シネマズPLUSに「プロフェッショナル仕事の流儀」庵野秀明スペシャルの拡大版となる「さようなら全てのエヴァンゲリオン」について書きました。
「拡大版 庵野ドキュメンタリー」は、どんな「物語」として生まれ変わったのか:「ドキュメンタリーはフィクション」 | cinemas PLUS
100分とほぼ倍近い放送時間になったので、新規カットもたくさん追加されているわけですが、それ以上に構成が随分変わっています。その結果、ほとんど別の作品として生まれ変わっています。
2つの番組の比較もある程度していますが、同じ素材から別の作品が生まれるドキュメンタリーとは何なのかについて考えてみようという体裁で書きました。
いみじくも作中で庵野監督が「ドキュメンタリーもフィクション」という言葉を言っているので、虚構と現実、ドキュメンタリーの嘘というものに言及できるいい機会だなと思ったのです。
庵野監督の追求してきたテーマに沿ったドキュメンタリーという感じで、より監督の考えや創作の原点に迫れているのではないかと思います。
追加されたシーンの中では、ミニチュア制作の風景が良かったですね。ミニチュアをわざわざ作ってアニメに落とし込むなんて面倒な作業は本当はやらなくていいんですが、あえてやるところに庵野監督も創作の面白さがあると思っています。
以下、原稿作成時のメモと構成案です。
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Point3つ
ドキュメンタリーは嘘を突く
この番組はどんな物語を構築しているか。
前回との「物語」の違いは
Intro
さようならすべてのエヴァンゲリオンが放送された。
前回よりも放送時間が長く、構成も変わっている。
視聴者の印象もかなり異なるものになったのではないか。
Body1
庵野さんの言葉。。ドキュメンタリーも一種のフィクション
どうしてこの言葉を使ったのか。。。。ネタバラシというか、ドキュメンタリー番組としては「それ言ったらおしまい」みたいなとこもある。
これは昔から庵野さんが言っていたこと。
岩井俊二との本からの引用・・・マジックランチャーから
なので、このドキュメンタリーも一種のフィクション。だれかが物語として再構築されたフィクション
Body2 どんな風に構築したか
ナレーションを使わずに構成し直した。
この男に手を出すべきではなかったというナレーションのインパクトは大きい。そのインパクトで番組を見てしまう
↓
それを、見ながら自然に「これは大変だな・・」と思わせるような構成に作り変えた
創作の原点に父の存在というのを設定している。エヴァのテーマでもあるから。その物語をさらに強固にするために、立木さんの存在感を高めるようにつかっている。
エヴァ旧劇で一度ぶっ壊れてそれからどう立ち直ったかの物語には、実写映画進出が大きな役割を果たしてもいるとは思うが、番組ではそこに触れずにエヴァをめぐる物語に終始している。
これらの要素を分厚くすることで庵野秀明の創作の原点に迫る的な要素を後半に多く追加している。そこからエヴァに至るものを見出すという構成に
駆け出す庵野監督で終わったのは、『シン・エヴァ』をの最後を意識したのだろうか。
結果的に庵野秀明がどういう人物で、何がエヴァにいたったのかをクリアになった。番組制作再度の目線でクリアにしたというべきか。構成の仕方はいくらでもあるので。
「次の仕事がある」と言って、駆け出すシーンに行くつなぎ方に、番組制作者の主張がある。あそこは全く時系列も異なるので。
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メモ、終わり。
庵野監督についてだけでなく、番組のレビューという側面も重視しました。番組自体は庵野監督の作品じゃなく、あくまで番組制作者のもので、この番組の主張は製作者のものですからね。庵野監督はあくまでも素材です。
テレビのドキュメンタリー番組としてはなかなか攻めた内容だったんじゃないでしょうか。「ドキュメンタリーはフィクション」という言葉を使うこと自体、テレビではなかなかないんじゃないと思います。自己否定的ですしね。わかりやすさ重視のテレビ番組では、難しいやり方ですが、今回は拡大版で地上波ではなかったのも大きいのかなと思います。