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『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき』のインタビュー記事を作りました

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 ハフポストで現在公開中のドキュメンタリー映画『ぼくが性別「ゼロ」に戻るとき 空と木の実の9年間』のインタビュー記事を作りました。

 「すべての性はグラデーション」。枠を外して、性、社会と向き合うには | ハフポスト

 詳しくは記事を読んでいただきたいですが、いつものように記事を作る際に考えていたことや、構成案、メモを公開したいと思います。

 本作は、小林空雅さんという一人の人間の性自認を巡る作品です。身体の性としては、女性として生まれ、違和感を持ち、13歳で性同一性障害の診断を受けて、男性として生きようと決意し、それに向けて努力する9年間を追いかけたドキュメンタリーです。

 まず記事を書く際に決めたことは「LGBT」という単語で使わない、ということでした。LとGとBの話ではないからです。それぞれのセクシュアリティで、社会の中でぶつかる問題も、葛藤も個別に異なるはずですから、安易に「枠」を指定してくくるべきでなないと考えました。

 この「枠」というのは、この記事の大きなキーワードの一つです。ジェンダーの枠とは何か。性別は男と女の2種類である、という男女二元論の「枠」はこの社会では支配的です。日本も欧米もそうでしょう。「男女平等」という単語は象徴的です。アファーマティブ・アクションで「男女」の雇用を均等にしようという考えも、男ばかりよりは遥かに良いですが、男女二元論の「枠」内の発想です。

「LGBT」は男女二元論よりも広い概念であると思います。しかし、それでも「枠」であるかもしれない。本作は、常識の「枠」の外に出る行為そのものを称賛する作品なので、紹介する時に、広い「枠」であっても設定しないことが重要だと考えました。むろん、QやQや+LGBTに足せばいいということではなく、枠を超えて考える姿勢そのものを伝えることが重要と考えました。

 SOGIならばいいかなと考えましたが、もっと言葉ではなく、感覚で伝わる方法が良いだろうと思いました。アルファベット4文字は覚えやすいがゆえに、言葉のスティグマとして「枠」になってしまいやすいなと個人的には思う部分もあります。それにSOGIは、Sexual Orientation(性的指向)とGender Identity(性自認)の2つの要素を示す言葉ですが、記事で紹介するように、ジェンダーを考える際は他にも要素がある。それをこの映画は、ジェンダーブレッドという表で、感覚的に、かつとてもわかりやすく伝えてくれる作品です。なので、SOGIという単語も登場しません。

(C)2019 Miyuki Tokoi

 監督の言葉として記事でも言及していますが、この表で自身のアイデンティティをマッピングしてみると、いわゆるシスジェンダーの人でも、全員異なる性のあり方をしているのだということに気がつくはずです。ということは、最終的には性的マジョリティ/マイノリティの二項対立という「枠」も乗り越えていける、少なくともそういう方向性を目指す作品であると思いました。なので、性的マイノリティという単語も極力使わない、少なくとも特定の人物を紹介する時に、その言葉を使わない、ということを決めました。

 これらの単語を封印して思ったのは、普段原稿を書く時に、「自分はあまりにも便利な言葉に頼りすぎていたのだな」、ということです。その言葉を使えば、なにかをわかった気にになっている、きちんと伝えた気分になっていた自分を発見しました。でも、本当は一人ひとりディテールが違うわけで、そのディテールがそれぞれのアイデンティティで尊厳であるはずですから、便利な言葉で「枠」を捉えればいいやでは駄目なんだ、少なくとも一人の人間のディテールを9年間追いかけた作品を紹介する時には、そんな姿勢ではいけないと考えました。

 映画の全てのディテールを伝えることはできていませんが(それじゃそもそもネタバレなので)、この記事がどこまで小林さんの人生を捉えることができているかわかりません。ただ、この映画はそんな個人の尊厳たるディテールに溢れている作品です。素晴らしい作品なので、一人でも多くの方に観ていただきたいと思います。

 

以下、構成とメモです。
ーー

Thesis 男、女、エックスの3つじゃなくて性はグラデーションがあるのだということ

これが伝えられれば記事としてひとます成功か

小林さんの成長と変化と出会い

ジェンダーブレッドの話
・この表には境界線がない。
・男女が対立概念ではなく、並列している。。。両方の要素を同時に持ちうる
・誰もがやって、だれもが違うとわかる

一人ひとり違うということに向き合ってほしい。
「社会の中に生きなくてもいい」という小林さんの言葉。社会もジェンダーも「枠」であると。

Intro
映画の公開状況、監督、NHKで短縮版が放送されたことなど概要

あらすじ

性はグラデーションであることがよくわかる、とここで記事の要旨を、
自分の感想を少し入れてみる。

 

Body1 小林さんの歩み
成長と変化、出会い。声優という夢

取材のオファーがあった時の心境は:
 小林:その時点すでに弁論大会などに出場していて、そこでローカルテレビや新聞社から取材を受けていたので、慣れていた。10年前は今ほど情報がなくて、その一例になれたら役に立つかもしれない。

常井監督との出会いの話:
 常井:今から10年くらい前になりますが、性同一性障害についてはそれ以前から知っていましたが、中高生にもそういうことで悩んでいる子がたくさんいるんだと知って、当時私はNHKのニュースの仕事をしていたので、取り上げたいと提案しました。もちろん、中高生の中で性同一性障害の難しさみたいなものがテーマですから、取材を引き受けてくれる子を探していたのですが、詳細は覚えていませんがどなたかの紹介か何かで、まず名前が挙がったのが当時15歳の小林空雅さんでした。次の日にすぐ連絡して、3日後にはお会いしていろいろと話しをしたら、顔出しもOKだし、とにかく自分の今の状況を伝えたいという強い意思を持っていたのでその場ですぐに取材してもらうことを決めました。

その後、9年間も取材する予定だった?:
 常井:全く思っていなかった。でも2年後に会ってみたら、自分のことを堂々と伝えるスキルを得ていた。前向きに生きる様子が見えた。

エックスジェンダーの中島さんとの出会い:
最初、性別は2種類だと考えていた

中島さんとの出会い:
中島さんに会う前からエックスという存在については知っていた。
エックスの中にもいろんなエックスがある、男、女、エックスの3つじゃなくてグラデーションであることが自分の中でかんがえて解釈してみて至った結論

 
グラデーションであることを示すのに、ジェンダーブレッドの表はわかりやすい。

body2 ジェンダーブレッド
小林「教えてくれたのは中島さんです」とのこと。
 

・この表にはどこにも境界線がない・・・線なんて本当は引けないのだということ
小林:男と女でそれぞれ矢印があって、この表を知る前は、似たような表でも男と女が一本の線で対極に置かれてるものだった。けれど、それだけじゃ表現しきれないなと思っていた。

男女が対立するグラフではない・・・男っぽさ、女っぽさ両方持ちうる。

・性表現とは:
服装や一人称の使い方など。
身体的にも性自認もどちらも男性である人が、性表現は女性ということも十分ありうる。

性表現は、社会的役割も含まれるとのこと。例えば、専業主夫的なこと?。世間的に男性・女性の役割とされている立場を好むということがある。

これは、社会の変化によっても変わってくる。

・誰もが違うことに気が付くはず
常井:ジェンダーブレッドを知って、改めて考えると今まで女と思ってたけど、男っぽい部分もあるなとか、本当に誰が好きかとか、よくよく考えると1か100かじゃないなとはあの表で気が付いた。
実はマイノリティと呼ばれている人だけでなく、マジョリティだと思っていた人もあの表を使うと全員違ってくるのが面白い。

・常井監督は取材する中で何をきがついたか
常井:取材を始めた9年前は、この社会は男と女でできていて、例えば性同一性障害を説明するのにも、男の体で女性の心、女性の体で男性の心と説明していた時代だった。
取材を初めてから4,5年あたりで、男女どちらもでないという人に出会う確立がものすごく増えていった。この9年間でいろんな認識の変化を見たし、目撃した。

 
 
Body3「枠」にとらわれず生きるということ
・この映画は性別の話を描くが、性別だけのこを言いたいわけではない。それは一つのモチーフである。

・社会は変わってきている、でも社会の中に生きなくてもいい。
小林:自分は社会の歯車として生きていこうとしていないが、社会の変化はニュースなどで感じることはある。情報は増えたが、間違った情報もその分増えた。自分で取捨選択しないといけない。
自分は多数派じゃなくていいと思っている。
自分の中で普通とか一般的という定義を壊していったら、(今までの人生が)柵の中で飼われていたような気分になった

・普通の「枠」の外で自由に生きる。

ーー
メモここまで。

 とにかく、常識や言葉の「枠」をどう外せるかと考えて書きました。上手くいったかどうかわかりません。小林さん自身が、社会に認められることを重視していないし、ならば、社会に理解が不足しているのだ、ということをテーマに書くのはおかしい。むしろ、社会という「枠」の理解促進以上に、「枠」の外に出てしまうことの開放感とか自由さ、みたいなものが伝わった方がいいのだろうと。

 補足ですが、LGBTという言葉を使わないという決断には、牧村朝子さんの考え方の影響もあると思います。

 「LGBTさん、さようなら」 同性婚の牧村朝子さんが宣言、その真意
LGBTの連帯がこうした「華々しい成功」を挙げた一方で、あたかも人々が「LGBTと非LGBT」に二分されていくように感じると、牧村さんは言う。「『男らしさ』『女らしさ』という性で悩むのはLGBTじゃなくても同じなのに。性のことは、みんなが当事者なのに」。

 

 もうひとつ、記事では触れていない要素として、小林さんが声優という職業を目指していることについても重要だと思っています。これ以上長い記事を書くわけにもいかなかったというのと、かなり日本独特の複雑な歴史があるので、中途半端では触れられないし、取材時間もたりなかった。

 小林さんは野沢雅子さんを憧れの声優に挙げておられます。野沢雅子さんと言えば『ドラゴンボール』の孫悟空役が有名で、声優業界で最も力強い、男らしい芝居ができる人でもあります。女性声優でありながら。日本のアニメ業界が、主に少年役を女性声優が担ってきた歴史があるわけですが、そういう歴史のない諸外国ではこれは理解しにくい部分かもしれません。声優という職業は、役柄の上ではしょっちゅう男女二元論の枠を飛び越えているんですよね。

 ただ、近年声優業界では声の仕事だけでなく、表に出て活動することが増えているので、このジェンダーの飛び越えがしにくくなっているのではないかという気がします。もったいないことです。声優事務所の公式HPの所属タレントが「男性タレント」と「女性タレント」の2つに分けられていることにショックを受けるシーンなども映画の中にあります。青木志貴さんも「Voice 女性」に入っているんですよね。性自認は男性とご自身のyoutubeで名言しておられますけど。仕事の上で、女性タイプの声や少年役を探す時にも、習慣として女性タレントの欄から探すんだろうけど。

 日本のアニメと声優が表象と実践として、欧米とは異なるジェンダーの飛び越え方をしていたということは、この国におけるジェンダーの多様性を考える上で重要なことだと思っています。そういう事例が与えた、ジェンダーにかんする想像力はやはり欧米とは異なるものがあるのではないか。いずれ、別の機会にそこを掘り下げられるといいなと思っています。

 
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