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映画『運命は踊る』監督が語る運命のいたずら。「娘はわずかな差で死を逃れた」

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 イスラエルの名匠、サミュエル・マオズ監督の『運命は踊る』が9月29日より公開される。

 自身の戦争体験を題材にした前作『レバノン』から8年、マオズ監督は人間の運命の不可思議さについての映画を作り上げた。

 ある日、ミハエルとダフナの夫妻の元に息子のヨナタンが戦死したとの知らせが届く。夫妻は大きなショックを受けるが、後にそれが誤報であることが発覚する。ミハエルは自らのコネクションを用いて強引にヨナタンを戦地から呼び戻そうと画策する。その頃、ヨナタンは質素な検問所でのんびりとした時間を過ごしていた。しかし、若者を乗せた一台の車が検問所にやってきた時、事件が起きる。

 イスラエルの近代の複雑な歴史や世代問題を背景としながら、人間の運命とはなんなのかという、より深遠な命題に挑んでいる。

 本作はマオズ監督の個人的な体験から着想を得ている。寝坊癖のある監督の長女が学校にタクシーを使って行こうとしたところ、教育上良くないと感じた監督はその態度を叱り、皆と同じようにバスで学校に行くように言ったという。その日、長女が乗る予定だったバスはテロリストによって爆破され、長女はバスに乗り遅れたために難を逃れたという。

 監督が懸念していた長女の寝坊癖が彼女の命を救ったのであり、娘の教育のため良かれと思って取った監督の行動はもしかして娘を死に追いやったかもしれない。本作は、そのような運命のいたずらを三幕構成で描いたものだ。

 本作の原題「FOXTROT」は、社交ダンスの一種。作中に度々登場するこのダンスは、前から右へ、それから後ろへステップし左に戻る動作を基本にしており、どうあがいても人は同じところに戻ってしまう、定められた運命から逃れることはできない、ということを示唆している。

(C)Pola Pandora – Spiro Films – A.S.A.P. Films – Knm – Arte France Cinema – 2017

 タイトルに暗喩が込められているように、本作には暗喩的な視覚的イメージが頻出する。それらのイメージは、時には台詞や物語そのものよりも雄弁に作品の命題を語る。

 今回サミュエル・マオズ監督に、本作の中のいくつかの印象的なイメージとそれに込められた意味について語ってもらった。これは映画のほんの一部に過ぎないが、映画を鑑賞する際、どんな点に注目すればいいのかのガイドになれば幸いだ。

 

玄関の絵は主人公の心の内側

サミュエル・マオズ監督

――この映画は、視覚的に刺激的なイメージが数多く登場しますね。

サミュエル・マオズ監督(マオズ):私は常に、ビジュアルありきのアプローチを心がけています。いつも良いアイデアが浮かぶ時はビジュアルのアイデアなんです。映画に台詞は必要ですし全否定はしませんが、どちらかと言うと必要悪だと思っています。

 私は自然とその場に存在するものをドキュメンタリー的に撮るタイプではありません。カメラに映るものは、登場人物たちの心に深く入り込んだようなものであってほしいのです。

 
――主人公のミハエルの玄関に抽象絵画が飾られていますが、あの絵はなんなのでしょうか。

マオズ:あの絵画は、この映画のために私の知り合いの才能ある画家に描いてもらったものです。ミハエルの心の内側をX線で透視したような絵を描いてくれと注文したのですが、本当にそのイメージにぴったりの絵を仕上げてくれました。一見カオスなのですが、どこか法則的に感じさせる面もあり、ブラックホールに誘われるような印象の絵です。あれはミハエルの心のありようを象徴しています。そしてこの映画全体が問いかける哲学的な命題の暗喩にもなっています。

(C)Pola Pandora – Spiro Films – A.S.A.P. Films – Knm – Arte France Cinema – 2017

 この映画は三幕構成ですが、一幕目のミハエルのアパートのシーンは玄関の絵以外にも様々なイメージが雄弁に観客に語りかけています。

 例えば、ミハエルがカメラに背を向けて丸い窓を向いて初めて台詞をしゃべるカット、あのカットでの彼の立ち位置に、彼の生き様や社会での立場などが込められています。一人の人間のバックグラウンドを言葉で語るには、脚本にしたら少なくとも3〜5ページくらい費やす必要があるでしょうが、イメージであれば一瞬で語ることができるのです。

(C)Pola Pandora – Spiro Films – A.S.A.P. Films – Knm – Arte France Cinema – 2017

 

金髪女性の「運命の笑み」

――二幕目の検問所の車に金髪の女性の絵が大きく描かれています。あの女性は誰なのですか。

マオズ:あの絵も映画のために描いたものですが、私の長女の顔からインスピレーションを得て作った架空の人物です。アメリカ人女性が笑みを浮かべている絵ですが、あれは「運命の笑み」なのです。

 
――「運命の笑み」とはなんですか。

マオズ:ヘブライ語で、「人間はあれこれ企むが、神はそれをせせら笑う」という言葉があります。運命の笑みとは、人が運命を変えようともがいている様を神が笑っているということです。

 人間社会は科学の大きな進歩に進化してきましたが、多くの努力を払ってもこの宇宙の中心なのだ、などと考えるのは馬鹿げた発想です。我々はこの宇宙の中ではほんの小さなチリのような存在に過ぎません。

 しかし、だからこそ人間は自らの存在意義を知りたいと考えます、私もそのために映画を作っています。そうした壮大な問いは人を狂わせますから、私の場合は映画を撮ることで気を紛らわせているいう意味ですがね。(笑)

(C)Pola Pandora – Spiro Films – A.S.A.P. Films – Knm – Arte France Cinema – 2017

 

チェーホフの銃としてのラクダ

――検問所を通り過ぎるラクダがいますよね。人間の乗った車は検問時で止まって検査を受けなければいけませんが、ラクダは悠々と素通りしていて、人間よりもラクダの方が自由に生きているなと感じます。あのラクダはどんな意味があるのでしょうか。

マオズ:ラクダは、この物語を展開するためのツールの一つとして登場させました。いわばチェーホフの銃です。なにげなく登場して、後に重要性を帯びるという作劇のテクニックですね。それが何を意味するかは映画を観てのお楽しみです。

 それと、二幕目でラクダが登場しますが、一幕目とは舞台の雰囲気がガラリと変化するので、それを一瞬で伝えるためにラクダを登場させています。兵士が踊っていたり、戦地とはいえ前線ではないので、とてもゆるい空気の場所なのです。一幕目の非常に緊張感のある作風から一転して雰囲気が変わるので、不条理なユーモアを感じさせるシーンで始めようと思ったんです。女性の絵にも同じような効果があるでしょうね。

 

ミリ・レジェブ文化・スポーツ大臣の批判について

 本作がイスラエルで公開された時、右派の政治家であり文化・スポーツ大臣であるミリ・レジェブが「イスラエルにとって有害な映画。イスラエル映画基金は援助すべきではなかった」と発言し大きな物議をかもした。

 これについてマオズ監督は、「皮肉にも彼女からの口撃は、本作がいかに正しいかを証明しています。彼女自身が、イスラエルは保護されるべき小さな子供だと思っている、と言ってしまったようなものです」と語っている。

 本作はイスラエルの政治的緊張を直接に描くものではない。背景としてイスラエルの複雑な事情がもちろんあるが、監督の視点はより広く大きなところにある。

「上から見れば、ミハエルも兵士たちも、あるいはイスラエルの政治リーダーでさえも、見えない手に操られるチェスの駒に過ぎません」

 ドメスティックな視点からの批判に反対サイドから意見をぶつけるのではなく、マオズ監督はより包括的な視点を提示する。とても成熟した態度であり、その姿勢は本作全体にも貫かれている。

 

レバノン (字幕版)
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