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FGOのソロモンについて書きました

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 アニメ!アニメ!の敵役連載で、Fate/Grand Order(FGO)のソロモンについて書きました。

 「FGO」ソロモンの「人」としての意地が示す、人類史の愚かさと美しさ | アニメ!アニメ!

 FGOの映画『Fate/Grand Order -冠位時間神殿ソロモン-(ソロモン)」の公開合わせで、ソロモンを取り上げてみました。「人」として、とタイトルに書きましたが、人であることに目覚めるのがやはり良いですよね。

 人であることの業とか素晴らしさが両方溢れ出るような、素晴らしい物語でした。映画を観て、原作ゲームをプレイしたときの感動が蘇りました。主人公の礼装がカッコよかった。あれはゲームに実装されないのかな。

 
 以下、原稿作成時のメモと構成案です。
 
 
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魔術王ソロモン(ゲーティア)

FGOの一部は何を描いていたか。。。。多くの英霊と共に戦うマスターの姿は

文明より生まれ文明を食らうもの、自業自得の死の要因(アポトーシス)に他ならない。

ゲーティアの発言
死を前提にする時点で、その視点に価値はない
おまえたちの未来には、何一つ救いがないと気付きながら

生きている人間がいつだって時代を築く。。。。その一点にマスターの存在意義がある

行き詰った人類史を救済する
永遠は良いものかという問い

汚れを取ったところで、人間はすぐに次の汚れを生み出す。。。。生命のある限り、この間違いは正されない。

ソロモンは無だ。どうあろうとぶれない。人権はなかった
ソロモンは何も感じなかったが、その権能はその仕打ちに耐えられなかった
ゲーティアは、魔術王の分身であり、機構であり、魔術師の基盤として作りだされた最初の使い魔。意思を持った召喚式
ビーストⅠ、、、求めたものは、健やかな知性体を育む完全な環境だ
憎しみから人類を滅ぼしたのではない

命とは終わるもの。生命とは苦しみを積み上げる巡礼だ。だが決して死と断絶の物語ではない。
限られた生をもって死と断絶に立ち向かうもの。終わりを知りながら、別れと出会いを繰り返すもの。輝かしい、星の瞬きのような刹那の旅路。これを、愛と希望の物語という。

一つ一つの悪意に囚われ、紋様を見ていなかった。

人類悪とは人類愛そのもの。悪意など一過性のもの、使えば薄れるもの。人理を守ろうとする願いそのものが人理を脅かす。より善い未来を望む精神が、今の安寧に牙をむくのだ。

意味のない戦いに最後に身を投じる。意地が出来た。。。。それはエゴとかわがままとか言われるもの

人の悪意を見すぎたゲーティア・・・・人の善性に触れたプライミッツマーダー

その後のエピックオブレムナントは、人の悪性を見せつける4つのエピソードだった。

取るに足らない主人公の向こうを張る、壮大な人類の焼却計画。。。だが、敗れたのは人の善性を見なかったこと。。。そして、生きるためという小さな意地に負けた。

人の生に意味はないが、されどその一瞬の輝きは無価値ではない。最後にそれを証明した。ゲーティアを否定するものはゲーティア自身だった。

Intro
ソロモンという最大の敵
映画が公開される。

映画公開向けに知らない人にもわかるように書くか。
どんなことをこれまでにやってきたのか。簡潔に語る
FGOでは、2015年の時点で、カルデア以外の文明と人類の歴史が焼却されてしまう。人理の焼却を行ったのが魔術王ソロモンで、そのために7つの歴史の特異点に聖杯を送り込み、人類史を焼却した。主人公は、人類史を取り戻すべく、過去にレイシフトし、聖杯を回収することで、ソロモンへと近づいていく。
そして、7つの聖杯を回収し終えた主人公は、ついに、本拠地である冠位時間神殿ソロモンへと挑む。

Body1人類悪と人類愛
人類への憎しみではなく、死をもって行き詰った人類を再構築して新たなステージへと導くための悪役
行き詰まりの人類の定義とは

死の恐怖の問題

なぜ、そのように考えるようになったのか。
ゲーティアの正体は、召喚式である。。。人間ではない、だが、意思がある。そして、過去未来現在全ての人類の悪性を見続けた者。

それに耐えられなかったから、行動を起こした。その根底には人類の愚かしさを断罪しようというものではなく、何とかして救済したいという気持ち

人類悪とは人類愛そのものに他ならない。

だが、悪性だけを見ていた。。。。
対照的なのは、プライミッツ・マーダーの結末

善性に倒される獣。善性に出会えなかった獣の差

Body2
人の永遠を求めるゲーティアに対して、
命とは瞬き、刹那の旅路だと突き付ける。

生きるために戦い主人公と人類史のために戦うゲーティア

最後に人王ゲーティアとなるのは、まさに刹那の命を得たことになった。
最後の最後に人に倒された人王は、その名前にふさわしく刹那に輝いて終える

倒されることで、人となり、主人公たちの旅路を肯定する存在となった。人類を、人理をたたえる装置としての敵役として、非常に見事な造形だったと思う。

人類は愚かか。。。子供の頃に感じる違和感。道徳の授業と歴史の授業のつじつまのあわなさ。そんなに人間は殺し合ってるのかという驚き。そして、それを覆い隠そうとする綺麗事の矛盾がすごいなと感じていた。

汚れを取ったところで、人間はすぐに次の汚れを生み出す。。。。生命のある限り、この間違いは正されない。
これに答えてくれている気がする

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 メモ終わり。

 プライミッツ・マーダーとの対比は、ネタバレが過ぎると思ったのか、最終的には書いていないですね。最後に倒されることで刹那に生きる人類を肯定する存在になる、というのが本当に物語の仕組みとして上手いところです。

 人類の歴史を振り返れば、殺し合いの歴史ですから、その全てを見通せる能力を持ってしまったら、人類史を否定してしまう気持ちは非常によくわかりますよね。けれども善性もある。刹那の一瞬を生きるから人生は輝くという見本を最後に示す、見事な敵役でした。
 
 
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