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『ブラッククローバー』と『僕のヒーローアカデミア』について書きました

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 リアルサウンドブックに少年ジャンプの『ブラッククローバー』と『僕のヒーローアカデミア』について書きました。

 『僕のヒーローアカデミア』『ブラッククローバー』 ヒーロー漫画としての違いとは?|Real Sound|リアルサウンド ブック

 この2作は似ているとよく言われる作品で、連載開始時期も同じくらいなんですが、ジャンプの王道漫画として、それぞれがどうアプローチしているのかについて書いています。

 端的に言うと『ブラクロ』はストレートに(ベタに)、『ヒロアカ』はメタな視点があるよという話をしています。それを「母親の存在」を象徴として書いています。ジャンプ主人公の母親不在率はすごい高いんですが、『ヒロアカ』の主人公デクには母親が最初から登場するんですよね。これは結構ジャンプの王道漫画としては珍しいのです。

 それがなんで珍しいのかというのを、『ONE OIECE』の尾田栄一郎氏の言葉を借りて説明してみたりしています。『ヒロアカ』の新鮮さと『ブラクロ』のベタさがそこで別れてくるのかなと。

以下メモと構成です。

ーー

Point3つ
・両作品の既視感:ヒロアカとブラクロ、ジャンプ王道作品のデータベース的集合作品
  これの各要素をきちんと上げる。世界観、魔法と個性、キャラ配置、主人公の動機、ジャンプ3大要素の扱い方など
・ジャンプ的なものに対するベタ(ブラクロ)とメタ(ヒロアカ)の視点
  デクには母親がいること。それも息子を心配するごく普通の母親
  尾田栄一郎。ワンピース70巻の読者質問で。冒険の対義語は母と答えている。
  映画の監督のコメント。。アニメの長崎監督が本作はジャンプ王道でありながらどこか新しいと話していた。   
・総個性社会は、個性抑圧社会でもある。(ヒロアカスピンオフ、ヴィジランテの台詞)
  無個性は個性になる現象をどう考えるか。誰もが個性を持っていたら、何も持っていない人間のほうが特別になる。

 
intro
ヒロアカとブラッククローバー、ナルトが終了してほぼ同時期に連載始まった、現在も続くジャンプの王道漫画。
設定や展開、キャラクターの在り方など似ているとよく言われる作品だが、ジャンプ王道ものを受け継ぐので当然と言えば当然。
しかし、両者にはジャンプ王道ものへの異なるアプローチがあるのでは。

 

Body1 ジャンプヒーローの各要素を詰め込んだデータベース的作品
両作品の既視感。過去のジャンプ作品の要素の集合体?
先行作品との比較。
両作品の比較を具体的に

鬼滅の刃などの後継作品とも比較するか?

ジャンプの良い点をきっちりと抑えている点が人気の秘訣であることは両作品ともに共通

両作品の構成の類似点
落ちこぼれが力を譲渡されて戦う。無個性が個性に変わる
幼馴染のエリートライバルの存在
チームで戦う、主人公たちの成長、ヒロインのポジションや憧れの存在など数々の類似点
 

Body2 ジャンプ主人公の母親の不在について
ヒロアカのメタな視線と批評性
ブラッククローバーのまっすぐな姿勢

ジャンプ作品における母親の不在。
尾田栄一郎の言葉「冒険の対義語は母」

ブラッククローバー
アスタの母親は?。。。ジャンプのヒーローの母親いない問題。

ヒロアカ
デクには母親がいる。しかも極めて一般的な「普通」の母親

 
Body3 無個性が個性になる時代
ヴィジランテのセリフから考える。

『ブラクロ』:魔法を持たないから使える力が絶対的な切り札になる。無個性が個性に変わる。

等身大の主人公のほうが共感されやすい時代?
あこがれよりも近さによる共感が優先される時代か。。。。例は?
 

 

編集者は片山達彦氏。『ブラッククローバー』『呪術廻戦』など「週刊少年ジャンプ」(以降、『ジャンプ』)の人気タイトルを担当してきた

エクリオの横山さんの論考


 

両作品ともデータベース的な作品ではないか。
ブラッククローバーの既視感、ジャンプの過去の作品との類似
ヒロアカにはもう一つ、アメコミ・ヒーローの影響がある・・・ヒロアカにはヒーローとはなにかを外から見るメタ的な視点がある

とある魔術の禁書目録の上条当麻を引き合いに出すか。イマジンブレーカーという「相手の能力を打ち消す能力」

ーー
メモここまで。

両作品の類似点を最初に挙げて、決定的な違いとして『ヒロアカ』の母親の存在を挙げる、そしてそれはジャンプ王道漫画全てを相対化しているんじゃないか、その批評的にメタ的な視点が『ヒロアカ』の最大の特徴で、アニメの長崎監督の「王道だけど、どこか新しい」という感覚につながっているんじゃないかという感じで文章を組み立てることにしました。

ジャンプ主人公、本当に母親出てきませんよね。『スラムダンク』にすら出てきませんし。『ろくでなしBLUES』の前田太尊にも母親いませんね。最近のヒット作、『呪術廻戦』も、異色作『チェンソーマン』も、科学を得意とする『Dr.ストーン』も父親の白夜とのエピソードがめっちゃ出てきますけど、母親はやっぱり不在なんですよね。編集部が狙ってそうさせているとしか思えないぐらい、母親出てこない。

これは尾田栄一郎氏の言う、「冒険の対義語は母」というのがジャンプ編集部全体の考えだということなんでしょうね、きっと。

 
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