら自分の芸術を追い求めるようになりました。
ゴーギャンが彼に彫刻を教えたのは、芸術を学ぶことで原始的な文明が活性化できるんじゃないかと考えたからだったんですが、結局西洋の資本主義的な文明に侵されてしまったことに対して、ゴーギャンは怒りを憶えたのです。あのシークエンスは文明の衝突や変遷を描くのに有効だと思いましたね。
――監督の芸術観についてお伺いします。映画監督として、ゴーギャンのようにお金のために芸術活動をすることは否定的ですか。
デルック:私も同じ問題に常に直面していて、アーティストとしては妥協せず自分のやりたいことをやるのが理想的ですが、現実には映画製作は絵を描くよりもお金がかかりますし、純粋な芸術愛でお金を出してくれる人もそうそういません。ただなるべく自分は考えすぎないようにしています。
――この映画の製作で何か妥協せねばならなかったことはありましたか。
デルック:今回は妥協らしい妥協はほとんどしなくて済みました。国際的にヒットするようなアプローチをした方がビジネス面ではよかったかもしれませんが、自分はそういったことはしたくなかったのですが、思っていたほど予算も高くつきませんでしたし。今回は自分のやりたいことができたと感じています。慎み深く、奥行きのある作品に仕上がったと思います。
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