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人は模倣する生き物、メディアはそのことを意識すべき。『ザ・スクエア 思いやりの聖域』監督インタビュー

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 2017年のカンヌ国際映画祭で最高賞パルム・ドールに輝いた映画『ザ・スクエア』が4月28日より公開される。

 監督は、日本では『フレンチアルプスで起きたこと』で知られる、リューベン・オストルンド。人間の行動原理を社会学的なアプローチで描く新世代の巨匠だ。

 本作は、現代アートの美術館のキュレーターが仕掛ける「ザ・スクエア」という参加型アートを展示することで巻き起こる奇妙な騒動を描いている。そのアートは以下のような参加ルールを掲げている。

 
“ザ・スクエア”は〈信頼と思いやりの聖域〉です
この中では誰もが平等の権利と義務を持っています
この中にいる人が困っていたら それが誰であれ
あなたはその人の手助けをしなくてはなりません

 
 主人公のクリスティアンはこのアートの展示によって、現代の経済的格差やヒューマニズムの欠如について問いかけることを意図している。しかし、この展示が始まると、クリスティアンは思わぬ災難に巻き込まれ、自身の格差差別や偏見と対峙せねばならなくなる。さらには、アートの宣伝のために雇ったPR会社の炎上マーケティングも重なり、クリスティアンはどんどん複雑な事態に巻き込まれていく。現代アートへの皮肉、格差問題、ネット動画の炎上等、現代的な要素を数多く詰め込んで、人間の深層心理に迫る意欲作だ。

 監督のリューベン・オストルンドに本作について話を聞いた。

 

実際のアートプロジェクトから映画作りが始まった

――この映画は監督が友人と始めた、美術館でのプロジェクトが発端だそうですね。そのプロジェクトをやってみて、実際に人々はどんな反応を示したのでしょうか。

リューベン・オストルンド監督

リューベン・オストルンド監督(以下オストルンド):スウェーデンに2つの街とノルウェーの街の3箇所で実施したんですが、反応は街によって様々でした。ある場所では、宣伝不足もあってか、単にパブリックアートのように受け止められましたが、ベーナムーという小さな街では、いろいろな人に利用してもらえましたね。
例えば、障害者が障害者手当をカットされてしまったことを訴えたら、それを取り戻すきっかけとなる動きが起きました。地元の新聞記者がやってきて報道してくれたんです。それから若い移民がスウェーデンから追い出された事件があったんですが、スクエアでキャンドルデモを行った人もいました。学校で射撃事件がスウェーデンで起こった後に、非暴力を訴えるデモをした人もいましたね。
設置したスクエアは、そうした様々な人道的価値を訴える場所として利用されました。非常に感動的でしたね。

 
――このスクエアの中にいる人の助けは、人は必ず聞かねばならないというルールなわけですよね。例えば、少し意地悪な質問かもしれませんが、理不尽な願いを要求してきた場合も、我々はそれを聞き入れねばならないのですか。実際にこのスクエアを悪用する人はいませんでしたか。

オストルンド:ありませんでしたね。仕込んであったLEDライトが盗まれ、ルールを記載した銅のプレートが壊されるということが初日にありましたが、トラブルと言えるものはそれぐらいです。
ベーナムーという街は、キリスト教の影響が強いコミュニティなんですが、我々はこれはきっと教会の仕業に違いないと冗談を言っていました。教会が自分たち以外の人助けをしている連中が気に入らなかったんだろうと。(笑)

© 2017 Plattform Prodtion AB / Société Parisienne de Production / Essential Filmproduktion GmbH / Coproduction Office ApS

 
――このプロジェクトを最初に実施したベーナムーという街は小さい街だそうですね。同じことを東京のような大きな都市でやった場合、同じ反応が得られると思いますか、それとも違った反応があると思いますか。

オストルンド:都市が大きくなればなるほど、何かを変えよう、社会規範の変革を訴えるようなメッセージを伝えるのは難しくなるでしょう。
我々のプロジェクトは、ベーナムーがラジオ局が一つしかなく、皆が同じ新聞を読んでいるような小さい街だから出来たことだと思います。大きい都市でやる場合は、それこそYouTubeに小さな女の子を爆破する動画をアップするなどして注目を集めるしかないでしょうね。(笑)

 
――この映画は現代アートの世界を舞台にしていますが、アートとは何かという問いも投げかけていると思います。冒頭、主人公のクリスティアンがインタビューを受けていますね。そこで彼はインタビュアーのバッグを指して、それも美術館に展示すればアートになりうると言っていますね。

オストルンド:このような問いは、100年以上前マルセル・デュシャンがトイレの便器を美術館に置いた時から、なされています。しかし、美術館はいまだに同じ問いに執着しているんです。私に言わせればそれはどうでもいいことで、私が関心があるのは、それがなんであれ新しい体験をもたらしてくれるかどうかということなんです。
アートの世界の住民はもうちょっと自分たちに対する野心を上げるべきだと思います。そういう現代アートの世界を私はこの映画で皮肉を込めて批判しています。

 

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アテンションの奪い合いが過激化する現代

――映画の中で、PR会社のマーケターが炎上動画を作成します。美術館へのアテンションを高めるための施策ですが、あの手の騒ぎはインターネットの世界で毎日のように起こっています。映画の中では言及されていませんが、あの施策で美術館への来場者は増加したのでしょうか。

オストルンド:はい、増えました。

 
――ということは、マーケティングとして成功だと言えると?

オストルンド:ええ。あの動画は、人道的なメッセージを訴えるアートのPRのために、非人道的な手法を用いています。現代は、こうした手法がマーケティングの名の下にどこまでも過激になる傾向があります。
こうした過激化は、政治の世界でも起きています。スウェーデンの自由党が党のロゴを変更した際に、ネットで横にするとペニスに見えると話題になりました。そうしたら党メンバーの一人は「注目されるなら言いことだ」とインタビューで答えたんです。皆アテンションの奪い合いに絶望的なくらいやっきになっているんです。(参照

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――本来、ああいうものがマーケティングとして成功してしまうことに問題があると思います。あれによって成果が上がってしまう社会全体のシステムの問題かもしれません。これを変えるためにはどうすればいいと思いますか。

オストルンド:難しい問いです。例えばトランプは良くないと書けば皆トランプへの投票を避けるだろうとメディアは考えましたが、実際にはトランプに関する報道が増えれば触れるほどに彼への投票も集まったわけです。人間は思ったほど合理的でもなければ理性的な存在ではないのです。人間は模倣する生き物だと思います。そういうことをメディアはもっと意識する必要があると思いますね。メディアが流したイメージはもう一度再生産され、同じような行動を人々の間に生んでしまうということを。

メディアだけでなく映画にも同じことが言えます。例を一つ挙げましょう。イタリアの『ゴモラ』という、マフィアについての本の著者(ロベルト・サビアーノ)が言っていたのですが、クエンティン・タランティーノの映画が登場して以来、マフィアが銃を横に倒して構えるようになったそうです。横に倒せば当然命中率はさがります。(命中率が下がって何発も撃つから)死体もヒドいことになって、警察が現場の片付けが大変になったそうです。(笑) 明らかに合理的な選択ではないですが、人間の行動はそうやってメディアや映画の影響を受けているんです。

 
――今の話で表現の自由と責任について思いました。表現の自由は当然守られるべきものですが、同時に大なり小なり社会に影響を与えるものであることも確かです。現代は誰もが自由に意見や表現物を発信できる時代ですが、自由ばかりが重んじられ、責任が顧みられていないようにも思います。監督は表現の自由と責任についてどう考えますか。

オストルンド:私は検閲には反対ですが、教育は必要でしょう。それぞれの表現が現実に影響を与え、人の行動を変えてしまうことがあることをもっと教えなくてはなりません。私の娘たちのような次の世代は、我々の世代に比べればはるかに多くの表現物にさらされているわけです。それこそ小学校の頃から教育を始めて、新しい科目を作るぐらいのことをしないといけないと思いますね。

 

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