キネマ旬報に藤津亮太さんの新著『アニメと戦争』の書評を書きました。
紙の雑誌の仕事は始めてだったような気がします。文字数は920文字くらいの短い評ですが、本の魅力が伝わると幸いです。
この本は本当に面白くて、すでにメディアを通してしか戦争を知らない世代が大半を占める中、我々が戦争を観たり描いたりすることの難しさにアニメを通して解き明かしたものだと言えます。取り上げられるのはアニメ作品ですが、その先に浮かんでくるのは、前後日本人の自画像でもあります。
非常に構成が良くできている本で、最初に『ゲゲゲの鬼太郎』の「妖花」のエピソードの変遷から、日本人の戦争との距離感の変化を見事に浮かび上がらせていて、本書のイメージを決定付けています。こんなに見事に戦後日本人の戦争観を的確に伝える作品がアニメにあったのかと驚きますね。
本書の姿勢として、ひとつのイデオロギーを良しとしない点は素晴らしいと思います。反戦が良くて、『宇宙戦艦ヤマト』のような賛美や、サブカル化した戦争が駄目という態度は取らず、それらは概ね戦争との距離感の問題と欲望の抱き方の違いとして捉えるのが秀逸です。
反戦には反戦の欲望があるんですよね。もちろん戦争はしたくありませんが。
以下、原稿作成時のメモと構成案です。
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文字量は22×42=924文字で
3つの地図
成田龍一の状況、体験、証言、記憶の時代の4つの区分でアニメの中の戦争表現の変遷を見る
ゲゲゲの鬼太郎を用いた見事な見取り図。絶妙の構成だ
リアル・リアリティ・リアリズムの問題
歴史的・非歴史的/集団的・個人的
そもそも、戦争を見せたがる、観たがる欲望とはなんなのか。
単純に萌えミリがけしからん、火垂るの墓は素晴らしいという単純な図式では片づけられない
戦争を知らない、メディアでしか見たことのない我々が戦争
戦後日本の引き裂かれた心情を、アニメの戦争描写から読み解いた。
戦争を語りつぐことは、戦後日本において使命感のようなものだった。その手段として、映像メディアはしばしば重要な役割を演じてきた。
アニメに限らず、広くメディアの中でしか戦争を知らないことに対する日本人の今を考える上で良書。
Point2つ
戦争を語りたい、戦争を見たい欲望
メディアの中でした戦争を知らない世代は、いかに戦争というものに、あるいは戦争メディアと向き合うのか、アニメに限らず広く考えるヒントを与えてくれる
Intro
現代日本と戦争について、どんな問題意識があるか。
アニメ評論家、藤津氏はこの困難な問いにアニメを通して向き合おうとした。アニメという虚構ゆえに、日本人がいかに戦後、戦争をどのように感じ、どのように向き合ってきたのか、奥底の欲望も含めて先鋭的に表すメディアであろう。
Body1
本書の概要
時代区分ごとにいかに変化していったか。。。。プロパガンダアニメから、戦後すぐのアニメ表現からヤマトの時代に、90年代以降の萌えミリまで網羅する。
ゲゲゲの鬼太郎の時代ごとの描写の変化を、成田龍一の時代区分に対応させ、各時代に戦争に対するアプローチがどん変化をしたかのわかりやすく示す。
Body2
リアリティと表現の欲望、ここに人が戦争を描きたい、観たい欲望が先鋭的に表れてる・・・アニメに限った話ではないのだという。
↓
その欲望の線上には、萌えミリも火垂るの墓すらも含まれ得る。この欲望は複雑だ。萌えミリはけしからん、他ルの墓は素晴らしいでは片づけられない複雑さがある。
↓
悲惨だと嘆くというカタルシスもあるのだから。
Concl
戦争との距離、メディアの中でしか戦争を知らない世代が、これからいかに戦争と向き合い、どのような距離で自らの戦争を見たがる欲望と向き合うかの、見事な見取り図を示した本だ。
幸運にもメディアの中でしか戦争を経験しなかった我々は、それゆえに抱えた困難さに真摯に向き合うべきなのだ。本書はその大きな手助けになるはずだ。
戦争博物館から戦争を考える
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メモ、終わり。
とにかく素晴らしい本です。藤津さんの著書の中でもとりわけ優れた一冊だと思います。アニメから社会を考える上でも貴重な本ですので、是非読んでみてほしいです。
イデオロギーに流されずに戦争を語るのはとてもむずかしいことです。この本はその稀有な成功例だと思います。