アニメ!アニメ!で『シン・エヴァンゲリオン劇場版』公開初日に観たファーストインプレッションを書きました。
【シン・エヴァ最速レビュー】「エヴァンゲリオン」が思い出となった日。振り返れば全て懐かしい、そんな清々しい気分 | アニメ!アニメ!
公開初日にアップする前提の記事だったので、ファーストインプレッションをそのまま叩きつけるような記事です。「思い出」というキーワードで語ることにしました。ああ、これでようやく終わったのか、という気持ちを込めました。
やはり、第3村のシーンに驚きがあったようです。エヴァらしくないシーンなんだけど、観終わってみると非常に重要なシーンとして機能していたことがわかりました。
群衆が描けないと宮崎さんに言われたエピソードを入れて、庵野秀明監督の変化をわかりやすくしてみました。これが成長ということか、という感慨と寂しさがありましたね。
以下、メモです。
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Thesis ようやく思い出として語れるようになったエヴァンゲリオン
Point3つ
・気持ち悪いと言われて映画館を後にしたあの時から、エヴァが終わった気がしなかった。
・人の小さな営みを称賛できるようになった。。。。群衆を描かないことを宮崎監督に指摘され、自分の中にそういう人間像がないことがわかったと言っていた庵野監督が、名も無き市井の人々の営みを称賛した。
・小さな人の営みの賞賛を経て、最後は父と子の対決から少年の心の旅路に決着をつけた。驚くほどにしっかりと完結した。どこかで破綻してこそエヴァだと思っていた部分がある。破綻せずともエヴァだった。
Intro
ようやく、思い出となった。
エヴァが完結した。とてもしっかりと終わった。
気持ち悪いと言われて劇場を後にして以降、エヴァは終わらなかった。何かが残っている感じ。魚の骨がのどに使えている感じ
それが綺麗にさっぱりと終わった。これほど見事に終わるとは思っていなかった
Body1 第3村のシーンの意味
旧劇と比べて大きな変化
人々の小さな営みを称賛できるようになった
群衆を描かないという宮崎の批判。旧劇でモブが重要さを帯びることはなかった。
地に足をつけて生きている人々の復興を称賛した。
プレハブの家々は、仮設住宅を思い出させる。「シン・ゴジラ」を作った庵野監督だからこその描写だろうか。
力強い草の根の復興。
Body2 父殺しを完遂
最後は少年の心の旅路にしっかりとけりをつけた。旧劇以上い父と子の対決姿勢を鮮明に、より強い目的意識を持って父殺しを完遂した。
少年が成長するための通過儀礼としての父殺し。
むちゃくちゃに当たり前のことを当たり前に賞賛してみせた。
Concl
ようやく思い出となった。寂しさも噛み締めて思い出としてエヴァを振り返ることができるようになった。寂しさと
参考リンク
いや、人物はまるで描けません。メカやエフェクト専門でしたね。宮さんもまさか、メカが描けて人物がまるでダメといタイプがホントにいるとは思わなかったらしくて。最初はまとめてキャラも描かせてたんですが、そのうち、「人間、あまり得意じゃないね」「人間ヘタだね。」「人間描けないね」「もういい。マルチョンで描いとけ!あとはオレがやるから」「この未熟者め!」と(笑)。
結局巨神兵や戦車とか爆発等は僕が全部描いて、キャラだけはラフで丸チョン。それを宮さんが第二原画で描くという。ド生意気ですよね(笑)。ド新人のくせに超生意気でしたね(笑)。最初の頃は宮さんの前で上がってたくせに、途中からタメ口きいてたりしましたからね。そんなバカで生意気なところが良かったんでしょうね。逆に親しくしてもらいました。
もののけ姫とエヴァンゲリオン(宮崎監督と庵野監督)
群衆が描けない ぴあ97年7月14日号
宮崎駿のエヴァンゲリオン批判(1997年) [宮崎駿監督からの批判] – xpwiki
このモブシーンがすごい!『風立ちぬ』で宮崎駿監督がこだわった点とは? – ひたすら映画を観まくるブログ
庵野秀明監督が初めて語る経営者としての10年(上) | 『週刊ダイヤモンド』特別レポート | ダイヤモンド・オンライン
【映画版エヴァ破考察 その弐】 庵野秀明は、やっぱり宮崎駿の正統なる後継者か!?〜「意味」と「強度」を操るエンターテイメントの魔術師 – 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
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メモ終わり。
群衆を描いたことと父殺しがはっきり描かれたことが、旧劇との最大の違いだと感じたようです。他にもいろいろきになったことはありましたが、初日に勢いで書くレビュー記事としてはこういう感じにまとめました。多くの人が抱いたであろう印象を切り取って、文章にした感じですね。
細かな分析的なものは、他の記事でやろうと思います。